━━━案件135 乗れない貴族 乗れる平民━━━
「……そうだ、レイ。ヴァレンに何事か吹き込んで、演習の予定を変更したのは、卿の采配か?」
「……何のことでしょうか、叔父上?」
レイモンド・ローファインの愛称を呼んだアンセル伯爵に、ローファインは不器用にとぼけてみせた。向かいの家令リュベンスも、素知らぬ顔をしている。
アンセル伯爵は、合同演習にかこつけて水上バイクに乗ろうと画策していた。
緊急会議の折、それをいち早く察知した家令のリュベンスは、ローファインと結託してヴァレンを説得し、作戦日程を変更したのだった。
当初、討伐隊はサーマニア島での演習と訓練を終えた後、一度ロナーシアへ帰港する予定であった。
しかし、変更後の計画では、訓練で重大な支障が認められなければ、そのまま海竜討伐へ移行することになっていた。
訓練によって確立した艦隊と冒険者たちの連携を、そのまま実戦に持ち込める。
また、一度ロナーシアへ寄港すれば、里心が芽生え、せっかく高まった士気や戦いに向けた緊張感が緩んでしまう可能性もある。
海竜に対するにあたり、少しでも勝利の確率を高めようというときに、帰港はかえって逆効果になりかねない。
それが、日程変更の主な理由であった。
兵站に関しては、ゲルト子爵の協力によって、ゲルト子爵領からサーマニア島への安定した補給路が確保されていた。
よって、補給のためにロナーシアへ一時帰港する必要もない。これらの変更は、参加する領邦軍の将兵、メルクス商会の船員、そして冒険者たちにも事前に告知され、了承を得ていた。
「……確かに、海竜討伐前の大事な時期に、私の我が儘を押し通すのは好ましからざることであろう。だが、私が水上バイクに乗ることで、士気を鼓舞できるし、その安全性を示すことにもなろう」
なおも食い下がるアンセル伯爵。
そこには、命懸けで出撃する討伐隊に対して、直接声をかけてやる機会があったのではないか、という思いも含まれていた。
「お気持ちは分かります、叔父上。ですが……」
ローファインは一度言葉を切り、改めて伯爵に向き直った。
「閣下ほどの御方にご搭乗いただくには、水上バイクの安全性と信頼性が、現段階では十分に確認されておりませぬ」
ローファインは、アンセル伯爵の抗弁を退けた。
エドマンド・アンセルは伯爵である。
ローファインは、アンセルの貴人としての立場を慮ったのだ。
現状、飛野竜司郎と聖獣モリンが召喚する魔導車両には、未知の部分が多すぎる。その希少性や利便性に目を奪われれば、思わぬ陥穽に陥りかねない。
特に魔法は、現在でも未知の領域が多く、研究や使用に制限や禁止の措置が下されているものも少なくない。
竜司郎とモリンの魔導車両についても、どのような条件で召喚が維持され、いかなる状況で使用不能になるのか、十分な検証が済んでいるわけではなかった。
そのような乗り物に領主を搭乗させることは、警護上の危険が大きすぎる。
また、貴人がむやみに平民と接しないよう教育されているのは、権威を保つためだけではない。
不逞な輩の害意に対する警戒という意味もある。
対抗派閥から差し向けられた暗殺者、醜聞を捏造しようとする敵対者、支配者への怨恨を募らせた平民……。
そうした害意に対する最も効果的な対抗手段は、そもそも近づけぬことである。
特にアンセル伯爵は珍しいもの好きで、平民とも気さくに接する性格である。
彼を補佐し、守護する立場のリュベンスやローファインからしてみれば、今回の対応は当然のことであった。
「まったく……貴族だ伯爵だと言っても、ままならぬことが多いものよ」
アンセル伯爵は、上品な所作で切り分けた灰色牛の香草焼きを、やや乱暴に口へ運んだ。
リュベンスとローファインは、伯爵の心情を思いやって顔を見合わせた。
「……そうはいってもローファイン卿、今回の討伐作戦は、その水上バイクを主軸に構築されておるというのは、皮肉な話ではないか?」
ローファインに水を向けたのはリュベンスだった。
伯爵の心情を汲みつつ、竜司郎とモリンの立場を確認する。
