━━━案件133 竜司郎の決意 マリーナの決意━━━
三日後。ロナーシア左岸。
アンセル伯爵の居城がそびえる小高い山。その麓に広がるのが、ロナーシア軍港である。
アーゾリア海に面した扇状の海岸線に沿って建設されたこの軍港は、最大五十隻もの艦船を収容できる泊地を有していた。
ミューラ半島東岸において、ロナーシアが重要な海軍拠点として機能していることを示す、堂々たる規模である。
今、その軍港には、海竜討伐のために選抜されたアンセル伯爵領海軍の将兵と、民間からの参加者たちが集結していた。
出動する軍船は、大型ガレオン船三隻。
各艦には、水兵百五十名と海兵二百五十名が乗り組む。
水兵が総勢四百五十名。海兵が総勢七百五十名。
合わせて千二百名もの将兵が、海竜討伐に臨むことになる。
さらに、メルクス商会からは総勢百名が参加する。
海竜初戦から引き続き参戦する水夫たちを中心に、商会の護衛団も加わった。彼らが乗り組むのは、修理と改修を終えた大型キャラック船ヴィクトーリア号である。
整然と整列した海兵や商会の船員たち。
その横で、やや雑多な列を形成しているのが、急遽募集された冒険者たちであった。
総勢十二名。
彼らは、海竜討伐への参戦を自ら希望した、命知らず……もとい、勇敢な有志たちである。
西風団が前線に出て海軍の支援活動に当たるという大筋が決まってから、ヴィクトーリア号の防衛戦力を補うために選抜されたのだ。
選抜条件は、決して緩いものではなかった。
まず求められたのは、海竜初戦で有効だった魔法の数々を、部隊として再現できること。
即ち、マリーナの『護障壁』に相当する防御魔法、セリーネの『強化』に相当する補強魔法、そしてリルヴィアの『水流操踊』に相当する水流操作魔法。
これらの能力を持つ者を中心に、互いの不足を補い合える人員を揃える必要があった。海竜初戦で得られた教訓を生かさなければ、再び海竜の攻撃を受けたとき、船を守り切れる保証はない。
そして、もう一つの条件が戦闘経験である。
船上という不安定な足場での立ち回りに加え、不測の事態にも冷静に対応し、仲間と連携して行動できる判断力が求められた。
腕っぷしの強さだけではない。一定以上の経験に裏打ちされた、確かな実力が必要となる。選抜された冒険者がほぼ銀級で構成されたのは、ある意味必然であった。
訓練海域として選定されたのは、サーマニア島近海である。
ロナーシアから北へ向かう航路の近くに位置するこの島は、航海上の目印であるとともに、緊急時の避難場所としても機能していた。
サーマニア島が選ばれた理由はいくつかある。
まず、海竜と遭遇した海域に、潮流や風の条件が似ていること。
そして、緊急時には島の泊地に退避できること。
さらに、主要航路から一定の距離を確保しつつ、軍船が海竜討伐に向けて訓練する姿を示すことで、民間船や沿岸住民に安心感を与える狙いもあった。
もう一つ、大きな理由がある。
サーマニア島とその周辺海域を領有する、ゲルト子爵の協力を得られたことである。
ゲルト子爵はアンセル伯爵とも懇意の貴族であり、かつてローファインが提唱した近隣領主との治安維持連携案によって、ひとかたならぬ恩恵を受けた領主でもあった。
魔鏡通信によって伝えられた海竜の存在は、ゲルト子爵にとっても一大事であった。
彼は即座にアンセル伯爵へ協力を申し出ると、後方支援を約束し、サーマニア島近海を訓練海域として利用できるよう取り計らってくれたのである。
「……以上が、本訓練の概要である。質問は?」
拡音石を通じて、司令官ヴァレンが参戦者たちに語り掛けた。
質問の声は上がらなかった。海軍も、メルクス商会も、冒険者も。
それぞれが任務の詳細と重大さ、そして命の危険を十二分に理解したうえで、この場に立っているのだ。
「よろしい。以上で本訓練の点呼を終了する。各員、出航準備にかかれ!」
「「「はっ!!」」」
ヴァレンの号令のもと、参戦者たちは迷いのない足取りで、それぞれの船へと向かっていった。
