━━━案件59 ローファイン 聖者ジョージを繙く━━━
同じころ、ローファインの執務室。
ローファインは卓上に、情状請願の書類を丁寧に並べていた。ローファインが書類を検証する時の手法である。
魔導契約書への署名と証言は、五十人を超えていた。マシウス、マリーナ以外にも、ボンゴス、ゴードンなど、知っている人物の名前もいくつかあった。
証言は多岐にわたっていた。
工業ギルドの職人は竜司郎の骨惜しみしない働きぶりを証言し、警備隊とゴードンは竜司郎の恭謙な態度を証言し、市民からは好感の持てる言動、人当たりの良さ、冒険者ギルドの職員からは、契約への真摯さ、争いを好まない穏健さが証言されていた。
ボンゴスは、竜司郎と聖獣モリンに救われた救助の一部始終を切々と語り、西風団のメンバーは竜司郎が救助に協力すべきだった理由を、救助人員、現場状況、救助手段、時間的制約と、勤めて冷静かつ客観的に証言していた。
そしてマシウスは、飛野竜司郎と聖獣モリンを巡礼の道中で救出した経緯から、彼を皇国臣民として登録するまでの予定を文書で克明に記録していた。
それらは周到なことに魔導契約書に記され、『鑑定』の魔法で検証することで、時系列を辿ることができるように企図されて作成されていたのだった。
情状請願には、竜司郎が違法行為に及んだ経緯が、時と、場所と、人の面から多角的に立証されていた。
……それら数々の証言は、ローファインと部下たちが行った事情聴取、身辺調査、裏付け調査と全て一致していたのである。
竜司郎を擁護する証言が、たかだか半月そこらの期間で集められ、これだけ大勢の人間が魔導契約書へ署名するというのは、ローファインにとって新鮮な驚きだった。
マシウスの説得、聖獣の契約者というフィーズ教の教え、ボンゴス親方救出の恩義、翠玉光の三鑑定の儀、それらで底上げされたものとしても、やはり尋常な数字ではなかった。
「大変興味深い男です」
伯爵に語った自分自身をローファインは顧みた。それは奇しくもマシウスと同じ感想だったのだ。
昨日の面会。
マシウスは飛野竜司郎への所見を、しつこく追求することなく引き下がった。ローファインが思わず目線をマシウスに戻したことで、心境を察したのかもしれなかった。
昔からそうだった。物腰柔らかく、世話好きで、義理堅く、それでいて時々こちらを見透かしたような言動をする。
今回の情状請願も、ローファインが敢えてマシウスを動かそうと立ち回ったように見えて、本当はマシウスの方が、ローファインをそのように立ち回らせたのではないか?
それを裏付けるように、飛野竜司郎を裁く材料を集めようとして立ち回ったローファインの下には、飛野竜司郎の擁護となる材料ばかりが集まっているではないか。
いや、ローファインには決して竜司郎を重罪に処せんとする意図はない。彼はただ、法に従うだけである。
……ならば、飛野竜司郎に処すべき裁決は、既に示されているのではないか?
ローファインは、マシウスがしたためた情状請願に視線を移した。
マシウスの文字も、文体も、本人の言動と同じく柔らかく丁寧なものである。それでいてい言うべきところには、はっきりとした文言を選び、読む者の予断を許さない堅牢さも併せ持っているのだ。
(……変わらんな。皇国学院の頃と)
現在のマシウスは、当然のことながら若かりし頃よりも知識も経験も研鑽していた。それは彼が口癖のように言う載徳のように積み上げてきた成果として情状請願にも表れていた。
そして、飛野竜司郎を助けようとする意志は、情状請願を通読しただけで、マシウスの熱意のようなものすら伝わってきた。
研鑽と情熱で変えるべきところは変えつつ、変わらぬところは変わらぬマシウスのありようは、ローファインにとって決して不快なものではなかった。
だが、やはりローファインには分からなかった。
飛野竜司郎とマシウスは、出会ってまだ半月。確かに性格、人格は誠実で恭謙。そして希少なスキルも所持し、僅かな期間で載徳も積み上げてきたようだが、それだけでここまで手を尽くすものだろうか。
(聖獣……か)
情状請願の一文、聖獣モリンの記述にまで黙読を進めたローファイン。
マシウスの入れ知恵か、面会当日の聖獣は一言も発しなかった。配下の法務衛士たち、ロナーシア情報会のリルヴィアからの情報では、人懐っこく、社交的で、主人たる竜司郎にも率直に物申すと聞いていたが。
……もしやマシウスは、竜司郎ではなく、聖獣モリンのために主人たる竜司郎を救出しようとしているのだろうか。
マシウスが聖獣を尊ぶフィーズ教の神官であることを考慮すれば、ありうる話ではないか?。
(たしか聖者ジョージの伝記に、聖獣に関する話があったか……)
ローファインは、執務室の本棚から偉人列伝を取り出した。
アイル・グレスト皇国の法曹界では、名君の言行、忠臣の英断、聖者の偉業が判例と同等に扱われる。
「過去の偉大なる先達を参照し、公正なる裁決の道標とすべし」とは、皇国法の法運用の基本指針に明記されているのだ。領邦治安長官の執務室に偉人列伝があるのは、いわば判例集なのである。
「聖獣クロウを従えし聖者ジョージ・セナ、古代の秘法マナネットを復刻す……」
ローファインは、聖者列伝の一文を声に出して読み上げた。
翌日。アンセル伯爵お気に入りの城塔。
アンセル伯爵はローファインを再び昼食会に同席させた。飛野竜司郎の動向と、ローファインの心境の変化を知りたかったからである。後者に関しては伯爵はおくびにも出さなかったが。
「難渋しているようではないか? ローファイン卿」
伯爵はむしろ楽しげだった。あの峻厳で気難しい”石頭”が珍しく感情の波を揺らめかせているのだ。それも悪い揺れ方の波ではない。伯爵にはそれが良い兆しに思えたのだ。
「まったく、マシウスも面倒な男を助けてきたものです……」
呆れたような口調のローファインは、実際には難渋というほどに苦慮はしていなかった。伯爵もそれを承知でからかっているのだ。
思わず心情を口調に乗せてしまった迂闊さをごまかすように、ローファインは灰色牛の煮込みを口にした。飛野竜司郎に関わって以来、どうにも迂闊が過ぎる。
「……して、決裁の方向はどのようなものとする?」
伯爵は果汁水ワインのグラスをゆらゆらと弄んだ。法律に峻厳なローファインが、法律に則ったマシウスの情状請願をどう処理するのか。
「聖者ジョージの故事を判例とします」
アンセル伯爵はグラスをぴたりと止めた。今回の飛野竜司郎に対する決裁にふさわしい聖者ジョージの故事といえば一つしかない。伯爵はそれを思い浮かべた。
そしてその故事を判例とするということは、裁決の内容もアンセル伯爵には予想が出来た。
「分かった。私は領邦治安官として卿に全幅の信頼を置いている。その卿の判断に異論はない」
口調は主従のものだったが、アンセル伯爵は、甥の判断を称賛するようにワイングラスを掲げた。
この堅物を、聖者ジョージの故事にまで辿り着かせたのは、はたして誰なのか。飛野竜司郎か。聖獣モリンか。マシウス・ローズウッドか。それともローファイン自身が自力で辿り着いたのか。アンセル伯爵は、興味深げにローファインを見つめた。




