━━━案件118 竜司郎の一撃 ルークの一撃━━━
海竜は、その顎をやや斜めに傾けた。マストごと二人の人間を喰い潰す。
瞬間、二人の人間の魔力を探知する。一人は僅かに顎から外れるか。……いや、どちらにせよ結果は変わらない。
海竜の突撃を、完全に躱しきらない限り、硬く、鋭い鱗で全身を切り裂かれるのみだ。そして、この速度なら例え小賢しい魔法で防御を試みようとも、魔法ごと削り、斬り刻んでみせる。
海竜は不意に濃密な魔力の塊を感じた。海竜の正面。船の左舷からである。
先ほど無視した小舟が海竜に向かっている。その速度は、海竜が全力で突進する速さをはるかに上回っていた。海竜は突撃に意識と魔力を集中し、それで探知の外から急接近する小舟を探知するのが遅れたのだ。
この海竜の突撃に、正面から挑もうというのか。それがどれほど身の程知らずな行為か、人間に思い知らせてやらねばなるまい。
海竜はやはり小舟を無視し、そのまま、マストと、マストのふもとの二人の人間に迫る────
しかし小舟は、さらに速度を上げた。それは海竜の予想を超えていた。
「させるかあああぁっ!!」
マーカスは、何故か、竜司郎の意図が手に取るように理解できた。
竜司郎がベアートリクス号の左舷を正面に、水上バイクをフルスロットルで加速させてから、一言も言葉を交わしていないにもかかわらず、だ。
『水流操踊』でジャンプ台を作ると、マーカスはすぐに風の精霊力を集積した。メルクス商会から支給された魔石を使って、水上バイクの周囲に。
竜司郎の乗った水上バイクは、後部座席のマーカスが作り出した『水流操踊』のジャンプ台から全速力で踊り飛んだ。
水上バイクは、さらにそこから加速する。竜司郎の魔力と、マーカスが集めた風の精霊力を取り込んで。
水上バイク下部、精霊力の噴出口から目に見えるほどの濃厚な精霊力が噴射された。水上バイクはロケットのように海竜へと飛来する。
水上バイクの魔力カウルと、海竜が身に纏う精霊力が爆ぜ合う音。水上バイクは、その抵抗をものともせず、海竜の口腔へ突撃し、海竜の突撃を押し返さんばかりに突進した。
突然の直撃に、海竜の顎が大きく揺れる。突撃の勢いが、わずかに鈍った。
「『大気緩泡』!」
マーカスは自らを大気の泡で包み込んで、ベアートリクス号の甲板に身を投げた。二度、三度、マーカスは甲板を跳ねて着地した。
口腔に、水上バイクの直撃を喰らった海竜は、明らかに動揺し、目を見開き、突進速度を落とした。
水上バイクを喉奥に喰らったまま、轟音を響かせて海竜の頭が右舷に落ちた。
落下の衝撃と海竜の重量で、右舷の『護障壁』が海竜の鱗で削り取られ、甲板が捲れ上がり、ロープが弾け飛ぶ。チャコと船員が二人、海竜落下の衝撃で崩壊を免れた『護障壁』にぶつかった。ヴェスタはバランスを崩し、弓を番えることができない。
リルヴィアが手すりにしがみ付きながらも『水流操踊』を唱え、ベアートリクス号周辺に水流を回遊させる。船への衝撃を緩和し、海竜の体重で傾いた船の平衡を取るためだ。
そして竜司郎は────
「ぅおおおおおおっ!!」
魔導バイクから飛び上がり、海竜の真上にいた。両手で振りかぶるは異世界ナイズされた愛用の魔導バール。
竜司郎は、右舷に落下した海竜の頭に、魔導バールを、渾身の力を込めて振り下ろした。
奇跡が起きたとすれば、それは竜司郎が突撃させた水上バイクが、狙い通りに海竜の口腔を直撃したことであろう。
水上バイクは、浜辺で女性の気を引く程度には嗜む竜司郎だが、戦闘経験は、白兵戦も魔法戦も、ほぼゼロのド素人である。
そんな竜司郎が、海竜の突撃を前に、水上バイクを駆って一矢報いることができたのは、異世界転生者ならではの特権であろうか。あるいは、転生後に積み上げた載徳のおかげであろうか。
いずれにしても、竜司郎の奇跡は、そこまでだった。
海竜に振り下ろされた魔導バールの手ごたえは薄かった。
竜司郎は、海竜の眼を狙った。狙ったつもりだった。しかし、戦闘経験がほぼゼロの竜司郎に、そのような技量はない。ただ、素人が振り下ろした一撃である。
隙も、弱点も狙えず、強固な海竜の鱗をむやみに殴ったところで、いかに魔導バールでもその真価は発揮できない。
海竜の竜鱗は、竜司郎の必死をあざ笑うかのように、魔導バールの切っ先を滑らせた。鱗には、僅かな擦過傷が残るのみである。
水上バイクを咥えたまま、海竜は怒りに任せて首を上に振った。竜司郎がボロ切れのように宙を舞う。
「竜司郎さんっ!」
「竜司郎さまっ!」
マストのふもとの、マリーナとセリーネが竜司郎を呼んだ。そこへ────
「モリンっっ!!」
「ルークさんっっ!!」
リルヴィアの『水流操踊』が作り出した水流に乗り、モリンの水上バイクが跳ね上がった。首を振り上げた海竜のすぐ脇を、ルークを乗せたバイクが飛翔する。バイク上には、『魔法刃』を水平に構えたルーク。
ルークの剛槍には既に『構造強化』の『強化二段』が施されていた。竜司郎が作ってくれた隙。絶対に逃さん。
「『身体強化』っ『強化三段』っ!」
瞬間、ルークの身体を青白い魔力が爆発的に包み込んだ。ルークの身体がわずかに膨れ上がる。喰らえ海竜────
斬ッ!!
重い手ごたえ。
ルークは構わず振りぬいた。ルークは、海竜の角を、根元から斬り飛ばした。
ルークの剛槍もまた、限界を迎えていた。
角を斬り飛ばした瞬間の凄まじい衝撃と反動に、二段階の構造強化を施された槍さえ耐えきれなかったのだ。
咆哮。
海竜は、もんどりうって水上バイクを吐き出し、そのまま背中から海面に倒れ込んだ。ギシリと船がきしみながら水平に戻る。
三呼吸を置いて、ベアートリクス号からやや離れた海面から、海竜は再び姿を現した。
初対面のような威風堂々とした姿ではない。海竜は、苦悶にのたうち、水飛沫をあげ、雷鳴のような怒りと屈辱の咆哮をあげていた。
「今です! 海竜が魔力と精霊力の制御を回復する前に、この海域から離脱するのです!」
『大気緩泡』を解いて立ち上がったマーカスが、普段の沈着さらしからぬ大声で叫んだ。
今は、まさに千載一遇の機会である。
ここで手をこまねいていれば、やがて片方の角だけで魔力と精霊力を制御し直した海竜が、憤怒と復讐に猛りくるって襲い掛かってくるだろう。
船長とセリーネは一も二も無く頷きあった。
「でも、竜司郎さんが……!」
マリーナがマーカスに劣らぬ大声を出す。ハッとする一同。その後ろから……。
「……お呼びですか、マリーナさん……」
右舷。
半壊した舷側の手すりに、魔法で編まれたラッシングベルトが巻き付いていた。そのラッシングベルトを巻き取りながら、ずぶ濡れの竜司郎があがってきた。
ベアートリクス号の甲板は、歓声に包まれた。




