━━━案件03 飛野竜司郎 人語を話す狸と出会う━━━
木漏れ日の揺らめきが竜司郎の瞼をくすぐった。
瞼をゆっくりと開くと、ぐるりと樹木に囲まれた青い空が見えた。
竜司郎は首を左右に振ってみる。どうやら岩の上に横たわっているようだ。ゴツゴツとした表面は人工物ではなさそうだが、それにしては綺麗な曲線の岩であった。
女神さまとのやりとりから、どれだけの時が経ったのかまるで見当もつかなかった。何日も経ったような気もするし、ほんの数分前の出来事のような気もする。
今度はかりそめの海ではなく、本当に異世界に転生したようである。
五感を通して直に感じられる風が運ぶ森の香りも、木々のざわめきも、時折聞こえる鳥のさえずりも、空と雲の眩しさも、いっそ懐かしいとさえ思えた。
転生して間もないからだろうか、脳がまだ覚醒していないからだろうか、四肢への命令伝達は鈍い。だが、かりそめの海とは違い体の自由は効きそうだった。
ぎこちなく体を起こそうとする竜司郎。
……なんだか妙に腹が重い。それでも体を起こそうとしたとき、腹の方から声がした。
「あ、やっと起きましたね御主人」
狸が腹に座っていた。
「狸が……喋ってる……」
首だけ起こした竜司郎は驚きも恐怖もなく、ただ事態を把握しきれない風であった。
「あの時、峠で轢かずに助けていただいた狸ッス。女神さまの言いつけで御主人のサポートをするようにと、一緒に転生させられ……いや、転生してきました」
「なんだって……」
狸は竜司郎の腹の上で後ろ脚だけで直立し、ぺこりと頭を下げた。
なるほど、傷一つついていない。あの時女神さまが少し言いよどんだのはこれが理由か。
敢えて狸の転生をうそぶき、竜司郎が慌てふためくさまでも期待したのだろうか。竜司郎は見てもいない女神さまのしたり顔を想像して苦笑した。
女神さまは、かりそめの海での慇懃な対応とはうらはらに、どうも一癖ある、なかなかに食えない性格のようだ。
狸は丸々とした冬毛で、茶褐色の毛並みは野生動物とは思えないほど艶やかで整っていた。
当たり前のように二本足で立ち、当たり前のように人語を話すこの狸も、竜司郎同様に転生時になんらかの補正を受けたものと思われた。
竜司郎が体を起こすのに合わせて、狸は腹から降りて、胡坐をかく竜司郎の前に座った。そしてくりくりとした眼を上目遣いに竜司郎のご機嫌を窺うように首を傾げた。
「あの……怒らないんスか?」
「なんで?」
「だって、御主人が異世界に転生する原因を作ったのは私ですよ」
人語を話す狸は、どうやら竜司郎の転生の責任を感じているようであった。
「だって、あれはわざとじゃないだろ?」
「そりゃ……まあ、私は餌を探してたまたまあの道に出たところに、御主人の車と遭遇したわけでして……」
転生直前の事故。
今こうして竜司郎と語るほどの高い知能を駆使してこちらの事故を誘発せしめた、とでもいうならここで狸を激昂してもとがめだてはされないだろう。
しかし、あの時の狸なら、人語を話す能力も人語を理解する知能もなく、ただ本能のままに活動していたはずだ。
竜司郎はそこを取り違えてとがめだてする気にはなれなかった。
「はは~ぁ。つまり、お前は女神さまからイレギュラーな事故を起こした責任を取らされる形で、俺と一緒に転生させられたってわけか」
「……お話が早くて助かりまッス」
神妙な態度のクセにどこかすっとぼけた風な狸の態度に竜司郎は顔をほころばせた。
「なら怒ってもしょうがないさ。右の擁壁じゃなくて左の崖に向かってハンドルを切ったのは俺だし。それに、お前だって女神さまのとばっちりをうけて無理やり転生させられたんだろ?。ある意味被害者だよ」
狸は丸っこい眼をさらに丸くした。
「達観してますね、御主人」
出会ったばかりの喋る狸に、思わぬ指摘をうけて竜司郎は驚いた。
「……そうかもな」
病気と事故で、相次いで両親を失って以来、竜司郎は何処か達観したようなところがあった。
