━━━案件87 マリーナ 竜司郎のジャケットを選ぶ━━━
「そうねぇ……こちらの刺繍入りも捨てがたいけど、こちらの緑色なんてどうかしら?」
ルミーナ・ローズウッドは、大テーブルに置かれたいくつもの立ち襟ジャケットを、竜司郎の胸前に合わせていた。何となく居心地悪そうな竜司郎。
マシウスは、まるで息子の衣装を選んでいるようなルミーナの姿を微笑ましく眺めていた。竜司郎を治癒して御機嫌を直したかと思ったマリーナは、また、何となく面白くなさそうである。
フィーズ教会南支部。
竜司郎とモリン、マシウスとマリーナは、ヴィクトーリア号救出事件と事後処理を解決し、無事にフィーズ教会南支部へと帰宅していた。
夕食を終えたローズウッド一家と子供たちと、竜司郎とモリンは、食堂の隣の居間に似た大部屋にいた。
竜司郎とモリンは、今日のヴィクトーリア号を救出したお礼として、明日、メルクス商会の宴に招かれることになったのである。
そのための衣装の選定を、マシウスは妻のルミーナに任せたのであった。
フィーズ教会南支部には”卒業”していった孤児たちの衣類や、信徒たちから寄付された衣類が丁寧に保管されていた。
衣類は教会の孤児たちが着用する以外にも、定期的に私設の施療院や孤児院、貧しい人々などへの施しとして配布もされていた。その中から、ルミーナは竜司郎の体格に合いそうな立ち襟ジャケットを見繕っているのである。
仕事中に異世界に転生した竜司郎が持っている服は、OS物流の作業着であるウエスタンシャツとカーゴパンツ。トラックキャビンに積んでいた雨や汗で濡れた時の着替え用と合わせて二着。
そして会社行事や合同研修で着用するOS物流の正式な制服。左胸にOS物流のロゴマークが刺繍された青と藍のブルゾンが一着と、大森建設時代から愛用している防寒用のパイロットジャンパーと、雨天時用の雨合羽で全てであった。
豪商のお招きである。
いくら会社行事で正式な服装とされていても、OS物流のブルゾンを着ていくわけにはいくまい。竜司郎は、かしこまった場に、文字通り「着ていく服がない」のであった。
念のため、キャビン収納スペースを調べてみたが、案の定スーツは収納されていなかった。バイク用プロテクターは異世界ナイズされて収納されていたのに……。
(まぁ、元の世界に置いてきたスーツはバーゲンセールの既製品だったし、しかも葬祭用と余所行きの二着だけだったしな)
前世界で竜司郎が所有していたスーツは、葬祭用、余所行きのいずれも、上質のカシミヤを贅沢に使った名店のフルオーダー……などというわけではなかったのが、幸いと言えば幸いであった。
それでもやはり「無い」というのは困る。
何処の世界においても、例え異世界においても、服装というものは、自らのアイデンティティと、相手への敬意を表す手段であることに変わりないのだった。
……モリンの衣装は既に決まって、子供たちと遊んでいた。
人形遊び用の山高帽と、赤い蝶ネクタイにステッキという姿は、モリン自身も、子供たちからの評判も上々であった。
モリンに衣装は必要ない。もふもふの体毛という、これ以上ないアイデンティティを身につけているのだから。
「……どう? マリーナ? 竜司郎さんと同世代から見た感想は?」
ルミーナが無邪気にマリーナに話を振る。モリンがピクリ、と耳を動かした。
御主人だけでなく、ルミーナママさんもかなりの天然のようであった。マリーナとセリーネの事情を察して聞いているのなら相当な心臓ともいえるが……。
マリーナは興味無さそうに頬杖をついている。それでいてチラリと竜司郎と並べられた服に顔を向ける動きは速かった。
興味無さそうな態度が全くの嘘なのは、ローズウッド夫妻とモリンは分かっていた。その証拠に、並べられた立ち襟ジャケットを選ぶマリーナの目線は真剣そのものだった。
「……それでいいんじゃない?」
じっくり長考して、そっけない物言いでマリーナが指示したのは、ネイビーブルーの立ち襟ジャケットだった。
刺繍もパイピングも差し色もないシンプルなデザインで、ボタンすら同系色の濃い青が使われていた。竜司郎が着ているOS物流の青と藍のウエスタンシャツに濃紺の綿ズボンとの相性もよさそうだった。
「まぁ、流石はマリーナ。いいセンスをしているわ」
マリーナが選んだジャケットを両手で持って、ルミーナは嬉しそうだった。まんざらでもないマリーナ。
……ルミーナの言葉は、決して社交辞令というわけではなかった。
マリーナが選んだネイビーブルーのジャケットは、とある服飾ギルドの徒弟が、親方昇進検定の時に仕立てた作品なのであった。
件の徒弟は見事に昇進し、その感謝の気持ちを神に表すために、フィーズ教会南支部にジャケットを寄付したのが由来であった。
つまり、このネイビーブルーのジャケットは、一流の生地を使って、一流職人の手で仕立てられた一点物のジャケットなのである。
ルミーナは竜司郎の後ろへ回る。さすがに竜司郎も意図を察して、マリーナが選んでくれたネイビーブルーの立ち襟ジャケットに袖を通した。
竜司郎は無意識に、マリーナに向けて立ちポーズを取った。マリーナの口元がほころぶ。
「いいじゃないッスか御主人! それならこの私の隣に並んでも見劣りしないッスよ!」
フンス、と鼻を鳴らしてポーズを決めるモリン。モリンのお眼鏡にも適ったようである。
「うん、いい。服飾素人の俺が見ても、メッチャきまってるよ」
姿見の前に立つ竜司郎。
いまだに見慣れない野趣あふれる精悍な顔立ちの若者がそこにいた。しかし、外見とアイデンティティの乖離を脇に置いて見れば、その服装と立ち姿は申し分ない好男子のそれであった。
社交ダンスや園遊会に招かれても、こちらの世界の貴公子たちとも十分、伍して戦えるであろう。御令嬢たちから注目されるのも疑いようがなかった。……竜司郎がダンスと作法を身につけさえすれば。
「マリーナさん、よい選択をしていただき、ありがとうございます」
やや大げさに気取って、竜司郎はボウ・アンド・スクレープの礼で、マリーナのセンスに敬意を表した。モリンが「まぁまぁのボウ・アンド・スクレープッスね」、と、横で頷くのは敢えて無視した。
「竜司郎さん! あとはスカーフよ。これのチョイスが紳士のコーディネートの決め手になるの」
すっかり機嫌を直したマリーナは、竜司郎の手を取ってウォークインクローゼットに歩き出した。その後ろ姿を、ローズウッド夫妻とモリンは微笑ましく見守ったのだった。




