━━━案件08 竜司郎と狸 必死こいて森を駆ける━━━
森の中を魔導バイクで進む竜司郎と狸。
空は時折、樹木の天蓋から見え隠れするものの、森の中は薄暗く、竜司郎は念のためにライトをつけて走行していた。
ナビゲーションシステムと目視を交互に、実際に樹木や起伏を縫って進む未知のコースは意外な高揚感と爽快感があった。
(正直、楽しいな……)
竜司郎は、オフロードバイク時代にダートコースも大いに楽しんだが、やはり同じコースを何度も走り込むと、単純なタイムトライアルになってしまう。
それも勿論楽しいのだが、竜司郎はどちらかと言うと未知のコースを走るスリルを楽しむタイプだった。
前世界時代は、バイク仲間のケンちゃんと、何か所かのダートコースをローテーションし、なるべく長く新鮮な気分で走れるよう工夫したものだ。
「順調ッスねえ御主人……あ、正面の大木は左に回避ッス!」
「おう!」
狸のナビゲーションも実に的確だった。少しづつ速度を上げながら森林走行を慣らしていく竜司郎のハンドリングにも過不足なく応じ、今のところミスらしいミスはない。
「私も付与記憶のおかげでバイクの操縦できますが、御主人の運転見てると、ちょっと敵わないッスねえ」
「そりゃ鼻が高いな。……まぁ、16年乗り続けた腕前を、付与記憶で狸に抜かされたんじゃ、俺も形無しだけどな」
「確かに。その辺、女神さまもバランスとってくれたんスね」
異世界人の手がかりを掴んでから、一人と一匹の口調は明るい。人家があるということは、相応の安全も確保されていると考えられる。寝袋のまま屋根も天幕もなしに眠ることを思えば、人のいるテリトリーは格段に危険度が低いはずだ。
(明るい挨拶で第一印象を稼ぎ、媚びないようにへりくだりつつ、多少の演技で困窮している様をアピールできれば……)
竜司郎は、決して豊富とは言えない交渉や営業の経験を、前世界時代での元請けや取引先とのやり取りから抽出し、異世界人への対応を模索していた。
「そろそろ青エリアか?」
「そろそろッスね……心の準備はオッケーッスか?」
「おう! ……って、ちょっとこの格好は物々しいけどな」
黒と銀で彩色された戦士風の兜に軽装の鎧……と見えなくもないヘルメットとライダー用プロテクターは確かに物々しかった。
それでも、この世界は女神さま曰く”剣と魔法と神が存在する世界”である。いつ、どこから狂暴な怪物や異形の生命体が襲い掛かってくるか分からないのだ。
転生早々、怪物や異形の餌食になるリスクは1%でも減らしておくべきだった。
「大丈夫ッスよ。ここは剣と魔法と神様の世界なんスから、御主人くらいの装備ならぜんぜん平気ッス……って! 御主人、あれ、煙ッスよ!」
「本当だ! やっと人に会えるぞ……」
竜司郎が視線を上げると、樹木の影からちらちらと立ち上る煙が見え隠れした。期待を胸に、竜司郎はスロットルをもう少し回した。
青エリアに到達すると暗い森から視界が開け、眩い青空が竜司郎と狸の視界をくらませた。
竜司郎は異世界人を刺激しないよう、魔導バイクの速度をゆっくりと落とし、静かに停車した。
視界の回復を待たず、竜司郎が務めて明るく挨拶をしようとしたとき、先んじて正面から声がした。
……耳障りな誰何の声が複数。
竜司郎たちが到着した青エリアには二種類の家屋があった。
一種類は明らかに人間が建築し、ろくなメンテナンスもされず使用され続けている廃屋。もう一種類は家屋と称するのもはばかられる枝と葉を雑に組んだ家とも小屋とも知れないモノ。
家屋が囲む中央に焚火があり、竜司郎たちが見た煙はそこから立ち上っていた。耳障りな声は、その焚火を囲む複数の人型生物から発せられていた。
