━━━案件132 大鷲の翼 マシウスとファリソン━━━
ロナーシア右岸。商業地区の一角。酒場”夕凪”。
会議が終わり、ファリソンは仔細をお付きのマスター補佐たちに任せると、マシウスと共にこの酒場にやってきた。
酒場夕凪は、緊急会議議場である公会堂からもほど近く、静かな雰囲気で、気心の知れた相手と胸襟を開いて語り合うには絶好の酒場である。
ベアートリクス号が帰還してすぐ、リルヴィアとロナーシア通信の働きで、海竜遭遇の報は、いち早くロナーシア主要組織に届けられた。
それからの緊急会議と、ロナーシア市民のあわただしい動きは周知のとおりである。
その中でマシウスとファリソンは、伯爵の意向と互いの意図を読み取って、まるで綿密に打ち合わせたように連携したのであった。
「やれやれ、今日の会議には何が何でも出席してくれ、と言われた時には何事かと思いましたよ」
「嘘つけ。どうせ俺の使いが来る前に、海竜遭遇の情報から、その後の展開も予想してたくせに」
ファリソンは笑いながら蒸留酒を一口あおる。
かつてミューラ半島で名を馳せた冒険者グループ”大鷲の翼”の元リーダーは、久しぶりの現場復帰に静かに血をたぎらせていた。
とはいえ、相対するのは海竜。たぎらせた血の中には相応の緊張感も流れていた。
海竜と戦うにあたって、かつての仲間が、一人でもすぐそばにいてくれるというのは実に心強い。
「おかげでルミーナには、事後承諾という形になってしまいましたよ。御機嫌を直すためのケーキ代は、冒険者ギルドに回してもいいですか?」
「そう言うな。俺だって海竜は怖い。お前を引き入れることで、少しでも生き残る確率が高くなるなら、迷う話でははないさ。どのみちフィーズ教会にも協力要請は行くんだからな」
ファリソンは、伯爵から協力要請が届いたフィーズ教会が、どう動くかについても予想していた。
教会が政治的な思惑を乗せて、人事や指揮系統に口を出してくる可能性は十分にある。ならば、その前に先手を打っておくに越したことはない。
ファリソンは、元”大鷲の翼”の仲間という立場を利用して、マシウスを冒険者側の指揮補佐に迎え入れたのだ。しかも、アンセル伯爵の臨席する公開会議で、マシウス本人の承諾を得ている。
教会の人事権そのものを封じたわけではないが、少なくとも今回の討伐作戦における役割は、これで明確になった。
フィーズ教会の権威と権力は、貴族といえども蔑ろにはできない。
フィーズ教は皇国の国教であり、アイル・グレスト皇国建国にも大きく貢献した歴史がある。
幾度もの宗教改革と政治改革を経て、かつての権勢こそ失われたものの、その影響力は今なお大きい。
何より、神依魔法という、他に代え難い力がある。
神の御手を借りた魔法の数々は、皇国建国以前から、数え切れぬほどの奇跡を起こし、人の命と、人の未来を救ってきた。
現に海竜との初戦でも、フィーズ教神官のマリーナが『護障壁』をもって海竜の突撃を防いだという。ベアートリクス号の船員たちが一人も命を落とさず帰還できたのも、彼女の『治癒』によるところが大きい。
ロナーシア支部の誰かが、その功績を組織の名声につなげようと考えても不思議ではなかった。支部の発言力を高めるために利用するかもしれないし、中央教会での人事に結びつけようとする者もいるだろう。
「まったく面倒な話さ。だからこそお前にはある程度自由な立場で動けるようにしてもらいたかったのさ」
「ありがとうございます。私も身近に気心の知れた方がいるのは、正直心強いです」
マシウスは裏のない笑顔をファリソンに向けた。ファリソンは、マシウスの無欲さ、あるいは無頓着さに苦笑するしかない。
マシウス・ローズウッドは、その気になれば中央教会でも辣腕を振るえる逸材である。
皇国学院を優秀な成績で卒業し、冒険者としても金三級の肩書を持つ。フィーズ教神官として再出発してからの実績も、ロナーシア市民なら知らぬ者がない。
実力と実績と人望を兼ね備え、それでいて主流派の思惑にも迎合しない、自立心の強いマシウス。
それほどの人物が、今もロナーシア支部教会の、さらに南支部で務めている。
教会の主流派にとっても、彼を中央から遠ざけておけるというのは、都合がよいのかもしれない。
本人が望んだ道であるのは分かっている。
分かっているが、はた目にはマシウスが教会主流派の思惑におめおめと従っているようにも見える。そう考えると、ファリソンは少々歯がゆくもなるのだった。
「……それに、これで堂々と愛娘のマリーナを守護できるだろう?」
「……」
マシウスは応えず、少しだけ笑って、グラスに半分ほど注がれた蒸留酒を一気にあおった。
「……いやはや、冒険者ギルド副マスター、ファリソンのお気遣いには、感謝の言葉もありません」
照れくさそうに、マシウスは夕凪のマスターに蒸留酒の追加を注文した。
「厄介なものですね、冒険者の子供を持つというのは。……私たちの親も、同じ気持ちだったかと思うと、これも因果でしょうか」
「まったくだ。俺の倅は官吏になってくれたおかげで、多少気持ちも楽ではあるが……」
ファリソンの息子は父の跡を継いで冒険者にはならず、中級官吏試験に合格し、現在はアンセル伯爵領に隣接する、ゲルト子爵領で文官として奉職していた。
父としては息子の官吏試験合格を喜び、手堅い選択に安堵したものの、父とは違う道を選んだことに、一抹の寂寥感も否めなかった。親心とは厄介なものである。
「マリーナは幼少の頃から、修行と称して連れまわしてしまいましたからね。私もあの子の素直さに甘えて、少々自分の考えを押し付けすぎていたのではないか、と反省しております」
「……」
「ですから、あの子が冒険者として活動したいというのならば、私としては喜んで送り出したいところなのです」
マシウスはグラスに注がれた蒸留酒を揺らしながら、困ったように首を傾げた。
「……ですが、まさか海竜との因縁を連れてくるとは」
滅多に感情的にならないマシウスが困った顔を見せていることに、ファリソンは自分への信頼と、マシウスの親としての心情を垣間見た。
「冒険者の因果かもな。……間違いなく豪拳のマシウスの娘だよ、マリーナは」
ファリソンは蒸留酒を少しだけあおった。彼の言葉には、親の稼業を継いで冒険者になったマシウスの娘を、どこか羨むような口調があった。
「……さて、その海竜討伐の件だが」
ファリソンは、静かに話題を切り替えた。グラスを置き、少しだけ手元から遠ざける。
マシウスとファリソンは、単に旧交を温めるだけのために会合しているわけではない。互いの胸にある冒険者としての矜持が、今なお失われていないことを確かめるためでもあった。
マシウスもグラスを置き、身体を少しだけファリソンに向けた。
酒の席の和やかさは消え、二人の間には、かつて戦場で幾度も共有した緊張感が戻っていた。




