━━━案件44 竜司郎とモリン 初契約を締結する━━━
「……お二人ともお待ちください。まだ契約締結どころか契約書も完成しておりませんよ」
イルゼが冷静に言った。ボンゴスとデリオは、あっ、という顔をイルゼに向けた後、もどかしそうに頭をかいて座り直した。
「ええい、こんちくしょうめ。この後、他の現場もあちこち回らなきゃならねえのによ。イルゼちゃん。いつもどおりお任せでチャチャっと作ってくれねぇか」
「かしこまりました。過去の契約例に則って、依頼遂行にひとまずは一週間。依頼要綱の基本に則って、請負人の西風団には基本労務費用は必ずお支払いいただくということで。成功報酬は当ギルド規定の額を設定させていただきます」
ボンゴスは食い気味に同意した。ボンゴスの同意を確認すると、イルゼは竜司郎とモリンに向いた。
「竜司郎さん、モリンさん、契約内容につきまして、要望などありますか? 待遇、報酬、期間など、サインする前でしたらご自由に折衝が可能です」
「御主人どうっスか? 私はこういうのはどうも苦手で……」
「俺も正直苦手だよ、イルゼさんにお任せでいいんじゃないかと……」
「遠慮はいらねぇぜ竜の字。依頼者と請負人は、契約の前じゃあ対等の関係だ。今回はちょいと駆け足だが、お互い納得するまでツラぁ突き合わせてやりあうのが常よ」
「おかげで親方に何度かテーブルをひっくり返されたこともありますが」
「そりゃ昔の話だぜイルゼちゃん。それに今回はこちらが下手に出なきゃならねえ案件だ。ジョッキ一つ壊しゃしねえからよ」
「……それじゃあ、一点だけ」
竜司郎は思いついた懸念があった。初回、アルドとノルドの説得はボンゴス親方とファミリーが試行して失敗。そしてマシウス先生の説得で何歩か歩み寄りがあったものの、帰郷の意思はまだ氷解していない、という状況だ。
ここで竜司郎の交渉に、ボンゴス親方や、ボンゴスファミリーの面々が口出しをするようなら、前回と同じ流れを再生産するだけではないかとの懸念だ。それを阻止して竜司郎のやり方を通させてもらうためには、この機会を逃すべきではなかった。
「アルドさんとノルドさんの説得のやり方については、俺とモリン、そして西風団の一員に全権委任でお願いします」
ボンゴスは一瞬驚いた後、豪快に笑った。
「ホントに遠慮ねえな、おめえさんは。全権委任たぁふっかけてくれるじゃねえか」
「俺は押しに弱いんで、推しの強い親方に意見を言われるとたぶんそっちにグイグイ押されて流されてしまいます。そうなったら折角別の角度から説得しようと俺に依頼した意味がなくなってしまいます」
「なるほど、そりゃ道理だ。俺が横からチャチャいれたんじゃ、のっけの説得とかわりゃしねえし、俺が最初の説得方法から器用に変えられるなら、おめえさんに依頼するまでもねえからな」
「そこだけは、一つ、よろしくお願いします」
「わかった! 俺も男だ。任せたからには、おめえさんのやり方に協力しようじゃねえか」
「ありがとうございます。それじゃあイルゼさん、契約書の作成、よろしくお願いします」
イルゼは頷くと、手際よく書類を作成し、首から下げた印章に魔力を込め、記名欄の上段に捺印した。
イルゼから契約書を渡されたボンゴスは、ろくに見もしないでさっさと契約書にサインした。
「お、親方! そんなザッパにサインしていいんですか?」
「ははっ、心配には及ばねえよ竜の字。こちとらイルゼちゃんが新入りの頃からの付き合いよ。間違いなんざこれっぽっちもありゃしねえよ」
「ボンゴス親方には、長い間ごひいきにしていただいております」
イルゼは眼鏡をクイっと上げてわずかにほほ笑んだ。
マリーナの母、ルミーナのような例外ではないとすると、イルゼは容姿から推察して竜司郎の実年齢より間違いなく年上、アラウンドフォーティーといった年齢だ。ということはボンゴス親方とは20年来の付き合いということか。
「こう見えてイルゼちゃんも新人の頃は初々しかったんだぜ。それにつけこんで絡んでた冒険者のヤローを、俺が首根っこを掴んでだな……」
「親方、そのお話は、また次の機会に」
あくまで冷静にイルゼはボンゴスの昔話を切り上げ、竜司郎に契約書を差し出した。飾り枠の中に、ボンゴス親方の依頼内容、期間、達成目的、報酬などが奇麗な字で綺麗ににまとめられていた。
記名欄は三列。上段が冒険者ギルド。中断が依頼者、すなわちボンゴス。そして最下段が請負人の竜司郎である。
「飛野さま、こちらが契約書でございます。内容を把握し、同意いただけましたら、最下段にサインをお願いします。」
竜司郎は、ペンを持ったまま、契約書を読み直していた。前世界の分厚い契約書でなくて本当に助かった。一度サインしてしまえば法的な効力が発生する契約書へのサインは、細心の注意を払って臨め、と大森社長から訓示されていたのである。
大森社長は会社に不利な内容の契約書に、迂闊にサインをしてしまったばかりに過去に苦い経験を経ていたらしく、特に若手の社員に対しては折に触れて注意を喚起していたのだ。
「……ひの……りゅうしろう……っと」
「ほう、そいつがおめえさんの名前かい。東方帝国の言葉は、文字に意味が凝縮してるからおもしれえよな」
ボンゴスだけでなく、西風団の面々も、興味深げに契約書の名前に注目した。なんとなく気恥ずかしい竜司郎。
「そうですね。俺の名前の場合だと、原野を飛ぶ竜を司る男……みたいな意味になります。」
「いい名前じゃねえか。おめえさんの名前みてぇに、この契約もひとっ飛びに解決してくれりゃあ、八方丸く収まるってもんだ」
イルゼは竜司郎のサインを確認すると、スッとモリンの前に契約書を差し出した。
「今回、ボンゴス親方は飛野竜司郎さんと、モリンさんをご指名です。モリンさんにおかれましては、魔力を込めた右足で捺印いただくことで、契約承認とさせていただきます」
「私もサインできるんスか?」
「応よモリの字。おめえさんの度胸と働きぶりを、俺はガッツリ買ってんだ。今回の依頼もよろしく頼むぜ」
「お任せくださいボンゴス親方!」
モリンは目をキラキラさせながら、イルゼに促され、魔力をごくわずかに右前脚に込め、竜司郎の名前のとなりにペタリ、と捺印した。
ふぅ、と大仕事を終えたかのように額の汗を拭くモリン。イルゼはタヌキの足跡がついた契約書を満足げに見直すと、一同を見渡した。
「これにて、ボンゴス親方と、飛野竜司郎さん、モリンさん、ならびに西風団の皆様との契約は締結されました。契約は神聖なる誓いであると心得、依頼者、請負人、双方におかれましては、誠実に契約の履行にあたることを切に望みます」
イルゼの宣言に、一同は力強く同意した。