ギョロリとした爬虫類を思わせる眼、尖った大きな耳と牙がのぞく大きな口、小柄な体躯、岩のような色、ゴツゴツと節くれだった四肢……。
付与記憶に登録されたモンスター名鑑からその姿形と名前が浮かび上がると、一人と一匹は希望の上に重い失望が覆いかぶさるのを感じた。
「……ゴブリンさんだな」
「……ゴブリンさんッスね」
特に理由もなくゴブリンをさん付けで語る竜司郎と狸。
異世界人との邂逅に期待を胸に膨らませて森を駆け抜けた元現代人と狸は、自ら進んでゴブリンの巣へと足を踏み入れてしまったのだ。
ゴブリンらは火を囲み、まさに昼の食事にありつこうとしているところであった。
……ゴブリンたちからすれば竜司郎と狸こそ、食事の邪魔をする闖入者であったわけだ。
竜司郎たちが何も答えないためか、濁音を主とした耳障りな声が次第に大きくなる。声につられて家屋からワラワラとゴブリンたちが顔を出した。
いずれのゴブリンも、魔導バイクに乗る竜司郎と狸を見ると、例外なく露骨な敵意を向けているのが感じ取れた。
「間違いなく歓迎されてないッスね……」
「付与スキルで異世界言語は理解できるんじゃなかったのか?」
「ゴブリン語は対象外みたいッスね……」
「ってことは、俺たちみたいな異種族間の相互理解は……」
「諦めたほうがいいッスね……」
「…………」
「…………」
「……時に御主人、乗り物スキル以外に、なにか戦闘系のチートスキルは付与されてないッスか?」
「付与されてない」
「そうッスか……ないッスか……」
「…………」
「…………」
「……時に狸さん、前カゴ収納スキルに、なにか一発逆転系のチートアイテムは入ってないか?」
「入ってないッス」
「そうか……入ってないか……」
竜司郎は魔導バイクに跨ったまま、そっと地面を蹴って、後ろに二歩、三歩下がった。狸はナビゲーションシステムの画面にへばりついた。もはや本能と言っていい対応だった。
小声で話す人間と狸に、苛立ちも露骨に焚火の向こうに鎮座する派手めな衣装をまとったゴブリンが指をさす。
竜司郎は慌てて、拳銃を突き付けられたように両手を挙げて首を振った。
派手めな衣装をまとったゴブリンが立ち上がる。濁音だらけの合唱はパタリと止んだ。
中央の派手めのゴブリンが腰の小剣を抜いて咆哮する。
竜司郎と狸は、一瞬でゴブリンたちの意思を理解した。
周りのゴブリンたちが、一斉に腰や手元の武器に手を伸ばし始めたのだ。
「逃げるぞっ!」
「10時の方向獣道ッス!」
竜司郎と狸は、一瞬で自分たちの意思を決定した。魔導バイクの後輪を滑らせながら急旋回し、狸の示した獣道に逃走を開始した。
……狸の魔導バイクをしがみつくようにして運転する竜司郎。背後にはゴブリンの集団。
知識として知ってはいるものの、実際に遭遇し集団で追われるというのは想像以上の恐怖だった。
授けられたスキルの完熟運転もままならないまま未知の森林を逃走する一人と一匹。
行く手に立ちはだかる大枝、小枝、蔦、岩、木の根、落ち葉、起伏……。そして後方から追いすがるゴブリンの集団。異世界に転生して早々生命の危機とは歓迎にもほどがある。
「くっ……!振り切れねぇ……!」
ゴブリンたちは剽悍だった。
縄張りであろうこの一帯の地の利を心得ているのか、竜司郎たちが必死で避けている森の障害物を、的確に回避しつつ追ってくるのだ。
驚くほどの連携は追跡の方法にも表れていた。竜司郎たちを追ってバラバラに森に進入したはずのゴブリンたちが、次第に横隊陣を形成し、竜司郎たちを半包囲しようとしていた。
さらに地上だけでなく、樹上から枝伝いに追ってくる個体までいるのだ。
