━━━案件81 竜司郎 労災ほどではない傷を負う━━━
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本日、竜司郎の流血シーンの描写があります。
竜司郎はタブレットからモリンのスマホに話しかけた。浮きクレーンの操縦席からも感じられるほど、モリンは魔力を放出していたのだ。
(モリン、大丈夫か!?)
モリンはマストとスリングベルトを押した姿勢のまま、浮きクレーンに顔を向けて笑顔を作った。明らかに無理やりな笑顔だった。
(ご安心ください御主人。この聖獣モリン。まだまだ平気ッス……)
(嘘つけ! 明らかに無理してるじゃねえか……)
(なんのなんの……。ここで折れては文字通り聖獣の名折れッス! お任せください御主人!)
聖獣の二つ名に調子に乗っているだけかと思いきや、モリンなりに愛着と自覚を持ち始めたらしい。喜ぶべきところだが状況が状況である。
(すまんなモリン。俺の無茶な作戦に突き合わせちまって……)
(それは言いっこ無しッスよ。つ~か、無茶って言うなら令和の人と狸を異世界に転生させる方がよほど無茶ってもんッスよ)
(ははは……違いない!)
軽口を叩けるほど平気ッスよ、とでも言いたいのか、モリンはことさらに明るく振舞っていた。
なるほど。
初回も初回に異世界に転生という大無茶を経てきているのだ。それに比べれば出力不足の揚重機で船の姿勢を正すくらいどうということはない。
船の姿勢を正すだけで、船全体を海面から持ち上げる必要はない。そして傷口を海面の上にまで持ち上げ、浸水を防げるだけの高さを保持できれば良いのだ。
もう一押し。
竜司郎はレバーに力を込めた。船側に空いた穴が、海面ギリギリにあるのだ。もう少し吊り上げて、せめて低い波よりも上に傷口を上げられれば……。
バチっバチっバチっと、また両手に静電気が発生した。あまりにしつこい静電気の自己主張に、竜司郎は多少の苛立ちを込めて視線を向けた。
竜司郎はそれで初めて自分の手が血まみれなのを知った。静電気と思っていたのは魔力の過負荷であった。その過負荷が竜司郎の指先の毛細血管を破裂させていたのだった。
(……っ!)
驚いたのは一瞬だけである。絵面は確かに痛ましいが、流血量は少なく、傷自体は小さい。竜司郎はレバーを掌の中央で押さえたまま、指を何度か開閉した。
(指の感覚もあるし、しびれもない。大丈夫だ……!)
大森建設時代はもちろん、OS物流時代においても、労働災害に認定するまでもない擦り傷、切り傷、引っかき傷、打撲、打ち身など、軽微な負傷は日常茶飯事だったのだ。
脹脛を矢板で裂傷した時は流石に救急車を呼ばれた。しかし、鋼管に指を挟まれた時などは、救急セットのガーゼとテーピングでガチガチに応急処置をすませて、その日の終業まで仕事をこなしたのだ。
そのせいで、爪が曲がって生えてくるようになってしまったのだが。
ともかく、竜司郎の経験則からいってこの程度は重大な出血とは言えない。治療に駆け込む怪我でもない。救助を止める理由にもなりえなかった。
いざとなったら事の後に、マリーナに『治癒』してもらえばいいのだ。たぶん、『治癒』と一緒に、多少のお小言をもらうことになるであろうが……
(マリーナさんに『治癒』してもらうんなら、やっぱり船は救助したほうが格好いいよな……!)
マリーナの、怒ったような心配したような顔を思い浮かべた竜司郎の手に、力がこもった。一気に三ミリ、レバーが引かれた。毛細血管の破裂はものともしなかった。船が、目に見えて浮き上がる。
船側の穴が三つ。海面の上まで持ち上げられた。波も、穴には届いていない。
「こちらから、海蛇に空けられた傷が三か所見えます。他にも傷はありますか?」
竜司郎は浮きクレーンのスピーカーで、周囲の船員たちに聞いた。真っ先にセリーネが竜司郎の視界に入る。
「三か所です! それで全部です!」
セリーネはデッキの手すりから身を乗り出すようにして訴えた。竜司郎は強張った笑顔で頷いた。
竜司郎はセリーネの言葉に正直安堵した。これ以上の高さに船体を持ち上げるのはたぶん無理だったからだ。
(さて……ここまでがボスなら、こっからは裏ボスってところか……)
竜司郎は両手のレバーに力を入れたままだ。
毛細血管の破裂こそ収まったが、魔素は次々と魔力に変換され、レバーを伝ってジブへと供給されている。はたして救援が来るまで持つのか……?
浮きクレーンと、浮きクレーンで吊った船を揺らす波が、レバーを保持する両手に伝わり地味に辛い。港の様子を見ようにも、位置的に真後ろで確認のしようも無かった。
モリンも姿勢を保持したままだった。こちらに向く余裕もないのか、先ほどの軽口が嘘のように顔は項垂れていた。
(こうなりゃ根競べだ……)
(こうなったら根競べッス……)
船を吊ったままの主従は、心中で同じ決意を呟いた。
状況を保持する竜司郎とモリンを交互に見て、セリーネはハッと気づいたように手すりから身を離した。セリーネは船尾に避難している船員たちに呼びかけた。セリーネと船員たちが次々と船内に消えてゆく。
ややあって二か所の傷口から水が汲み出され始めた。浮きクレーンの操縦席から、傷口の中を動き回る船員たちの影がチラチラ見える。
竜司郎は三つ目の傷口から顔を覗かせるセリーネと目が合った。
「竜司郎さま!」
「水汲みありがとうございますセリーネさん!」
「お礼を言うのはこちらですわ竜司郎さま。……私もご助勢いたします!」
言いながらセリーネは浸水した船内に片膝をつき、左手の魔石を浸水した船内の水に漬けた。
マストを『強化』してやや小さくなっていたが、それでもセリーネの掌に余る程度の大きさはあった。ここで使うのが”取って置き”というものであろう。
セリーネは、右手を三つ目の傷口から出すと、魔石に魔力を込めた。
『水流踊操[すいりゅうようそう]!』
船内の水が左手の魔石から中空に流れを作った。そして船外を指示したセリーネの右手に導かれるように外へと流れだす。それを見たバケツリレーを担当している船員たちの士気は俄然上昇した。
「おぉ! お嬢!」
「こっちも任せてください!」
「俺たちも負けてられねえぞ!」
水が船外に放出されるにつれ、竜司郎と、モリンの負荷は目に見えて減少していった。竜司郎の両手を覆っていた青白い魔力が薄く霞んでいき、モリンの全身から放たれていた魔力の陽炎は霧散していった。そこへ……
「船だ! 旦那様の船だ! みんな、旦那様の船が来たぞ!」
望遠鏡をのぞき込んだま、船長が大声で叫んだ。




