第14話 異形の影
あれから、トラスア=バキナは結局一言もしゃべる事が出来なかった。
アンテノルが持って来ていた紙と万年筆を渡して筆談を試みたが、ペンを手に取った瞬間からぴくりとも動かなくなる。毒で身体が動かないだとかでもない、まるで『伝える行為』そのものが封じられているかのようだった。
「そんな事がありうるのか…?」
情報を得られないという事実を収穫として、トラスア=バキナとは別れさらに奥を目指す。この先に何が待っているのかは分からないが、このまま帰ってはいけない。ダンジョンだというのならこの奥の魔力の結晶を破壊してしまいたいが、それが出来ずともさらに情報を集めてしまいたい。
トラスアの隠れる空間から再び裂け目を伝って出ると、すぐさまインビジブルを発動させる。
歩みを進める前にレイが皆に言葉を投げかける。
「ここから先、さらに危険がつきまとう。騎士5人を打破した恐るべき相手が居るだろう。
本当に良いかい。この国の人物でないガルグイユもだ。」
いくら利益を見込めるからと言ってこの先には死の危険が付きまとう。騎士が二人に異常な才を持つ極光持ちが一人。単純な戦力としては王宮騎士の部隊にも劣らぬだろう。だがそれでも一瞬で全滅するかもしれないのは、トラスアの部隊が壊滅した事で分かる。
ガルグイユは力強く答えを返す。
「そりゃ、もちろん。こうやって命を危険に晒すなんて承知の上やもん。未知の場所に来るからこそ価値がある!
それにほら、これでも見ず知らずの子供を助けてくれた事、ボクは結構信頼してるんやで?」
ガルグイユの言っているのはアリア達の事だろう。
彼がレイを見出したのは平民街で商売がしやすくなるからとばかり思っていたが、それだけではなかったらしい。
シーニャは当然のように答えを返す。
「ええ。ええ!これから恐ろしく強い敵と戦えるらしいですね、人間の味方として!とても楽しみです!」
それは端的で、感情的で、それでいてレイへ無上の信頼を寄せている印であった。
彼女にとって望むべくもない死闘の時間が迫っている。
それも、信頼できる相手を伴ってフーニカールの為に戦える。シーニャにとって恐れなどある筈もないだろう。
アンテノルは少しの逡巡を交えて答える。
「俺にとって、顔も知らない兄貴の弔い戦だ。強くなんて無い俺に共に戦う機会をくれたんだ、出来る限りレィナータの力になる。」
真魔の群れを前に見張りを怠ったという兄を持ち、彼はどのように思って生きて来たのだろうか。生まれる前に死んだ男の事を抱えて生きてきたアンテノルにとって清算にも近い想いがあった。
ウィスタリアは躊躇いなく答える。
「俺は、トラスアさん達五人の騎士の気持ちが分かる。
きっと未知の事象ばかりを確認して、これまでの犠牲もこれから出る被害も、それらを振り切れると思った筈だ。
その想いは俺も同じだ。それを…無駄にしたくない。」
大侵攻はこれまで多くの人死にを出してきた。
有史以来最大の死人を出し続けている獣害であり、その死者は二千年で間接的なものを含め億の単位へ到達しているとすら言われている。
しかしながら、解決へ向けた光明はまったくと言っていいほど見えていない。一度の大侵攻を被害が少ないまま乗り越えても、それは解決を先延ばしにしているだけだ。それが次はどうなるのかは、誰にも分からない。
解決のきざしを見つけるというのは過去の先人達に対してその足跡が誤りでなかったと示す事でもあり、そしてこれから生まれてくる未来を担う者達に向けた最大の祝詞に等しい。
「うん。その思いは、僕にも分かる。」
真魔により愛する者達の身体に重篤な傷を残させてしまったのは、レイの心に強く突き刺さっている。
その指示はカルラシード伯、つまり父によるものだと分かっている。だが直接その傷を与えたのは真魔なのだ。レイにとって許せる筈もない。
「俺達の中で中心になるのはお前だ、レィナータ。それは、さっきの界喰鯨との戦いでガルグイユとアンテノルも理解しただろう。
これから何が起きても、お前に全ての判断を委ねるべきだと俺は考える。」
レイでなくレィナータと呼んだのは、臣下でなく自身を同級生として、対等な存在として考えた上での判断だからだろう。ガルグイユとアンテノルもそれに同意する。
