━━━案件134 アンセル伯爵と白パンとローファイン━━━
アンセル伯爵城。南の城塔。
午前中、アンセル伯爵は、海竜討伐隊が出航する姿をここから見守っていた。
討伐隊の出航時刻には、高位貴族や中央政界の要人との魔鏡通信による会談が予定されており、アンセル伯爵はそちらを優先せざるを得なかったのだ。
せめて魔鏡通信で声をかけてやるべきだったか。それとも、精霊魔法で声だけでも届けるべきだったか。
司令官のヴァレンには、伯爵からの激励の言葉なるものを託してあった。それでもやはり、直接語り掛けるのとは重みが違う。
命を懸けて戦いに赴く者たちに対して、いかにもおざなりで、不誠実な対応だったように思えたのだ。
海竜がロナーシアに攻めてきたとでもいうのなら、あるいは予定を断っても咎め立てはされなかったであろう。
しかし、そうではなかった。
子飼いの兵たちを見送るため、などといえば、高位貴族の中には「我が会見より兵の方が大事か」と、難癖をつけられ、いらぬ争議の種になりかねないのである。
少なくとも貴族社会では、貴族同士の約束と時間は、平民のそれとは比べ物にならないほど重んじられる。
伯爵たる彼自身が、その規範を蔑ろにするわけにはいかなかった。
(昼食会を予定しておいてよかった……)
待ちに待った昼。
午前の公務を終えたアンセル伯爵は、海竜討伐隊を見送った南の城塔で昼食会を開いた。
相手は家令のリュベンスと、領邦治安長官のローファインである。
胸の内に澱のように沈んだ後悔と、貴族社会のしがらみに対する憤懣。それらを少しでも晴らすために、アンセル伯爵は、信頼のおける家臣たちとの忌憚ない会食を望んでいたのだ。
「両人には苦労をかけたな」
果汁割りワインのグラスを片手に、アンセル伯爵は二人の労をねぎらった。リュベンスとローファインは、揃って頭を下げる。
海竜討伐が決定してからこの方、兵站に関わる物資調達と財政面の調整をリュベンスが、法的手続きと関係各所との折衝をローファインが担っていたのだ。
二人は伯爵の意向を適切に汲み取りながらも、必要とあらば遠慮なく意見を具申し、計画を磨き上げていった。
その仕事ぶりは、依頼主の意向を汲み取り、自らの経験と技量を尽くして作品を仕上げる、熟練の職人芸にも通じるものがあった。
伯爵にとって、そのやり取りは、腹の内と言葉の裏を探り合う貴族や政治家との会見とは比べ物にならない、心地よい充実感をもたらしてくれたのだ。
「……それにしても閣下。保護観察中の飛野竜司郎と聖獣モリンに出会うために、随分と迂遠な手を使われましたな」
ローファインも果汁割りワインのグラスを手に取り、一口含んだ。
「ん……? 何のことかな?」
わざとらしくとぼけるアンセル伯爵。その返答に笑ったのは、家令のリュベンスである。
彼は先代アンセル伯爵の頃からアンセル家に仕える重臣で、伯爵とローファインの関係もよく知っていた。
リュベンスは、アンセル伯爵が保護観察中の飛野竜司郎と聖獣モリンに、余計な憶測を招かず公的な立場で会えるよう、阿吽の呼吸で緊急会議の参加者を調整したのだ。
「……して、如何でしたか? 飛野竜司郎と聖獣モリンは」
ローファインは、何か思うところがあるのか、白パンを片手に謎かけをするような口調でアンセル伯爵に問うた。
「うむ、聖獣モリンはモフモフの手触りであったぞ」
「……」
ローファインは、嬉しそうなアンセル伯爵に小さなため息をついた。
からかわれているのは、ローファインも分かっている。
彼は表情と心境をごまかすように、白パンを小さくちぎって食べた。
「……そなたの言う通り、飛野竜司郎は大変興味深い男だ。その人となりも、そのスキルも、な。……のぅ、リュベンス」