「法的には、現行の魔法行使に関する法律で対処できております。竜司郎もモリンも、その点はよく心得ており、現在は法の定める範囲内で魔法を行使しております」
ローファインの言うとおり、法的には問題がないということか。
「……それにリュベンス殿、水上バイクの操縦は、前回の遭遇戦と同様に竜司郎とモリンが担当し、緊急事態でもない限り、我らが海軍の者が操縦することはない、と伺っております」
「ふむ……」
「私が調べた聖獣の加護に関する仮説が正しく、加護の恩恵を受ける彼ら自身が魔導車両を操っているのならば……」
ローファインはそこで一呼吸置き、今度はアンセル伯爵に顔を向けた。
「彼らはきっと、無事に帰還することでしょう。その時に改めて、彼らの魔導車両について、しかるべき機関に調査を依頼されるのがよろしいかと」
「そうだな。そこで魔導車両の安全が確認されれば、それで私も晴れて彼らの車に乗れるというわけだ」
「……その調査の内容次第では、新たな法を制定する必要があるやもしれませんが」
「「……」」
アンセル伯爵とリュベンスは顔を見合わせた。
どうやらローファインは、冗談を言ったようであった。
不意打ちにも似たローファインの冗談に、アンセル伯爵とリュベンスは、一呼吸置いてからようやく気づいた。
「おおおっほほっ!」
「わはああああっ!」
「どぅおおおぉぉ!」
魔導水上バイクの後部座席。
三船長のベルトナー、ブルック、クライスは、竜司郎とモリンの水上バイクに試乗し、サーマニア島の周辺海域を疾走していた。
ベルトナーとクライスが竜司郎の水上バイクの後部座席に、ブルックがモリンの水上バイクの後部座席に乗っている。
いきなり最高速度で疾走するほど竜司郎もモリンも無軌道ではない。現在の速度は馬の全力疾走とほぼ同じ時速約60km。それでも馬よりも視点が低いため、体感速度は思った以上に速い。
三船長の、歓声とも奇声ともつかない声が、サーマニア島の岸壁と波間にこだまする。
サーマニア島は、いびつな八角形のような形状の島で、ミューラ半島側には浜辺が広がり、その反対側は岸壁となっている。
討伐隊の船四隻は、浜辺と岸壁の境界に設けられた港に停泊していた。
緊急時の避泊港だけあって、大型ガレオン船三隻とヴィクトーリア号が、十分な間隔を取って投錨できる広さと水深を備えている。
海竜討伐隊は、航海の途中で水上バイクのお披露目や軍船と民間船の連携訓練をこなしながら、サーマニア島に到着していた。
現在は交代で休息を取りつつ、停泊中の警戒と翌日の訓練に向けた準備が進められている。
そんな中、竜司郎とモリンは、海軍士官たちにも水上バイクを体験してもらうことにした。
西風団に水上バイクを指南したときと同様、まずは乗ってもらい、その性能と乗り心地、速度や加速時の負荷を体感してもらおうというのだ。
論より証拠、である。
ヴァレンは首肯し、ベルトナーとクライスは同意し、ブルックは食いつかんばかりに竜司郎の手を取った。
そしてヴァレンによって三船長が試乗者に指名され、こうして海軍士官たちのマリンレジャー……ではなく、水上バイクの訓練を体験してもらっているのだった。
「いかがですか、ベルトナー船長、クライス船長」
竜司郎は少しだけ後ろを向いて、後部座席の船長たちに語りかけた。
不可視のカウルで風も波も抑えられている。大声を出さなくても、声がちぎれ飛ぶことはない。
「素晴らしいな! 実際に乗ってみると思ったよりもずっと速い」
「本当に、海の上を馬で走っているようですな!」
「ご満足いただけてなによりです。この経験を作戦の参考にして下されば幸いですよ」
竜司郎は満足げに頷くと、モリンとアイコンタクトを交わし、港への帰路についた。
モリンの水上バイクでは、後部座席のブルックが子供のようにはしゃいでいる。身体は魔法の力で座席に吸着する仕組みであるが、傍目に見るとどうにも危なっかしい。
「でもまあ、それも西風団のみんなで経験済みだし……」
竜司郎は、かつて後部座席で大はしゃぎしていた西風団の面々を思い浮かべながら、彼らの待つ港の桟橋へと舵を切った。




