━━━案件80 聖獣モリン 吊り具の確認はよいか?━━━
魔導スリングベルトから前足を離した途端、モリンはヨロヨロっと後ろによろめき、セリーネに支えられた。
「あ、ありがとうございまッス、セリーネさん」
「大丈夫ですか? 聖獣さん」
「いや~~ぁ、こっちに来てからここまでガッツリ魔力を使うのは初めてでして……」
「……こっち?」
「あ……え、っと……、こっちの国に来てからってことッス!」
大慌てで誤魔化したモリンは、浮きクレーンのキャビンに前足を振って、竜司郎に準備完了を伝達した。浮きクレーンの操縦席は甲板よりわずかに上。目線は通っているのだ。
「おーけーモリン。それじゃ早速作業開始するぞ」
「はいッサー御主人!」
竜司郎は、実は浮きクレーンは操縦どころかキャビンに座ったことすらない。
クレーン業務はもっぱらトラッククレーンが主で、ラフテレーンクレーンは教習所とOS物流のヤードで何度か動かした程度だ。
この救出作業においては、浮きクレーンに関する付与記憶と、トラッククレーンの実務経験が頼りなのだ。
(我ながら無謀な事やってるなぁ……)
竜司郎は少ない時間ながらも、浮きクレーンの操縦席を一通り見渡し、浮きクレーンの付与記憶と、トラッククレーンのレバー、ペダル、ボタンのすり合わせ作業に充てた。
もし、この海難事件を後で知ったとしても、流石に竜司郎も罪の意識や無力感に苛まれることはない。
立ち会えなかったことへの多少の悔恨は湧きあがるかもしれないが、竜司郎とて万能のヒーローを気取るつもりはないし、小市民らしく「気の毒だったね」と、見ず知らずの当事者に同情する程度だろう。
だが、何の因果か、竜司郎とモリンは、自らの力で状況を変えうる事件を見て、知って、立ち会ってしまった。
元々見て見ぬ振りができる性分でもなかったし、力を貸すとなれば、持てる力は可能な限り駆使したい。そして出来れば助けたいのが竜司郎と、そしてモリンだった。
竜司郎は旋回体をゆっくりと回転させた。フックを所定の位置に降ろすため、ジブの先端とマストの位置を調整する。
ジブ先端からの映像が操縦席のモニターに映し出された。前世界で竜司郎が乗ったことのあるラフテレーンクレーンよりも高画質だ。
操縦席の位置も、目視で船の甲板を程よく見渡せる高さにある。現場によっては建造物の向こう側に、モニターと合図者だけを頼りに荷物を降ろす場合もあるのだ。
それを思えば現場の難易度そのものは、そこまで高くないのではないか。
難易度というなら、海上であることと、竜司郎が実務経験が無いことが、この救出作業の難易度を上げている点であろう。
ジブ先端のモニターと、目視を頼りに、竜司郎は慎重にジブを傾けた。マストのヤードギリギリを狙ってフックを降ろす。
フックはマストに張られたロープを巧みに躱しながら、マストのふもとのモリンとセリーネの方へ降りてゆく。
(いいぞ……トラッククレーンと乗り味は変わらない。モニター性能も目視位置もいい)
初運転と完熟運転と救出作業を同時にこなす竜司郎。
ここまでは浮きクレーンの付与記憶と、トラッククレーンの実務経験が見事に合致し、脳や心臓が締め付けられるような緊張感も、嫌な汗もかいていない。
「おっけ御主人! フックもらいました!」
モリンが魔力を磁石のように利用して、フックを前足元に手繰り寄せた。左前足を器用に振って、テレキネシスのように魔導スリングベルトのアイ部を操り、カチャリとフックに引っかけた。
「魔導スリングベルト、フック取り付けよしッス!」
ぶんぶん、と両前足を振るモリンを目視確認すると、竜司郎はモニターと目視を併用してジブをマストの根元のほぼ真上に来るよう調整した。この位置からマストを吊り、斜めに傾いた船を姿勢を直す。
さて、ここからが本番だ。
竜司郎はレバーをゆっくりと引き、フックを巻き上げ始めた。すぐにゴンッ、という軽い衝撃が加わり、巻き上げが止まった。
モリンに目線を送る。モリンはマストと周囲と魔導スリングベルトを見てから、ぶんぶん、と安全を知らせて来た。竜司郎のヘルメットに装備されているインナーゴーグルの情報も青だ。
竜司郎はレバーをさらに引いた。
(重っ……てぇっ……!)
静電気に触れたような、バチっ、バチっという小さな感覚がレバーを引く右手に起こった。見ると右手に青白い魔力の滞留が見える。その滞留の中で、小さな光が点滅しているのだ。
浮きクレーンのジブと、竜司郎の腕、そしてレバーの引きと、吊り上げる力が連動しているようだった。レバーを一ミリ引くのに魔力はもちろん、筋力すら必要だった。
ギシリ、とマストから音がした直後、竜司郎はジブの先端を見た。予想通りわずかにジブがたわんでいる。魔力で編まれたトラス構造のジブでもたわむか。
竜司郎の最大魔力で編まれたクレーンの限界か、浸水で重量が増えた船が原因か。
ジブがたわんでいるということは、真上に吊るよう調整したフックの位置が、ジブの先端からわずかに向こう側にずれているということである。
このまま吊り上げれば、ジブがたわんだぶん重心がズレ、船を真っ直ぐ引き上げられない。
竜司郎はジブを起こしながら左の巻き上げレバーを引いた。たわみを、目視と経験から見切って、重心を調整しながら船を吊るのだ。
目視。吊りによる船の揺らぎはない。マストは青からわずかに緑に変色した。このまま、吊る。
(これで……起きろっ!)
グラリと船が揺れた。船首に避難していたセリーネと船長がたたらを踏む。浮きクレーンのフロートがわずかに波に揺れた。浮きクレーン後方の救命ボートから声が上がった気がする。
バチっバチっバチっ!
また静電気が発生した。今度は両手だ。体毛のあちこちも静電気で毛羽だっているように感じる。目線は船に固定したまま、構わず竜司郎はレバーを引いた。一ミリ、もう一ミリ……。
マストがゆっくりと起き上がるのが見えた。
竜司郎は不敵に笑った。あごを伝う汗もそのままに、指ににじむ血も気づかないままに。
モリンが、魔導スリングベルトに魔力を追加していた。両手でマストとスリングベルトを押すような姿勢。モリンの全身から青白い魔力がのたうつように揺らめいていた。
(やるな……! モリン!)
聖獣の御主人として、竜司郎ももうひと頑張りしなければ、なるまい。