バックミラーで確認した竜司郎は全身に鳥肌が立った。
よくよく考えてみれば、この森は大型の魔導バイクが通行可能な程度には密度が薄いのだ。
小柄な体躯で、勝手知ったる縄張りならば、ゴブリンたちにとって、ここは走り込んでコースを知り尽くしたダートコースのようなものであろう。
「ゴブリンさんは……冒険初期の雑魚敵じゃなかったのかよ!」
「何事も例外はあるッスよ!」
「まったく! どこがホンのちょっとだけフェイタルな世界だよ!」
女神さまに悪態をついた直後、ゴンッ!という重い衝撃が竜司郎の左頭部に響いた。
何が起こったか分からないまま、衝撃で倒れそうになる竜司郎と魔導バイクを、狸が狸用ハンドルを切り返して立て直した。
「……すまんっ! 助かった!」
非常時でも相棒への感謝は忘れない竜司郎であったが、狸は感謝の返答にとんでもない事実を告げてきた。
「斧ッスよ! ゴブリンさん、斧を投げてきたんッス!」
「…………!!」
竜司郎は、中学校と高等学校で習った柔道、剣道以外に武道の経験はなかった。
たまにぶつかりあった土木現場での喧嘩も、大抵は一対一で、傷害沙汰など深刻な事態には至らず、精々掴み合う程度。
それもすぐに周りの仲間が止めに入るか、大森社長や古参のベテラン上司が一喝して手打ちになるのが常だった。
運転中や現場で命の危機に晒されたことも再三どころではなかった。だが、それはどれも殺意や敵意を向けられたが故のものではなかった。
今は違う。
ゴブリンたちは集団で、明らかな殺意をもって竜司郎たちを追い、その殺意を武器に込めて投げつけてくるのだ。
そしてゴブリンが斧を投擲し、竜司郎に命中したということは、ゴブリンたちは竜司郎たちを射程距離内におさめるほどに距離を詰めていることを意味していた。
竜司郎が恐慌にかられたとして、誰が責められるだろうか。
竜司郎の視線が、バックミラーとナビゲーションシステムを外しがちになり、視野が正面に収束していく。反対にスロットルを回す手には力がこもった。
それでもなお、転倒もせず、激突もせず、ゴブリンたちに捕まりもせず、未知の森を走行し続けた竜司郎のバイクテクニックは賞賛に値するものであっただろう。
だが……。
「御主人! 御主人!」
魔導バイクのナビを見ながら狸が叫ぶ。
「忙しい! 手短に!」
「この先! 崖ッス!」
「…………え?」
竜司郎と狸はゴブリンの追跡と投擲攻撃で、ルートを狂わされたのだ。
その上、通行不可能ゾーンを示す川の赤い表示と、崖の落差の赤い表示が赤同士で繋がっていて、エリアの区別がつきにくくなっていた。
竜司郎と狸は、目的地の川辺が浜辺のような緩やかな地形だと思い込んでいた。よって赤い表示は全て川で、川と思い込んでいた崖のそばの黄色エリアまでだとりつけば水上バイクで何とかなる、と。
恐慌状態で、乗車して数時間も経っていない魔導バイクを操縦しながら、初見のナビゲーションシステムを正確に判断しろと言うのは、現時点では酷と言うべきだった。
突如開ける視界。
真下には空と太陽を映し出す大河。どこまでも続く波のような森と草原のうねり。
緑の波の向こう、遠景に連なる見たこともない尖塔のような山々。そして前世界と同じ、青い空と白い雲と、前世界と違う、寄り添う二つの太陽───
竜司郎と狸はほんの数秒間、確かに空を走った。そして、ほんの数秒間、命の危機を忘れた。
「異世界だ……」
「異世界ッス……」
飛野竜司郎32歳。現代世界でトラックもろとも崖から飛び出し、異世界に転生された彼は、転生して早々、魔法で編まれたバイクもろとも崖から飛び出した。
今度は狸とともに。




