━━━案件113 大海蛇の突撃 船の迎撃 バイクの追撃━━━
「総員、取舵準備ーーっ! 大海蛇の体当たりに合わせろ!」
船長が手のひらサイズの石に向かって叫ぶ。声はたちまち周囲に響き、船員たちを奮い立たせた。
石の名は拡音石[かくおんせき]という。風の精霊力が込められ、石の近くの声を込められた力に応じて、周囲に拡散させる魔導具である。
船長のような指揮官や、音楽関係者、または野外で活動する集団を統率するのに利用される、いわばマイクとスピーカーの機能が複合したアイテムである。
船長が手にしているのは、細身のスキットルを思わせる形状のものだった。瓶口にあたる突起にはストラップが通されており、普段は首から下げている。使用する際に魔力を込めれば、声を拡散させることができるのだ。
風の精霊力を動力の一部として利用するため、それが豊富な場所では、使用者が込める魔力を大幅に節約できる。風の精霊力に満ちたこの洋上は、まさにうってつけの場所だった。
チャコとヴェスタは右舷に移動した。
船長は、大海蛇の体当たりに合わせて取舵を切り、船体への衝撃をいなすつもりなのだ。ならば、二人が大海蛇を迎え撃つのも、そちらの舷側となる。
「チャコさん、打ち合わせ通り、体当たりの瞬間に『阻遮符[そしゃふ]』の貼り付けだ、準備は?」
「準備万端よ!」
チャコは腰に下げていた飾り鎖を取り外した。
鎖の先端には、菱形の飾りが付いている。チャコはその飾りを指先でつまむと、キーリングに指を通し、くるくると回し始めた。
阻遮符は、術者の魔力と連動する魔導具である。
いわば双報石の簡易版であり、対象に引っかけたり、貼り付けたりすることで、その位置を把握できる。阻遮符から発せられる魔力が術者と連動するためだ。竜司郎の知るところの発信機やGPSタグに近い使い方ができるのである。
元々は呪符に術式を描いて使われていたものだが、時を経て、さまざまな品物に応用されるようになった。チャコは阻遮符の術式を飾り鎖や飾り紐に刻印し、装飾品代わりに身につけていたのだ。
さらに、阻遮符にはもう一つ重要な効果がある。そして、こちらこそが本来の用途である。
その名が示す通り、阻遮符は元々、呪符を貼り付けた対象の魔力的な感知能力を阻害するための魔導具なのだ。
阻遮符から発せられる魔力が術者と連動することで、結果的に対象の位置を把握することもできる。つまり、感知を妨害するための仕組みが、追跡にも応用できるというわけだ。
今回の大海蛇のように、『加護』によって高い魔力感知能力を備えたモンスターは多い。その対抗策として、阻遮符はうってつけの魔導具なのである。
その阻遮符に、チャコはいつもより多めに魔力を込めた。この洋上である。効果範囲も効果時間も、できるだけ長く確保しておくべきだろう。
ヴェスタは真顔のまま頷くと、迫りくる大海蛇に銛を向けた。
銛には既に『強化』の魔法が込められていた。この特注の極太銛を『身体強化』したヴェスタが投擲するのだ。当たればまず無事ではすまない。
銛を構えたヴェスタは彫像のように微動だにしない。
大海蛇が迫る。一呼吸、二呼吸、三呼吸────!
「食らえっ!!」
短く、鋭く、重い声とともに、太く、鋭く、重い銛が投擲された。
ぶおっ!
という重い風の音。放物線をほとんど描かない、一直線に投擲された銛。
大海蛇は、わずかに体をひねった。
銛は見事に胴体に命中したものの、銛の穂先は大海蛇の肉と鱗を僅かに削り取ったのみだ。銛は『加護』によってするりと滑り、弧を描いてから海中に没した。
ヴェスタは、わずかに顔をしかめた。
「……っぱ、大海蛇の『加護』の力半端ないわ~」
口調はいつものチャコだが、表情は銀級冒険者に相応しい真剣なものだった。
チャコすぐに、器用に片手でもう一本飾り鎖を取り出して、今度は左の人差し指に通して回した。マーカス同様、囮と本命を用意して二本の飾り鎖で勝負を賭けようというのだ。
大海蛇はすぐそこまで来ていた。ヴェスタの銛で大海蛇の突進角度がわずかに変わっている。それを見越して……。
「────シュッッ!」
チャコは二本の飾り鎖に魔力を込め、両腕を交差するようにほぼ同時に投擲した。込められた魔力によるものか、飾り鎖は緩い弧を描き、時間差で大海蛇を狙う。しかし。
「外した……っ!」
阻遮符の鎖は二本とも大海蛇の『加護』に阻まれ、海中へと消えていった。
そう。魔力による感知能力の高いモンスターには阻遮符が有効である。だが、魔力による感知能力の高いモンスターに、まず阻遮符を取り付けることこそが、最初の難関なのである。
────直後。
大海蛇がベアートリクス号の右舷を削るように突撃してきた。
揺れる船体。転倒する船員。いくつかの樽と木箱の固縛が外れ、甲板で踊り出す。怒りと焦りの混ざった叫び声。
流石というべきか、チャコとヴェスタは転倒を免れ、チャコは露骨に、ヴェスタは僅かに悔しそうな表情で大海蛇を目で追った。
ヴェスタの銛でひるませ、その隙にチャコの阻遮符を引っかけるという作戦は、一度目は失敗に終わった。
船尾楼から船長がマリーナに視線を投げる。メインマストに手を添えたマリーナは、凛とした表情で笑った。
「想定の範囲内だ! 慌てるな! 『護障壁』も破られていないぞ!」
ベアートリクス号は取舵そのままに船を旋回し、同じく洋上で旋回した大海蛇と対峙した。そこへ二艇の水上バイクが追い付いた。
「仕切り直しだ! いくぜ!」
ルークが槍を掲げて船員を鼓舞した。彼が大海蛇を一撃で仕留めたのは、遠目からも確認されたのだ。船員たちの士気は大いに上がった。
竜司郎はベアートリクス号を追い越しざまにマリーナを見た。一瞬だけ交差する視線。
竜司郎とモリンが、水上バイクの速度を上げた。このまま大海蛇の後方に回り込むつもりだ。
人間ならば一度見せた連携を破られる可能性は大いにある。だが相手は人間並みの知能を有しない、巨大であるだけのモンスターである。一匹目を仕留めたあの連携が二匹目にも通じれば、討伐は思ったよりも早く片が付く。
マーカスの火投槍による不意打ちのタイミング。ジャンプ台となる波のタイミング、水上バイクのジャンプのタイミング。その三つがもう一度合致すれば……。
「もう一度いくぞマーカス!」
「承知っ!」
竜司郎とマーカスは大海蛇の右側から進路をふさぐように回り込んだ。撃ち込まれる火投槍。
だが大海蛇は一瞬、制動するように鎌首をのけぞらせた。空を切る火投槍。
「あっ」と声を上げる竜司郎の背後で、息を呑むマーカス。
大海蛇はまるで嘲笑うように鎌首を下げると、竜司郎の水上バイクが作った波を越えていった。