病死した母には、未成年だったなりに手も心も尽くしたと思う。だが、病気自体には竜司郎は無力であった。そして父の事故死については文字通り全くの無力であった。
人生なるようにしかならない。
両親の死因が竜司郎の人生観、死生観に相応の影響を与えたことは間違いない。それが他人には斜に構えたように見えたようで諍いの元になったこともあった。
だが、異世界転生などと言う架空の絵空事を実体験しても、動揺はあっても正気が揺らぐようなこともなく、むしろ淡々と転生の現実を受け入れられたのは、この性格のおかげであるかもしれなかった。
「しかし、未知の世界でこうして誰かが傍にいるってのは正直心強いな。この世界は多分、どこを探しても俺を知ってる人間は一人もいない。それを考えると、な」
「私も心強いッスよ。御主人もいい人そうで安心しました。女神さまに問答無用で、イレギュラーの責任を取ってあなたも転生なさいって言われた時には、途方にくれましたもん」
「ふふふ……お互いえらいことになっちまったな」
「大丈夫ッスよ! 私も御主人も、スキルやアイテムをどっさり貰ったんスから、何とかなりますよ!」
狸は前足をぱたぱたと動かしながら喋る。
まったく不思議な光景だが、転生時の補正とやらでそのあたりの違和感は解消されているのか、達観した竜司郎の気性ゆえかは判断がつかなかった。
あるいは根明で楽観的なこの狸の性格かもしれない。これが根暗で悲観的な性格だったら、竜司郎もこの世界と前途に暗澹たる思いを抱いていたに違いない。
元々の狸の性格なのか、女神さまが性格を調整して付与したのか分からないが、竜司郎にとっては実にありがたい性格の相棒といえた。
「じゃあさっそくここの森から脱出する算段から考えるとするか。女神さまの言いつけ通り、俺のサポートよろしく頼むぜ」
竜司郎は自分からは転生事故の件には触れなかった。現状唯一ともいえる味方に、竜司郎は笑って握手を求めるように右手を差し出した。
「はい! お任せください御主人!」
狸は両方の前足で竜司郎の指をつまみ、軽く振って笑った。竜司郎も左手を添え笑った。
「……そうだ。俺の名前は、ひの りゅうしろう。呼び方は今のまま御主人で構わないが、俺はお前をどう呼んだらいい?」
「そう!それッス御主人。私の名前は御主人につけてもらうよう、女神さまから仰せつかってるんス」
「俺が?」
狸は語る。現在竜司郎と狸の主従関係は、いわば仮契約の状態で、竜司郎が名付け、狸がそれを了承することで主従の本契約が締結されるという。
「俺が名付けなかったらどうなるんだ?」
「その時は仮契約は解消されて、私はフツーの狸に戻るそうッス。そうなると、以後、御主人は女神さまから特典を授かったチート狸たる私のサポートは受けられないことになります」
しれっと自らをチート狸と称する狸。
狸が他にどんなスキルやアイテムを授かったのかは分からないが、とにかく人語を喋り、人間の竜司郎と語り合える時点で、目の前の狸は確かにチート狸と言えた。
人語を話すチート狸の助力を得られないというのは、文字通り一人ぼっちでこの異世界に放り出されることになるわけで、竜司郎にとって、それは正直なところ心細い。
竜司郎は、狸の能力的な面よりも、心理的な面から、狸のサポートの必要性を感じた。
「そのルートは是非とも回避しなきゃなぁ……仮契約の期限は?」
何気なく聞いただけの竜司郎であったが、狸はとたんにしどろもどろになった。
「期限? ……期限は……え~~っと……、たしか女神さまは一週間だか一年だかって言ってました!」
「……覚えてないんだな?」
「……面目ないッス」
前脚を頭に、てへぺろとでも擬音が付きそうな狸の態度に竜司郎は脱力した。
記憶面でのサポートは期待できそうにないし、格好いい名前は似合いそうになかった。
「分かった。最短の一週間以内に、いくつか候補を考えておくよ」
「いい名前をお願いしますよ! シャープで、スマートで、スタイリッシュなやつを!」
竜司郎の心境を知らぬが仏とばかりに、狸はニコニコ顔で無理難題を押し付けてきた。




