第11話 砂塵を掻き分け
界喰鯨の巻き上げた砂埃に接触し、ガルグイユのインビジブルが解除された。
不味い。非常に不味い。
このまま再発動が可能になるまでじっとしていれば界喰鯨に気付かれないか?いやそれは希望的観測が過ぎる。すぐには無理だと言っていたし、あれほどの巨体で的確に騎士を狙う程の精度を持つ。
全てを振り切って進むにも、背中から襲われるのが一番危険だ。真っ向から挑むには単純に戦う上で戦力外二人が居るのなら王宮騎士団のようにはいかない。これはガルグイユ達を侮っているのではなく、熾剣を持っていてはじめて前提条件となる程の対真魔戦だからこそ言える事である。
これからどのような行動を取るにしても、五人が各々バラバラに動いてしまうのが最もあってはならない。
「僕が前に出る!
シーニャはガルグイユとアンテノルを守れ!ウィスタリアはどっちにも回れるよう援護を!」
それぞれがどう思っていたのかは咄嗟の事で分からないが、行動がバラけるのが不味いという共通認識はあったようで真っ先に下したレイの指示に従う。
「はい!」「分かった!」
極光と熾剣を展開し、皆の前にレイとウィスタリアが立つ。
砂埃でよく見えないが、界喰鯨の影はうっすらとこっちを向くのが分かる。もう奴がこちらを気付いたと確証は持てないが、まったくの無関係と断じるのは無責任が過ぎる。
「構えろ…!」
目前に迫る死の気配。眼前に突き付けられるだけで汗が止まらない。
来る。
これまでにかつてない脅威が来る。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
頭突きのように頭で地面を薙ぎ払う。魔法でもなんでもない、ただのそれだけの攻撃。しかしそれには圧倒的な力と質量が伴う。最早目の前では山そのものが襲ってくるようにすら幻視する。
「シーニャ、ウィスタリア、全力で下がれ!!僕はほんの少しでもズラす!!」
氷の壁を生成し、少しでもその勢いを殺す。レイの氷の花弁で生成したものは身体強化の対象と出来るが、それは自分が触れている間の事だ。離れた傍から強化魔法は解除され、脆くなっていく。
だがそれは逆に言えばギリギリまで触れておけば、手を離れてもその時間の分だけ長く強化魔法が残留してくれるという事。
(強化した氷の壁を限界まで維持、ギリギリの際で離れて界喰鯨の巨体を耐え、躱す!)
相殺する訳ではなく耐える必要がある為に破砕の一撃を行使できないのが痛手だが、それを差し置いても十分凌ぐ目は見える。というよりも、やらなきゃ後ろに居るシーニャ達までもが死ぬ。やるしかない。
レイは迫りくる巨体に合わせて地面から坂のように伸ばした氷の壁を展開する。砂塵を掻き分けて猛然と迫るその巨体は最早生物のものとは思えぬ程だ。周囲がまったく見えなくなるのにも関わらず、それが迫ってくるのは嫌と言うほど理解する。
(く、ううううう……!!)
声をあげたくなるような恐怖を堪えて界喰鯨の身体から目を離さない。恐ろしいが、ほんの少しの遅れは死を招く。かといって声をあげてしまえば、ウィスタリアが心配をしてしまう。
接触してくるそのギリギリになるまで耐久強化を発動し続け、接触の瞬間に敏捷強化を発動して回避を計る。
(3………!)
(2………!)
「1!今だ!!」
氷の壁から敏捷強化をかけたその足で全速力で逃走する。その直後にすぐさま鋼鉄よりも頑強な氷の壁が純粋な力のみで破壊されていく。ほんの少しでも遅れればレイはあの氷の壁と運命を共にしていただろう。
界喰鯨の身体が僅かに上向きにズレたが、必死に逃げるレイにそれを確認している暇はない。あくまでも身体の方向が少しだけズレただけであり、そのズレは次第に方向を大きく変えていくだろう。だが、至近距離に居るレイにとっては変わらず攻撃が迫っている。
(もう、少し…!!)
