━━━案件88 セリーネ 宵闇のアーゾリア海に誓う━━━
宵闇のロナーシア。
「海の幸山の幸亭」で、いささか深刻な会話と、美味しいランチを堪能した西風団の三人は、商業地区でショッピングを楽しんだ。
ルークは教会の子供たちへのお土産を、チャコは化粧品を、マーカスは舶来の書物を、それぞれ手に入れてご満悦だった。
充実した休暇を過ごした三人が、ロナーシアを南北に貫く中央大通りにさしかかったのは、丁度ふたつの太陽が地平に没し、星々と、月の女神がその輝きを主張し始めた頃だった。
街灯に、『光源』の光を灯す点灯夫が仕事を終え、町には月の光と『光源』の光が織りなす幻想的な光景が広がる。
すっかり見慣れている町の人々も、この光景を眺めながら帰路につくことで、一日の終わりを実感し、今日の無事をフィーズの神々に祈りながら、就寝までの一時を楽しむのである。
中央大通りは今日も賑やかである。
露店はふたつの太陽が沈んでからも、仕事を終えて一息つこうとする人々のために、料理を作り、酒を用意する。
はたまた気が緩み、財布も緩んだ人々の欲求に応えようと、菓子、玩具、煙草、賭事、唱歌、演奏、大道芸……。多種多様な露店が競い合う。その中に……。
「夕刊~~! 夕刊~~! またまた異国のいい男と聖獣コンビが大活躍だ!」
「魔法クレーンでメルクス商会の船を一本吊りの大立ち回り!」
「さぁさぁ詳しいことはこちらの夕刊に書かれてるよ!」
「夕刊の発売定刻に遅れただけの内容は保証するよ! さぁ買った買った!」
木箱をお立ち台に、小柄な若者が大声を張り上げていた。左右に控えた男たちが、長机に積まれた情報誌を次々と売りさばいてゆく。
男たちが身につけているのは、ブラウンのベストにキャスケット帽子。ロナーシア情報会の夕刊販売である。
お立ち台から滔々と語る若者の声を聞いて、西風団の三人は冒険者ギルドへの帰路を変更した。
異国のいい男と聖獣コンビといえばあいつらしかいない。ルークが冗談めかしてチャコが笑った与太話は、どうやら一人と一匹によって本当の話になったようであった。
「……一部くれ」
ルークが小銀貨を一枚差し出した。大男の顔を見てロナーシア情報会の男は驚いた。まさに西風団の一員をネタにした夕刊を販売している最中だったからである。
「ルークさんじゃないか! 今日はあの二人と一緒じゃなかったのかい?」
「今日は休暇で、あいにく別行動でね。……で、リュウとモリンがどうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも、ボンゴス親方に続いてまたまた人助けさ! 今度はメルクス商会の船を救ったってんだから驚きよ!」
「相変わらずだなぁアイツら」
ルークは機嫌よさげに笑いながら集金箱に小銀貨を入れた。やっぱりあいつらといるのは、楽しい。
「まいどあり! さあさあ一部持って行っておくれ! 船の救出だけじゃない取って置きの記事も載ってるからさ! それは読んでからのお楽しみ!」
販売員の親父は敢えて声を大きくしていた。ルークとの会話それ自体が、売り文句になるのだ。
取って置きの記事と聞いて、情報誌に手を伸ばす人々はさらに多くなったようだ。
ルークは屋台で酒と串焼きを買っているチャコとマーカスに合流した。さて、どんな取って置きの記事なのやら……。
ロナーシア左岸。
富裕層の邸宅が立ち並ぶアンセル伯爵城の裾野。
富と成功の証を競うように建てられた豪邸が立ち並び、広く大きく設計された道路と階段は、居住者の優雅さと鷹揚さを表現しているようにも思われた。せせこましく詰め込まれた庶民たちの居住区とは一線を画する区画である。
その中でもひときわ大きな白亜の豪邸が、メルクス商会の商会長、バイテン・メルクスの邸宅であった。
海が見渡せる大きな庭で、ゆったりとした平服に身を包んでいるのはバイテン・メルクスの長女、セリーネ・メルクスである。
ヴィクトーリア号救出と事後処理が一段落し、ようやく我が家で一息つくことができたのである。
一級茶葉の紅茶で喉を潤しながら、セリーネは海を見つめていた。
僅かに残った太陽の光と、太陽にとって代わるように輝きだした星と月の光を照らし返すアーゾリア海は静かで、つい先刻までの騒乱が嘘のようだった。
湾口都市リュイーガにおける商取引の成功、帰路で遭遇した大海蛇との奮闘、決死の航海、そして竜司郎とモリンとのヴィクトーリア号救出……
この一か月の航海と、ここ数日の濃密な体験は、彼女を一回り大きくしたようであった。その達成感と解放感が一体となり、セリーネに心地よい充実感をもたらしていた。
……充実感は、達成感と解放感からだけではなかった。
飛野竜司郎。
セリーネにとっては、未知の驚きと、ときめきと、高揚感だった。
貴族の令息、富豪の子息、同業の有望株……。いずれの者たちからも感じられなかった感情の波。セリーネの容姿と、その背後にある富を露骨に狙う男たちに、セリーネはうんざりしていたのだ。
そこに現れたのが、飛野竜司郎であった。
颯爽と現れ、初対面の自分たちを助けるため懸命に仕事をこなしてくれた。そして自らの容姿も、自らのスキルも、自ら成し遂げた仕事すら誇示しない。
生き馬の目を抜く商取引の世界で生きて来たセリーネにとって、飛野竜司郎は、未知の、それでいて心地よい存在として、静かに、確実にセリーネの心に印象づけられたのだった。
……恋愛感情というような代物では、断じてない。
セリーネに打ち寄せる感情の波は、男とか、女とか、そういったものを超越した所から来るものだ。少なくともセリーネはそう判断した。
(あのお方と、あの聖獣は、必ずやメルクス商会が、いえ、必ずや私が手に入れてみせる……)




