━━━案件89 ロナーシア情報会のゴシップ記事━━━
アーゾリア海に向けて誓いを語ったセリーネは、もう一口紅茶を口にした。
熱を冷ましかけていた紅茶が、今日はなぜか美味しく感じる。ヴィクトーリア号救助作業の高揚感が、まだわずかにセリーネの心に残っていて、それが紅茶の香りを引き立たせているのかもしれなかった。
庭へ続く邸宅の扉が開き、ドアベルの軽やかな音が響いた。屋敷の中から現れたのは爆風のルークに劣らない大男。メルクス商会護衛団団長のヴェスタであった。
バイテンが全幅の信頼を置いてセリーネの護衛にあたらせている、先代商会長の頃からの古参である。
ヴェスタは慎重な足取りで、セリーネのパーソナルスペースへ足を踏み入れた。セリーネが待ってましたとばかりに振り向く。
「ご苦労様ヴェスタ。情報会の夕刊は手に入った?」
「先ほど、うちの若いものから届けられました。こちらに」
ヴェスタは、どこか少年のような稚気を漂わせるルークよりも、断然分かりやすい戦士然とした風貌である。
隆々たる筋骨、ルークよりも日焼けした浅黒い肌と真っ黒い頭髪。顔にも腕にもくっきりとした傷跡が残り、眼光は穏やかだが隙が無い。
そんなヴェスタだが、容姿からは想像できないほど恭しく、木製の書類ケースから先ほどルークが購入したものと同じロナーシア情報会の夕刊を差し出した。そしてテーブルを照らす『光源』のランプをさりげなく移動させた。
豪商のお嬢様お付きの護衛である。礼節も配慮もしっかりと弁えていた。このあたりもバイテンが彼を娘につけている理由であった。
「魔導召喚士、飛野竜司郎の人助け!」
「魔導クレーン、メルクス商会の船を救出!」
「聖獣モリン、海を走る!」
情報誌の表面に踊る煽り文を見て、セリーネとヴェスタは満足げな微笑を浮かべた。
メルクス商会商会の名と竜司郎とモリンの名が揃って目に飛び込む一面記事は、セリーネの欲求を満足させるものであった。
この記事が拡散されれば、ロナーシアの人々の間に、竜司郎とモリンと、メルクス商会がしっかりと結び付くはずだ。そうなれば各業界との竜司郎&モリン争奪戦に、一歩も二歩も先んずることができる。
それは父バイテンや、兄カイロンの意に沿う流れでもあり、セリーネ自身の意にも沿うものだ。
ロナーシア情報会が発行する情報誌の構成は、竜司郎とモリンが住んでいた世界の新聞と似ていた。
ただ、内容は竜司郎とモリンが感じたように、この世界での情報誌は新聞と週刊誌の中間のような存在で、中央、地方の政治・経済から皇都の芸能・文化までを幅広く取り扱っていた。
情報誌の本誌は週に四回、朝方と夕方に二回づつ発行される。それで週に都合四回の発行である。情報誌は二枚の紙を重ねて二つ折りにし、一面から裏一面まで八ページで構成される。
一面は最新情報を飾る、いわゆる一面トップ。二面、三面は政治・経済。そして四面、五面は地方情報。六面、七面が芸能・文化情報である。最後の八面は裏面広告や告知などに充てられる。
そしてセリーネお嬢様お目当てのゴシップ……ではなく、芸能・文化情報の見開きには……。
「メルクス商会令嬢セリーネ、飛野竜司郎と急接近!」
「二人の共同作業が船を救う!」
「メルクス商会長の前で腕を組む二人は公認か!?」
セリーネは見開き面の煽り文句を見て、一層満足げな微笑を浮かべて記事を読み進めた。
併記されたセリーネと竜司郎の名前、劇的な出会いのきっかけ、父、バイテン・メルクス公認を匂わせる見出し。リルヴィアは敏腕記者の噂通り、いい仕事をしていた。
竜司郎とモリンを追ってあの現場に居合わせたというリルヴィアは、セリーネにとって渡りに船であった。リルヴィアにとっても渡りに船だったようで、契約の折衝と締結は驚くほどスムーズに終わったのだ。