竜司郎とモリンは、桟橋へ向かう前に、ちらりとロナーシア右岸の商港へ視線を向けた。
ここは軍港であるがゆえに、一般市民の立ち入りは禁止されている。
先だってのように、ボンゴスファミリーやメルクス一家の見送りはない。
たったそれだけの、何でもないことだった。
しかし、いつしかロナーシアを故郷のように感じるようになっていた二人の胸に、思いがけない寂しさが湧き上がった。
「……モリン」
「……ん? なんスか、御主人」
竜司郎は、トートバッグに収まった奇妙な相棒に視線を落とした。くりくりとしたモリンの目と、視線が合う。
奇妙な関係だった。
狸が原因で転生してしまった人間と、人間が転生する原因になったために、転生に巻き込まれた狸。
そして、転生して約三か月。
助けて、助けられての三か月。
竜司郎にとっては、すでに一年は経過しているのではないかと錯覚するほど、濃密な時間と経験であった。
コイツのせいでもあり、コイツのおかげでもあった。
喋るタヌキにも馴染み、剣と魔法と神のいる異世界にも馴染んでしまった竜司郎は、どうやらこの世界そのものにも、馴染んでしまったようだった。
「モリン……必ずここへ、ロナーシアへ帰ってくるぞ」
「もちろんッスよ御主人! ……みなさんを連れて、ね!」
「おう、もちろんだ!」
トートバッグから器用に抜け出したモリンは、竜司郎を先導するように桟橋へと向かっていった。
桟橋には西風団。ルーク、マリーナ、チャコ、マーカス。
彼らの向こうには、ヴィクトーリア号の船員たちと声を掛け合うセリーネ。その隣にはヴェスタとリルヴィア。
彼らと一緒に、必ずロナーシアへ帰ってくる。
竜司郎は、モリンを追って駆けだした。
やがて、三隻のガレオン船とヴィクトーリア号は軍港を離れた。
船団が港外の安全な海域へ出たところで、最初の実演が行われることになった。
魔導水上バイクのお披露目である。
「おおおぉぉっ!」
「あれが魔導水上バイクか!」
「なるほど、水上を走る馬とはよくいったものだ」
「なんて速さだ! 見ろ、もうあんなところに……」
「これは海戦の常識を覆すのではないか……!」
「乗ってみたい……」
手の空いた海兵たちは、水上バイクに釘付けであった。
竜司郎とマリーナ、そしてモリンとルークが、それぞれ二艇の水上バイクに乗り込み、ガレオン船の周囲を走っているのだ。
朝の点呼に先立ち、水上バイクの性能をぜひ見たいという三船長、とりわけアーネスト号の船長ブルックと、海兵たちからの熱望が寄せられていた。
ヴァレン司令官はこれを了承し、船団の針路と速力を維持したうえで、航行範囲を指定して実演を許可したのである。
マリーナは竜司郎の後ろで、船から乗り出さんばかりの海兵たちに、笑顔と元気を振りまいている。
厳正なるくじ引きの結果、セリーネとの激戦に打ち勝ったマリーナは、見事、竜司郎の後部座席を射止めたのである。
竜司郎は海兵たちの反応に気をよくしたのか、少し調子に乗って、船団の行く手へと一気に加速した。
海竜との初戦でスキルが解放され、モリンとの活動範囲は、それまでの3.7kmから三倍の11.1kmにまで拡大されていた。
もっとも、今日の実演でそこまで離れる必要はない。
指定された航行範囲の中で、竜司郎は水上バイクを思い切り走らせた。
見る見るうちに、船団が遠ざかっていく。
マリーナは、背後へ小さくなっていく船団を振り返った。四隻の帆船が、青い海の上に並んでいる。
「……竜司郎さん」
「ん? どうしたの、マリーナさん。ちょっと速かった?」
「ううん、そうじゃなくて……」
マリーナは少しためらうように間を置き、そして意を決したように言った。
「……必ず一緒に、ロナーシアへ帰りましょうね!」
竜司郎はドキリとした。
それは出航前、竜司郎がモリンに語った言葉に酷似していたからだ。
「もちろんだよマリーナさん! ……みんなと一緒に、な!」
「はいっ!」
竜司郎は、水上バイクを反転させた。船団で待つ、みんなのもとに帰るためだった。