「うん。撤退するかの判断はキミに任せるわ。いざとなればトラスアさん連れて逃げ出しても十分な成果やし、好きに決めてや。」
「咄嗟に決断を下せるのはレィナータだと思う。俺も、それに納得してるよ。」
「ありがとう。それじゃあ、この先に進む。」
仲間達の覚悟が伝わってくる。これから先感情論だけで全てが解決できるなどと思わないが、死線を潜り抜けるには思いを同一にするのは前提の条件となる。
思いを新たにしたレイ達はインビジブルを発動させ、さらに奥へと歩みを進める。
その先で数度、地上へと向かう真魔とすれ違う。
透明化しているのもあるが、それ以上に真魔は目もくれずただ地上へと真っ直ぐに進んでいるのが分かる。
その様子を見たレイは、ふと先程のトラスアの様子を追憶していた。
(不自然な行動を起こす真魔と、言葉を縛られた騎士か。)
人の心を操る謎の黒い稲妻。それではまるで魔法というよりも呪いのようではないか。
数度の真魔とのすれ違いと共にさらに最奥へと進んでいく。
通路はやがて暗がりと共にその幾何学模様の隙間から黒と紫の光を発しているのが分かる。
「なんだ…これは?」
その不気味さに首をかしげながら後ろを振り向くと、シーニャがその隙間を覗き込んでいる。それを見たアンテノルがわたわたと慌てている。
「魔力…?いや、紫は性質としては炎の派生に近い…けれど、確認された事例はない…。」
シーニャにとっても未知の魔力であるようだ。彼女に分からぬのなら、レイが考えても無駄だろう。
(…こう考えられるだけ、助けられているな。)
これほど危険極まりない場所であるのに、くつくつと笑ってしまった。
あの真魔に襲われた夜、レイはこれからメリアス・サリー・ツバキの三人にしか信頼を寄せられないとすら思っていた。
三人へ向ける愛情とは違う信頼がシーニャやウィスタリア、ガルグイユとアンテノルには確かにある。
暗闇に、出口の光が差す。
「(最奥部がここなのかな。)」
「(よっしゃ行こか!)」
足を踏み入れた途端に分かる異質な気配。
その部屋は壁一面に同じく幾何学模様が奔っており、ここから伸びる様にして通路を伝ってダンジョン全体に模様が伸びている。天井は吹き抜けのようになっており、どこまでも高く伸びているのが分かる。
その中心部には紫色の結晶が浮かび上がり、地面から突き出した岩が突き刺さっている。ダンジョンの成り立ちを考えると奇妙な表現にはなるが、『結晶から地面が生えている』という方が近いのだろう。
その場はおどろおどろしい雰囲気に包まれているが、レイ達は大部屋の中心にある結晶でなくその前に居る何かに目を向けてしまう。
(なん、だ、あれ。)
そこにいたのは、なんと人の影だ。
黒いドレスを着用し、その上から鎧と宝石による装飾品を着飾っている。けして華美でもない戦うための鎧と夜会で貴婦人が身に付けるような飾るためのドレスと宝石が同居しているのがなんとも不気味だ。
だがそれらすらもどうでもよくなるのは顔にある。首が切断されており、顔のあるはずの部分には仮面と黒いモヤが浮いている。
あれはこの世のものではない。それがただの一目で窺い知れる。
それは動きだすと、指をこちらに向けている。
「みんな!逃げろっ!!」
声を張り上げて踵を返そうとする。だが振り向いたレイ達よりもずっと早く黒い稲妻が宙を駆け抜けてレイ達の頭上を走り、通路の天井にぶつかると崩落させて道を閉ざしてしまう。
「な、なんでバレたん、触れてないから見えなてへんはずやのに…。」
「認識阻害の術ね?西の海岸沿い辺りの術に似ているわ。けれどおあいにく様、人間や魔物と違って私達はまるで違う生物なの。」
「………そんなの、見れば分かるさ。」
無貌の怪物がガルグイユの素性をぴたりと言い当てたのには驚いた。だがそれ以上に、そもそも意思の疎通が可能であるのにも驚愕すべきだ。
「君はなんだ?」
答えが返ってくることには期待していない。だが悪つくその暇が欲しかった。少しでも状況を理解する時間が欲しい。
だがそれは、意外にも言葉で答えてくる。
「あら?そうね…。じゃあ人間の作法で答えてあげましょう。」
宙に浮かぶ仮面に指を沿わせるように弄びながら、恍惚とした声色で続ける。
「私は魔人ハルマジライズ。好きなものは人間よ。」




