━━━案件110 二匹の大海蛇と二艇の水上バイク━━━
ベアートリクス号の右舷。
二基のクレーンで吊られた二艇の水上バイクは、海面ギリギリまで降ろされていた。
水上バイク一号艇に乗るモリンとルーク。二号艇に乗る竜司郎とマーカスは既に準備万端である。
大海蛇ほどの大型モンスターになると、水の精霊力との親和性は高く、本能レベルで精霊力を制御した「加護」と呼ばれるスキルに似た特技をもつ。
それは身体強化であったり、防護被膜であったり、精霊力を利用した特殊攻撃であったりするのだ。これが大海蛇をして銀級冒険者の討伐案件となる理由である。
大海蛇の場合は、周辺の精霊力に自らの魔力を拡散させて、五感を補う高度な感知能力を有していた。これで縄張りを主張し、異物の侵入を感知し、獲物の位置を探るのである。
西風団一行は既に大海蛇の縄張りに侵入していた。戦闘は既に始まっていると言っていい。大海蛇がベアートリクス号に接敵する前に水上バイクを発進させておく必要があったのだ。
モリンはクレーンのフックから魔導スリングベルトを消失させた。モリンと竜司郎の水上バイクが小さな波を上げて海面に降り立つ。
「モリン、水上バイク一号、行きまッス!」
海面に落ちるとほとんど同時にモリンとルークを乗せた水上バイクが走り出す。続けて──
「飛野竜司郎、水上バイク二号、出るっ!」
モリンの水上バイクを追うように竜司郎はスロットルを回した。船上から見送るマリーナとセリーネ。チャコとリルヴィア。ヴェスタと船員たち。竜司郎は彼らに大きく頷いた。
「作戦開始だ! 各自持ち場につけ!」
船長が大きな声で船員たちを鼓舞した。
今回の作戦に参加した護衛団の幾人かは、大海蛇に襲われたヴィクトーリア号に乗船していた者たちである。復讐に燃え、銛を構え、弓矢を手に取り、バリスタの弦を巻く彼らの戦意は高かった。
マリーナはメインマストのふもとで防護と救護担当。チャコは船首楼で投擲担当。ヴェスタは護衛団の指揮と実戦担当。
セリーネは見張り台で風の精霊力を使い、リルヴィアは船尾楼で水の精霊力を使い、船周辺の気流と水流を調整して操船を補助する。場合によっては彼女たちも精霊魔法を駆使して攻撃に参加することになっていた。
配置は最初の作戦案通り。二匹に増えた大海蛇への対応策は、ベアートリクス号の船体を壁にして分断し、大海蛇の連携を封じ込めて討伐する案が採用された。
水上バイクの竜司郎とモリンが、二匹の大海蛇をどう攪乱し、各個撃破の状況に持ち込めるか。作戦の成功はそこにかかっていた。
異世界の海を疾走する竜司郎とモリン。
魔導車両が風と地の精霊力を利用して稼働するのに対し、魔導水上バイクは風と水の精霊力を利用して稼働する。
水上バイクは、船体の上部に描かれた魔法紋で風の精霊力を、水面下に位置する部分に描かれた魔法紋で水の精霊力を取り込み、動力とする。水と風、それぞれの精霊力を魔力で制御し、スピードを調整し、旋回し、平衡を維持するのだ。
特に魔導水上バイクは、前世界の水上バイクに、基本的には備わっていないブレーキが備わっていた。普通二輪車と同じハンドル右側のレバーで操作する。
具体的には、ブレーキ操作で風の精霊力と水の精霊力を制御して、水と風の抵抗を上げることで、制動をかけるのである。
この追加装備の特性も、合宿で十分訓練していた。水の抵抗だけで水上バイクを停止させていた竜司郎にとっても、ブレーキ操作を念頭に入れた操縦訓練は実のある訓練であったのだ。
竜司郎の水上バイクに同乗するマーカスは、魔法紋に執着するそぶりも見せず、油断なく周囲を警戒していた。魔法の発動速度を補助する魔法紋の帯も、早くから両手首に展開している。このあたりの切り替えは、銀級冒険者の本領というべきだろう。
そして、竜司郎への助言も忘れない。その指摘も的確だった。竜司郎は運転と戦闘に意識を取られ、直前の防御魔法を忘れてしまっていたのだ。
「あ、ごめん、忘れてた……」
竜司郎は慌てて、自らの身体に一段階上の『強化』をかけた。左手を胸に当て、青白い魔力の被膜を全身に展開する。
竜司郎が身につけている黒と銀のバイクアーマーの防御力は、女神さまの加護で折り紙付きであろう。しかし、竜司郎の身体はいたって常人のそれである。
土木建設業で鍛え、転生によって若者の身体を取り戻したとはいえ、戦闘に関してはほぼ未経験のド素人だ。戦闘系スキルについても、女神さまから特権的なスキルを付与されているわけではない。
ルークやチャコのように戦技や体術を体に染みつかせているわけではない竜司郎にとって、防御措置は幾重に重ねていても無駄遣いとはならないのだ。
(御主人! 来まッス!)
先行していたモリンからスマホ念話が入った。竜司郎からも見える。波間からチラチラと見え隠れするのは大蛇の首。濃い青と、薄い青の縦じま模様。作戦前に聞いていた情報と同じだ。
大海蛇の攻撃方法は、噛みつきと毒、硬い頭部による突進、そして平たい尻尾による一撃である。移動時に身体をくねらせる動作も、動きを読み誤って巻き込まれれば、丸太のような太さと質量ゆえに、人間にとってはかなりの脅威となる。
ヴィクトーリア号の船体が損傷したのは、大海蛇の突進と、胴体をしならせた体当たりによるものだったのだ。
(了解! 頼むぞモリン!)
(はいッサー御主人!)
モリンはやや左にカーブを描きながら先行する一匹目の大海蛇に肉薄した。ルークは既に『魔法刃』を展開した槍を左に構えていた。
「すれ違いざまに一撃、行くぜモリン!」
「了解っス、ルークさん!」
鎌首をもたげて襲い掛かる大海蛇。ギリギリまで引き付け、僅かに右に舵を切るモリン。水上バイクは大海蛇のギリギリをすれ違った。同時に叩き込まれるルークの魔法刃。手ごたえは今一つ。
ざんぶ、と水中に体を沈める大海蛇。その先には、もう一匹の大海蛇がいた。ルークは槍を構え直す。こいつにも、すれ違いざまに一撃だ。
「はああっっ!」
今度は右から魔法刃を振りぬくルーク。またしても手ごたえは今一つ。
大海蛇の身体を覆う、水の精霊力を展開した被膜のせいである。
大海蛇の鱗はもともと滑らかであり、水の精霊力による被膜がその表面を覆っている。斬撃であれ打撃であれ、攻撃の力は被膜と鱗によって受け流され、深く食い込ませることが難しい。
ルークも勿論、今回の作戦に参加した者全員が、前情報として知っている特徴である。そしてその特徴の有効性は、実際にルークの魔法刃を二匹ともが滑らせた時点で証明された。厄介な相手である。




