━━━案件53 伯爵と領邦治安長官の昼食会━━━
ローファインの午後の予定は、書類決裁でも捕り物でもなかった。
領主であり、叔父でもあるアンセル伯爵に呼ばれ、昼食を伴いながらの業務報告のため、伯爵の居城に出仕していた。
会食はアンセル伯爵お気に入りの城塔で行われた。ロナーシアの町と、ロナ川と、アーゾリア海が一望できる、伯爵自慢の城塔である。
料理人と給仕を控えさせ、楕円形のテーブルの上座に座ったアンセル伯爵は、ローファインの報告書を上機嫌で読み進めていた。
城塔には、風をの流れを誘導し軽減するドーム状の魔法壁が展開されており、風で書類が飛ぶことも、埃が料理に付着することも無いのだ。
アンセル伯爵は、おとぎ話に登場するディフォルメ化された王様のような、全体的に丸い体型で、福々しい丸顔の中年男性である。
外見の温和なイメージとは裏腹に、家督を継いで以降四半世紀、政治、経済、軍事という、領土経営の三本柱をいささかも揺るがせることなく、自領を発展せしめてきたのは、ひとえに彼の才覚によるものである。
中央法曹界を追われたローファインが、アンセル伯爵の招聘に応じたのは、単に血縁というだけではなく、才覚のある主の下で働きたいとの思いもあったからである。
叔父、甥とは言っても、アンセル伯爵とローファインは、十歳しか離れていない。アンセル伯爵の姉が二十歳の時の子がローファインである。
姉と同じ十歳違いということで、アンセル伯爵からしてみれば、ローファインは甥というよりも年の離れた弟といった存在であった。
厳格なローファインは、伯爵の親愛に感謝しつつも、叔父と甥、はては君臣の関係を弁えて接するよう努力しているのであった。
「卿が発案した周辺領主との治安維持連携案が施行されて、そろそろ一年になる」
「はっ」
「犯罪者も賊徒も目に見えて減って、反比例するように、民は安心して生き生きと働き、我が領土と周辺地域の経済は大いに活性化しておる」
「それはようございました」
「昨日、ゲルト子爵からそういう旨の感謝の手紙と進物が届いてな。音頭を取った私も鼻が高い。卿宛ての進物は、後ほど執務室に届けさせよう」
「ありがとうございます」
ローファインは一礼して白身魚のスープを一口すすった。ふんだんに使われた香辛料の辛みと、この時期にしか獲れない某とかいう白身魚の滋味が複雑な味わいとなって口の中に広がった。
アンセル伯爵が採用した周辺領主との治安維持連携案は、ローファインが中央法曹界に在籍していたころに提出した法案をスケールダウンして改定したものだった。
アイル・グレスト皇国の屋台骨とも呼べる皇国法は、依然その権威を誇示しているものの、現在の皇国はさながら小国家の連合体のように、各領主でバラバラな領法が幅を利かせ、皇国主体の統一された法規則が有機的に運用されているとは言い難い。
領主貴族の多くは、表面上巧みに皇国法を尊重しつつ、現場での法運用ではしばしば領法が優先された。有力貴族程ほどその傾向は強く、寄り子の下位貴族なども、寄り親の顔色を窺いその影に追い従う、という有様であった。
その現状に風穴を開けようと、ローファインを旗頭とする、当時の法曹界の若手グループが提出したのが”治安維持統一法”である。
現行の治安維持関連の法を刷新し、皇国法に基づく統一された法体系の下で、各領主が治安維持活動を連携して効率的かつ効果的に運用できるよう企図された法案であった。
この法案は鳴り物入りで提出され、貴族社会、中央政界、法曹界を大いに紛糾させ、そして潰された。
喧々囂々の議論と水面下で勃発した丁々発止の政治活動の末、皇国権力が領内政治へ浸透するのを忌避する有力貴族と、彼らの朋友である中央法曹界主流派が、法案の成立阻止に権力と財力を惜しみなく投入したのだ。
法案否決の決定に、安堵の笑顔と握手を交わしながら議場を後にする有力貴族と法曹界の重鎮たち。
議場の片隅から、それを無表情で、握った拳を震わせながら見送ってから十年近くになる。
その法案が形を変え、明確な功績となってローファインの下に帰ってきたことは、彼にとって喜ばしい出来事であるとともに、皮肉という名の香辛料が効いた出来事でもあった。
彼は自らの構想が間違っていなかった証明を得、皇国に統一された法制度を行き渡らせるには、知識と正論だけでは全くの力不足であることも思い知らされたのである。
グラスに半分ほど注がれた、果汁水で薄めたワインを一息に飲み干すと、アンセルは独り言のようにつぶやいた。
「ローファイン卿。私はそなたに、もう一度中央で辣腕を振るってほしいと思っている」
「閣下……!」
「そなたの才幹は、地方領主の使い走りで終わるものではない」
「ですが、閣下。私は──」
居住まいを正して言いかけたローファインを、アンセルは片手を上げて制した。
「分かっている。そなたが我が領地に赴任して三年。赫赫たる実績を積み上げてきたことは確かだ。だが、そんな地方で挙げた少々の実績では”中央の魔物”に太刀打ちできるとは思えんのだろう?」
「……」
「だからローファイン卿。私はそなたに、我が領地で味方を増やして欲しいと思っているのだよ」
「味方……ですか?」
真意を測りかねます、というローファインの口調に、アンセルは笑った。
「別に味方といっても人とは限らぬ。功績もそうだし、経験もそうだ。新しい技術でもいいし違う視点でもいい。そなたの、申し分ない知識と揺るぎない意志に味方が加われば、もしかしたら”中央の魔物”に一矢報いることができるかもしれん、と思ったのだ」
「……」
アンセルは給仕にグラスを促した。給仕が注いだ果汁水ワインを、また一息に飲み干すと、アンセルはからかうような笑顔を浮かべた。
「そのためにそろそろ、その”石頭”を、柔らかくしてみることから始めてはどうかな?」
籐カゴに盛られた白パンを一つつまむと、アンセルは軽く握ってみせた。
「なに、いきなりこの白パンのように柔らかくしろとは言わん。少しづつでいい。そうすれば、その柔らかくなったところに、心強い味方が座ってくれるかもしれぬぞ?」
「……努力してみましょう」
ローファインは、珍しく自信なさげに応えながら、彼のグラスに注がれた果汁水ワインのゆらめきに視線を落としていた。




