━━━案件106 大海蛇討伐 出航前━━━
メルクス商会が派遣した護衛団から報告を受けた西風団一行は、その日のうちにロナーシアへ帰還した。
リルヴィアの借りたワガママ馬の扱いでひと悶着あった以外は、さしたるトラブルもなく、一行はそれぞれの準備のためにロナーシアの町に散っていった。
出向は明日。大海蛇の被害をこれ以上拡大させないためには、必要以上に悠長に構えているわけにはいかないのだ。
西風団は冒険者ギルドに向かい、セリーネの兄カイロンと大海蛇討伐の正式な契約を締結する。
セリーネとヴェスタは船へと向かい、総代理ボルトンと共に人員と物資の最終チェックを行う。リルヴィアはロナーシア情報会に、自身と事の顛末を報告に向かう。
竜司郎とモリン、そしてマリーナはフィーズ教会南支部に帰宅していた。
マリーナは、父マシウスに仕事の詳細と、冒険者の先達として、神官の先達として、色々と助言を受けているようである。
一方の竜司郎とモリンは教会の裏庭にいた。
「もう一回……それっ!」
竜司郎は、掌に浮かべた小さな魔法陣から伸ばした魔力の帯で、木箱の上に乗せた缶コーヒーの空缶を絡めとる練習をしていた。
浮きクレーンの大立ち回りの結果、手に入れた竜司郎の新スキル「ラッシングバインド」である。
前世界で実在した固縛器具のラッシングベルトを、形状そのままに展開して荷物の固縛に用いることが可能な、乗り物スキルの周辺スキルとして位置づけられているスキルである。
さらに異世界仕様として、こうしてベルト部を掌の魔法陣から展開し、ロープのように投擲して対象を絡めとることもできるのである。できるのであるが……。
「おしぃー! もうちょいッスよ!」
モリンが、ラッシングバインドのフックに弾き飛ばされた空き缶を拾い、元の位置に戻した。
投擲した後も魔力を操作し、掌の動きでベルトや先端のフックをある程度動かせる、と、新たに付与された記憶にあるのだが、これがなかなか難しい。
本当は、水上バイクの合同練習が一段落したところで、個人練習に移ろうかと思っていたのである。ところが竜司郎が予想するよりも早く、諸々の準備が整ったため、廃村カリキルでの合宿中に練習できなかったのである。
そのため竜司郎は、こうして少ない時間を使って、全くの未経験ではない程度には習熟しておこうとしているのであった。
幸い竜司郎もモリンも、それぞれ女神さまの特権的スキルである収納スペースを持っている。私物から財産まで、ほぼ全てがその中に入っているので準備らしい準備は必要ないのである。
「……どうもうまくいかないな。モリン、交代しよう」
「はいッサー!」
竜司郎とモリンは位置を代える。モリンは右前脚を挙手(挙足?)するように真上に掲げると……。
「スリングバインド!」
モリンの頭上に、魔力で編まれた1mほどの長さのスリングベルトが現れた。展開したスリングベルトの形状は、両端が輪になっているアイタイプである。
吊り具としての魔導スリングベルトは既に身につけていたモリンであったが、今回御主人同様に新たなスキルとして手に入れたのが、この「スリングバインド」である。
離れた物体に投擲して巻きつけ、物体を懸架可能にしたり、高速回転させて投擲して対象をからめとったりと、物理的な牽制技として活用できるのだ。
「行きまっスよ御主人!」
言うとモリンはスリングバインドに魔力を込める。スリングバインドはヘリコプターのローターのように、モリンの頭上で高速回転を始める。そして────
「そぉれっ!」
モリンが野球の投球ポーズで前足を振りぬくと、スリングバインドは高速で空き缶に飛来し、見事に巻き付いた。
スリングバインドの片端のアイ部が、もう片端のアイ部をくぐり抜け、空き缶を締め付ける輪になっている。その輪が魔力によってがっちりと絞られていた。
「おお! やるじゃんモリン!」
「えへへへ……それほどでもあるッスよ!」
モリンは御主人の賞賛に、ドヤ顔で照れるという器用な顔をした。
先だっての『浄化』しかり、今回のラッシングバインドしかり、どうやら御主人は細かな魔力操作が苦手のようである。
御主人もマーカスに相談して魔力操作の講義を、と意欲的にではあるようなのだが、とにかく御主人が巻き込まれ体質なため、なかなか時間も取れないというのが現状であった。
「船の上で練習はできるかな?」
「たしか大海蛇がウロチョロしてる現場までは二日ほどだったはずッス。だから練習する時間はあると思いまスよ」
「あんまり根を詰めて魔力を使い過ぎないようにはしたいが、できれば海に落ちた仲間を助けられるくらいには習熟しておきたいな、ってな」
「さっすが御主人!」
「直接戦闘には関われないんだから、せめてそれくらいはできないとな」
「それじゃあ、もうひと頑張りしまスか? 私が海に落ちた時、御主人に拾い上げてもらわないといけませんからね」
ニッコリ笑うモリン。竜司郎は任せとけ、と笑い返した。
主従は再び位置を代えた。
翌日のロナーシアは快晴だった。
朝、ロナーシアの空を見て安堵した竜司郎とモリンとマリーナは、港に来て海を見てもう一度安堵した。
実に幸先がいい。これで海が荒れていようものなら、さしもの銀級冒険者の西風団でも、大海蛇討伐の難易度は跳ね上がるはずだ。
……もっとも、実際に大海蛇の出現地点に到達するのには二日かかる。二日後の海の御機嫌は、海の神のみぞ知る、だ。好天で安心させておいて荒天、あるいはその逆というのは、海の仕事での日常茶飯事なのである。
ロナーシア右岸の港には、すでに多くの人々が、荷物を仕分け、積み込み、船を整備し、出航の準備を進めていた。
港の活気に胸躍らせる竜司郎とモリンの横から、聞き慣れた大きな声がかかった。
「応、待ってたぜ竜の字! モリの字! それにマリーナ嬢ちゃん!」
ボンゴス親方だった。後ろには職長のデリオ、竜司郎を師と仰ぐアルド、ノルド兄弟もいる。驚く竜司郎とモリンとマリーナにボンゴスはニヤリと笑った。
「なにもおかしなこたぁねえぜ。俺ぁこう見えても工業ギルドの役員だ。今回の大海蛇討伐には複数のギルドが絡んでんだ。見送りにくらい来るさ」
「わざわざのお見送り、ありがとうございます親方」
「ございまッス」
「……無事に帰ってきて欲しいからな。おめえさんたちには頼みてぇ仕事が山ほどあるんだ」
いつになく真面目な調子のボンゴス。その後ろから……。
「ダメだぜ親方。気分乗せてリュウを勧誘しようったって」
西風団の三人と、リルヴィアが到着した。自慢の剛槍を肩に担いだルークが、ボンゴスを牽制する。
「おっと、すっかり悪童の事を忘れてたぜ。コイツが一緒なら、どこの戦場だろうと安心だ」
そう言ってボンゴスは”元湾口通りの悪童”ルークに近づく。ボンゴスはルークの厚い胸板に、ノックをするように拳を一度叩きつけた。
「……親父の後を追うのは、もっともっと先にしろよ悪童」
ルークはボンゴスの言葉に、一瞬硬直した。背後のチャコとマーカスが表情を硬くする。リルヴィアも記者として事情を把握しているのか、黙ったままだ。
「……ああ。分かってるよ、親方」
いくつもの感情によって相殺された静かな表情のルークとボンゴス。ややあって、ボンゴスは静かにルークの胸を叩いた拳を離した。




