━━━案件120 夜の海を往くベアートリクス号━━━
ベアートリクス号は、夜を徹して航行した。
月と星が照らす、海竜との激闘が嘘のような穏やかな海。
その海の静けさとはうらはらに、船員たちも西風団も、海竜との激戦と死の恐怖の余韻が消えず、心身が昂ってしまっていて、とても眠れる状態ではなかった。
竜司郎もモリンもそのクチで、竜司郎は船上で小型の橋梁点検車を展開し、船体の修理を手伝うことになった。
穏やかな波の間に、人の声と、風の音と、木と鉄がぶつかる音がこだましていた。
(船上で橋梁点検車を使うなんて、初めてだぞ……)
キャラック船の甲板スペースに収まるよう、竜司郎は展開可能な最小の橋梁点検車を選んでいた。
上部旋回体を回し、屈折式のブームを舷外へ張り出させる。そして先端のゴンドラを、海竜によって損傷した右舷の外板へとゆっくり近づけた。
船体を外側から修理しようというわけだ。
本来は橋梁の下部を点検、修理するための車両であるが、竜司郎はこれを船体修理の補助に応用したのである。
当然ながら、竜司郎は元・土木技術者であって、造船の専門知識は持ち合わせていない。ゴンドラには二人の船員が乗り込み、生活魔法『光源』の光の下、修理を進める。
「これはすごいな。船が揺れているのに、ゴンドラはほとんど振られないじゃないか」
「船のクレーンだと、吊った作業台がグラグラ揺れて、修理するのも難儀したもんだが……」
「これなら思ったより早く、応急処置もできそうだ」
「竜司郎さんがいてくれて、本当によかった」
船員たちは竜司郎に惜しみない賞賛を送ったが、竜司郎こそ、自分が帰る場所を護ってくれた船員たちに、惜しみない賞賛を送りたかった。
何か言いたそうな竜司郎を、船員たちは笑って制した。お互いが、お互いにできることやっただけだ、と。
竜司郎は、彼らの心意気を受け入れ、ゴンドラから見上げる。
手足を骨折し、思うように動けない船員たちも、座ったままできる仕事を引き受けたり、無事な片腕で道具を整えたりと、それぞれにできることを探していた。
そこにモリンが、小柄な体と、擬人補正による器用さをフル活用して、彼らのサポートに回り、マストを、甲板を駆け回っていた。
「ホントによく働く聖獣さまだ」
「すまねえな、モリン。俺がヘマしたばっかりに……」
「命があっただけめっけもんよ。それよりちゃんとモリンさんの手伝いしろよ」
「分かってるよ! たかが腕の骨折くらいで、海の男が根をあげてられるかって!」
海竜から生還したという事実は、船員たちから次第に恐怖を追いやり、そこに希望と自信が取って代わろうとしていた。
モリンの甲斐甲斐しく働く姿に、船員たちは微笑ましくも、生きている実感を見たのである。
マリーナも、言葉通り休む暇もなく働いていた。
『護障壁』の継続展開で、彼女は魔力も体力も底を尽きかけていた。それでも、心配する船員たちや西風団を却って叱咤し、船に残された魔石をかき集めてもらったのだ。
魔石に蓄えられた魔力を補助に使い、マリーナは『治癒』の魔法で、次々と傷ついた船員たちを手当てしていった。
しかし、魔力にも魔石にも限りがある。
彼女が父マシウスのように骨折まで『治癒』するためには、魔法をもう一段強化しなければならない。
それを行えば、残された魔力も魔石も早々に枯渇してしまうだろう。
マリーナは、負傷の重い者たちの治療を優先することにした。
「私の『治癒』で、ロナーシアまで持たせます! 骨折した方は動かさず、添え木を当ててください!」
マリーナは、西風団とリルヴィアにも手伝ってもらい、父から教わった応急処置の技術を併用しながら、次々と負傷者の手当てにあたる。
「マリーナさん、少しはお休みになっては……」
「そうですよ。魔法の壁からこのかた、魔法の使いっぱなしじゃないですか」
「私のことは後です! まだ治療を待っている方がいます!」
怒っているのではなかった。だがマリーナはきっぱりと、自らの休息を断った。その剣幕に、屈強な船員たちが思わず背筋を伸ばした。
また、比較的軽傷の船員たちは五人、六人と集められ、大きな『浄化』の魔法陣をまとめて被せられた。
傷口の汚れを取り除いて化膿を防ぎ、汗や血で汚れた身体を清める。これなら、一人ずつ魔法を使うよりも、魔力の消費を抑えられる。
マリーナの有無を言わさぬ指示と気迫に、荒くれ者の海の男たちはすっかり気圧されていたのである。
聖女のような容姿をした少女が見せる、烈女の献身。
船員たちも、西風団も、そしてリルヴィアでさえも、鬼気迫る彼女の姿に、一種の畏怖の念を抱いていた。
そしてルークは、その毅然とした姿に、彼女の父、マシウスの威風を見たのである。
夜が明けた。
海がゆっくりと日の光に染まり、水平線がくっきりとその姿を現す。
その光の中から、見張りが魔導ブイを発見した時、船員たちは半数が崩れ落ちた。船長すら気が抜けて、船尾楼の手すりに寄りかかってしまうほどであった。
竜司郎とモリンも、同時にへたり込んだ。
大海蛇討伐からこのかた、身体も、魔力も、使いっぱなしだったのだ。朝の光が、いつもより眩しく感じられる。
夜を徹して作業していたのに、白んでゆく海に、まるで気づかなかったのだ。
「……お前の言った通りだったよ、リュウ」
ルークが、ゴブレットを三つ手にしてやってきた。
へたり込んでいる竜司郎とモリンの前にどっかと胡座をかき、二つを差し出す。紅茶の芳香が甲板に香る。セリーネさんに頼んで淹れてもらった一級茶葉の紅茶である。
「何か言ったっけな、俺」
「……覚えてないのか?」
海で亡くなった父親を思い出し、少し感傷的になっていたルークを、竜司郎はまるで年長者のように諭してくれたのだ。覚えていないはずはない。
竜司郎が、気恥ずかしさと照れ隠しでとぼけているのを、ルークは看破したが、それ以上は追及しなかった。お互いの父の話に及びそうだったからである。
「セリーネさんが特別に淹れてくれた。滅多に飲めない一級茶葉だぜ」
「そいつはありがたい」
「ご相伴にあずかりまッス」
二人と一匹は、ゴブレットをこつんと合わせ、同時に一口。
染みわたる香気は、彼らに生きている実感を湧きあがらせた。
「ルークのダメージは、大丈夫なのか? 『身体強化』を三段も強化すると、ただじゃすまないってマーカスが言ってたが」
「マリーナの『治癒』のおかげと……それと、チャコから、ポーションを貰ってな……」
何処か照れくさそうなルーク。
竜司郎は何となく察した。他人の男女の機微には、何故か理解がある竜司郎であった。
「……マリーナさんは大丈夫っスか?」
「マリーナには、今セリーネさんがついてる。ひとまず全員の手当てを終えて、今はぐっすり眠っているよ」
「……凄かったな、マリーナさん」
「豪拳のマシウス先生の血を引いてるんだ。そりゃそうさ」
竜司郎の感嘆に、ルークは我が事のように誇らしげに笑った。