「まことに。報告にある数々の魔導乗用車両を召喚するスキルも含め、我が領内でも最重要に位置づけるべき者たちでございましょう」
「そういう意味では、一年間の保護観察で我が領土に留め置いたのは、禍を転じて福と為す、とでもいうべきかな」
「……ですが、飛野竜司郎と聖獣モリンは、海竜討伐隊の一員として、航海に出ております」
リュベンスに言われて、アンセル伯爵は長い息を吐いた。
そうなのだ。折角のレアスキルを持った一人と一匹は、今、海竜討伐という死地へと向かう準備をしているのだ。
アンセル伯爵の胸中には、あたら希少な者たちに死を賭けさせた後悔と、彼らが討伐隊にいれば、この難局も何とかしてくれるかもしれないという期待が、今もせめぎ合っているのだ。
「……”聖獣の加護”なる説があるそうです、閣下」
思い切ったように、ローファインが口を開いた。
飛野竜司郎と聖獣モリンに関わって以降、ローファインは時間を見つけては、希少スキルと聖獣について調べていた。
ロナーシア情報会を通じて情報を集め、図書館に通い、書物を取り寄せ、時には皇都の友人たちをも頼った。
その調査の中から浮かび上がってきたのが、『聖獣の加護』なる説であった。
ローファインは我知らず、新法の立案や法案の審査に取り組むときと同じような情熱で、竜司郎とモリンの周辺事情を調査していたのだ。
「ほう、聖獣の加護とな?」
「はい。ですが、現在も各方面に協力を依頼して調査中でありますゆえ、私も迂闊な断定は申し上げられません」
「よい。申してみよ」
アンセル伯爵に促され、ローファインは一呼吸置いた。リュベンスも興味深げな表情で、ワイングラスを置いた。
「そもそも聖獣自体が希少な存在ゆえ、研究もままならず、多くは伝承の域を出ません」
ローファインはそこで一度言葉を切った。
「……それでも、過去に聖獣と関わった者たちの証言や伝聞を集め、精査していくうちに、おぼろげながら共通するものが見えてきたのです」
「……それは?」
「聖獣と行動を共にした者たちは、不思議な幸運に恵まれ、幾度となく危機を切り抜けていた……そのような共通点が見受けられるのです」
アンセル伯爵とリュベンスは、揃って身を乗り出した。
あり得る話かもしれない。
有名なところでは、かの聖者ジョージ・セナと聖獣クロウの逸話もある。
マナネットを復刻せしめたかの聖者も、魔術の研究に没頭するあまり、魔術師ギルドの奥に引きこもってばかりいたわけではない。
今回の飛野竜司郎と聖獣モリンのように、冒険にも身を投じ、海を、陸を旅していた。
その先々での人々との交流や、彼らがもたらした幸福と恩恵は、いくつもの伝承や教訓、聖者の昔話として語り継がれているのだ。
「……申し訳ございません。閣下のご心労を少しでも和らげられればと思い、ご報告したのですが……」
ローファインは、真面目な表情で頭を下げた。
「現段階では、聖獣と共にあった者たちの力量ゆえである可能性もあり、あくまで憶測の域を出ぬ話です。どうか、お忘れください」
今までの彼なら、よほどの確証が得られなければ、このような話はするまい。
アンセル伯爵は、過日ローファインに諭した白パンの例えを、彼なりに実行しているように思えて嬉しくなった。
「もし、その聖獣の加護とやらがあるのなら、海竜討伐に飛野竜司郎と聖獣モリンを参加させたのは、英断であった、とならぬか?」
頭を上げたローファインは、伯爵の期待に応えられないことがもどかしいのか、困ったような表情を浮かべた。
「……あくまで、私の仮説が正しければ、ですな」
「では、ひとつ信じてみるとしようか。聖獣の加護と、聖獣と契約した聖者の候補を」
アンセル伯爵は、どこか安心したように柔らかく笑い、果汁割りワインのグラスを目の高さに掲げた。




