━━━案件86 リルヴィアとセリーネ 契約書を取り交わす━━━
マリーナとセリーネが、竜司郎とモリンを審判に丁々発止の神経戦を繰り広げた直後……。
ロナーシア湾口通りの港口付近。
ヴィクトーリア号の救出作業で人々が大忙しで立ち回る中、立ち並ぶ荷物と倉庫の隙間にするりと忍び込む亜麻色の髪の女性。
倉庫同士を隔てる細道。小柄な体を軽快に動かし、雑然と置かれた木箱や麻袋を躱しつつ、時折左胸に手を添える。そして……。
「ジェフト? いる?」
リルヴィアの小声に、モスグリーンのローブを身に纏った小柄な若い男、部下で後輩のジェフトが木箱の影から姿を現した。
「お呼びにより参上しました、リルさん」
ジェフトはローブをまくって右手で赤い宝石を埋め込んだカード様の金属板を軽く掲げて見せた。リルヴィアも左の内ポケットから同じものを取り出す。赤い宝石が同じ光量のきらめきを放った。
冒険者が、パーティーの安全対策のために所持している基本装備に警鐘石がある。
魔法接続した石同士が、魔力を込めることで互いの所持者に音と光の警告を発する警鐘石の魔法紋を応用して作成されたのが、この双報石[そうほうせき]である。
マナネットシステムの副産物とも言え、双報石に魔力を込めることで、互いの位置関係が互いの双報石に伝達される仕組みになっていた。
リルヴィアは大金を払って手に入れたこの魔導具、双報石を駆使して部下のジェフトと綿密な連携をとることで、いち早く情報をやり取りしているのである。
大金を払った甲斐があって、リルヴィアが所持する双報石の認識範囲は半径16km。ロナーシアの何処に居ても、お互いを認識できる範囲である。
そして双報石の片方を預けているということは、リルヴィアの、ジェフトへの信頼の証ともいえた。もっとも双報石は二つ揃って効果を発揮する魔導具である。片方だけを売り払おうとしても大した価格にはならない。
リルヴィアは腰のポーチからメモ紙の束を取り出してジェフトに手渡した。
「今ならまだ間に合うから、これをデスクに提出して、夕刊の印刷に間に合わせて。内容的にページは少なくても売れるはずよ」
リルヴィアから渡されたメモ紙の束を読み進めるジェフトの目が驚きに見開かれ、メモを繰る手が熱を帯びる。
「いいじゃないっすか! これならデスクも二つ返事ですよ!」
最後のページをめくる前にジェフトは興奮気味にリルヴィアを称賛した。
リルヴィアはジェフトの反応に満足し、フンスと、鼻を鳴らした。リルヴィアはさらに一枚の羊皮紙を取り出した。飾り枠こそ無いものの、下段には二人の女性の名前が書かれてあった。
リルヴィアとセリーネの名前である。
「……これは、リルさん!?」
「セリーネお嬢様と交渉して許可をもらったの。魔導契約書ではないけれど、正式な契約書よ」
リルヴィアは、二つの名前の後ろの、シグネットリングの捺印をトントン、と、自慢げに指さした。
シグネットリングによる捺印は、書面に魔導契約書に準ずる格式を与える。要は神に対する契約を魔法的に締結していないだけで、法的には正式な文書として扱われるのだ。
ただ、誰でも所持しているかというと、そうではなく、もっぱら貴族や富裕層、ギルドや業界団体の役職もちといった、意思決定を担える立場の者が使用するのが一般的である。
それにしても、豪商の令嬢と、そのような格式の契約書を締結する内容とは……?。
「……これで当分の間はネタに困らないっすね」
ジェフトが童顔と言っていい顔を精悍に引き締めた。リルヴィアも頼もしい後輩に人好きのする笑顔で応えた。
「追い風が吹いてきたわよ。ローファイン様からのお仕事と合わせて、ガンガン攻めていくからね!」
「……それにしても、セリーネお嬢さんと竜司郎さんって、会ってまだ一日どころか半日もないでしょうに。これも恋は盲目ってやつっすかね?」
異国人のシゴデキ男に恋する乙女を想像する、ジェフトの純情ぶりにリルヴィアは呆れた。
ジェフトの仕事は早いし正確だ。リルヴィアの馬力についてこられるバイタリティーもある。だがこの世間に揉まれていない純粋さはいただけない。
人間としては好感が持てるのだが、情報を扱うものとしては些か心もとないのだ。すれっからしにならない程度に、どうにかして鍛えられないものか。
「なに言ってるの。どう考えても計算ずくでしょ? そうでなくても竜司郎さんと聖獣さんの存在はロナーシアの重要組織が取り合いしてるんだから」
「え……? じゃあ、つまり、セリーネお嬢様は色仕掛けで竜司郎さんを篭絡して、メルクス商会に紐づけしようとしてる、と……?」
「ちょっと露骨すぎるわよその言い方は。……まぁ中らずと雖も遠からずというか、既成事実で外堀を埋めて内堀を埋めて、竜司郎さんを取り込もうって魂胆なのは確かね。竜司郎さんを取り込めば、ほとんど自動的にモリンちゃんもついてくるし」
「ははぁ~~……。あの清純そうなお嬢様がねぇ」
セリーネお嬢様の容姿と立ち回りのギャップに感慨深げな表情をするジェフト。真面目に考察しているところが、リルヴィアから見るとどうにも危ういのだ。
(……ハニトラに引っかかるまえに、妙齢の女性を紹介して、ジェフトに恋愛でもさせてみようかしら?)
リルヴィアは一瞬考えて止めた。
純情男にとって恋愛は妙薬でもあり劇薬でもあるのだ。博打は嫌いではないが、博打のテーブルに、信頼できる後輩の未来を乗せる気にはなれなかった。
竜司郎あたりから見ると、十分に面の皮が厚い”ブンヤ”なのだが、弁えるべき一線は、弁えているのだった。リルヴィアなりに。
「いずれにしても、相当に強かよ、あのお嬢様は。ああいう女性には、ジェフトも気をつけなさい」
「……え? リルヴィア姐さんがそれを言うんですか?」
という言葉が、ジェフトの喉まで出かかったが、辛うじて飲み込んだ。ただ、表情には出てしまったようで、敏感に察知したリルヴィアに、ジェフトはジロリと睨まれた。