マリーナ・ローズウッドの登場で、多少の危機感と高揚感も煽られたが、当のマリーナは思ったほど竜司郎に積極的ではないようである。父マシウスも竜司郎とマリーナの、男女としての交際を公認しているそぶりも無かった。
ならば遠慮はいらない。
メルクス商会のためにも、セリーネの感情の波を満足させるためにも、使える手段は大いに活用させてもらう。
「竜司郎とセリーネの関係について、肯定的・好意的な内容の報道については、セリーネ本人への事前確認を不要とする」
「セリーネとメルクス商会に不利益となる内容、事実関係に争いがある内容は、セリーネ本人への事前確認を必要とする」
それがロナーシア情報会のリルヴィアと交わした契約であった。
明日の宴で竜司郎の懐に入りこみ、縁を深め、ロナーシア情報会の情報誌を利用して外堀からも埋めていく。
内と外の両面から攻略していけば、世間ずれしていない、交渉事が苦手そうな竜司郎なら、思ったよりも容易く篭絡が可能ではないか。
それはそれで、あまりにあっけないとも思う。
できればあの魔導クレーン作業のように、仕事ができる男らしいところも見せてもらいたい。多少はセリーネを手こずらせ、彼女の心に新しい風を吹き込んだ男にふさわしい、攻略し甲斐のある立ち居振る舞いで応えてもらいたいものである。
……上機嫌で記事を読み進めていたセリーネは、急に形の良い眉毛をはね上げた。笑顔だった口元も、見事なほど分かりやすくへの字に曲がる。
「……フィーズ教会の器量佳し、マリーナ・ローズウッドの動向は如何に!?」
「鑑定魔法をかけあった二人の仲に、セリーネお嬢様が割って入る!?」
「飛野竜司郎に関する続報は次号も引き続き掲載していきます。乞うご期待!」
ヴェスタがセリーネお嬢様の心情を察して眉間にしわを寄せる。
マリーナ・ローズウッドに関する後半の記述は、どうみても竜司郎とマリーナを既に公認のカップルとして扱っているのだ。そこにセリーネ・メルクスが新しい相手として急浮上してきた、という筋書きであった。
(これは、明確な契約違反ではありませんか……!?)
竜司郎とセリーネに関して、肯定的・好意的な情報を発信して、竜司郎とセリーネの仲を取り持つのがリルヴィアの仕事のはずである。
そこに他の女性、しかも妙齢で、既に竜司郎と縁故のある女性の名前を出すなど、一体どういうつもりであろうか。初手から契約を反故にするとは、敏腕記者といっても所詮は煽情的な話題で目先の小銭を稼ぐ小物であったか。
「……ヴェスタ。リルヴィアとアポを取りなさい。この記事に関して確認しておきたいことがあります」
「かしこまりました。……それとお嬢様、そろそろ旦那様と若旦那様と、明日の宴の打ち合わせのお時間です」
立ち上がったセリーネの肩にヴェスタが上着をかける。セリーネは精神の均衡を回復しようと、ことさらに不敵な表情で笑ってみせた。
「面白くなってきたわよ、ヴェスタ」
「それはようございました、お嬢様」
邸宅へと歩き出したセリーネ。ヴェスタはピタリと後ろについてきた。
歩きながら、セリーネは情報誌の内容を努めて客観的に咀嚼しようとした。言いたいことは山ほどあるが、有益、有用な情報も記載されていたのだ。そう、明日の宴に使えそうな話題も。
明日の宴は、セリーネとヴィクトーリア号を助けてくれたお礼でもあり、竜司郎とモリンを、メルクス商会とセリーネの下に引き込む重要な交渉の場でもあるのだった。
剛腕な父バイテンと、俊秀な兄カイロンと、セリーネ自身という布陣に、セリーネは交渉の成功を確信していた。