逃げろ、逃げろ、あとは生き延びるだけだ。
それなのにレイの足は巨体から生き延びる為にはほんの少し届かない。
「レイさん!!」
シーニャの叫び声が聞こえる。彼女の本性は、心配から声をあげるような殊勝な性格ではない。
だがそれは逆に言えば、その行いに意味がある。
シーニャの声をただ信じて飛んだ。何をするのかも舞い上がる砂塵の中でろくに見えないが、それが機転にあると信じた。
瞬間、レイの身体が背中から切り裂かれる。
「うぁ!?」
これは界喰鯨の攻撃などでは決してなく、シーニャの極光である黒い風だ。物理的な刃と化すこの極光魔法は、シーニャの遠隔操作技術と併せて遠くの対象を切り裂ける。彼女に似合った純然たる殺意の塊のような極光魔法だ。
なんとシーニャは、それをレイに打ち付ける事で強引に背中を押した。氷の鎧を纏っている為、それはレイにほとんど傷を与えはしない。背中側から押し出す事で突き飛ばされ、界喰鯨の身体から見事に逃れる事を可能とした。
いくら遠隔操作が出来るとはいえ、砂塵でレイの姿すら見えない中でそれほど精密な操作すら可能になったのか。シーニャの加速度的な成長が垣間見える。
吹き飛ばされたレイは、受け身を取りながら転がり込むようにしてウィスタリア達と合流した。
「ふう…。ありがとうシーニャ。」
「いえ。こうして全員が生き延びたのはレイさんのお陰ですから。」
シーニャ自身が逃げるだけなら空を飛べば簡単に出来ただろう。だが全員を一気に高速で運ぶのは不可能だ。彼女が感謝を向けるのも無理はない。
砂塵が落ち着いていく。その間にも、レイ達はダンジョンの入り口へと駆け抜けていく。
界喰鯨は思わぬ氷の壁によりやや態勢を崩しているようで、それを立て直す為に追撃はなかった。
「レィナータ!」
「!」
名を呼ばれて振り向くと、遠く離れた場所ではあるが声の届く場所にロウェオンが居た。おそらく、界喰鯨の攻撃を凌いでみせたのがレイであるのも彼は理解しているのだろう。
だが、何故今ここに居るのかは分からないはずだ。ここまで来てしまうと呼び止められる事もない。
「ガルグイユ、言って良いかい?」
「まあ、うん。ええよ?」
界喰鯨が出現するほどの事態。おそらく王宮騎士団の中でも混乱が広がっているはずだ。
ならば隠しておく方が問題があると考えた。情報は心の余裕に繋がり、戦況を立て直すきっかけになるかもしれない。そしてそのようなきっかけがあれば、ロウェオンが見逃す筈もない。
敢えてロウェオンだけでなく、周囲にも伝わる雨風を押し退ける程の大声で返答する。
「僕は第六王女、レィナータ=フォン=カルラシード!
学友であるガルグイユが真魔の目を盗む術を持っていると知り、自ら臣下を連れダンジョンの調査へと向かう!
僕の力は界喰鯨を相手に退けた、今見た通りだ!依然問題ない!」
界喰鯨の攻撃を真正面から凌ぎ、態勢を崩してみせたのは並の騎士では難しいとんでもない偉業だ。それはこの怪物の相手をしていた王宮騎士団こそがよく理解している。
実際にはそれ以外に逃げ場が無かっただけだし、最後に逃げ切ったのはシーニャの助力あってこそだが、これをハッタリに利用する。危険極まりないダンジョンの調査に行っても心配しなくてもいい程の実力があると皆に思っていてほしいからだ。
「必ず生きて帰って来よう!君達の仲間も助け出そう!だから、身命を賭して戦ってくれ!」
レイの振る舞いに、その意図を汲んだらしいロウェオンは声を張り上げる。
「…!!承知した!!
聞いたか騎士の者共よ!この国の王女にあれ程の事を言わせたのだ!烈氷の剣姫などと渾名されるが、まだ今年学院に入学したばかりの十五の齢の少女に、だ!
貴様達は強大な敵程度に疲弊している暇があるのか?お前達の誇りとはその程度のものなのか!?」
ロウェオンは人の上に立つ事を好むタイプではないが、彼には見事にカリスマ性とその素質が秘められている。少なくとも、煽動という一点においてはレイ以上の弁論を持っていると言えるだろう。
「う、お、」
まばらに散っていた騎士達が口々に声を零し始める。
世界最強の軍であり、国を守護する盾であり、あらゆる魔物を殲滅する剣である王宮騎士団。その自負に恥じぬだけの実力を兼ね備えた騎士達であるからこそ、この檄は大きな意味を持つ。
「「「おおおおおおおお!!!!」」」
それは周りから、いや戦場の全てから響き渡るような声だった。
界喰鯨をはじめて視認した時の絶望感などは微塵もない。漲る活力は冷たい雨を吹き飛ばす程の熱気を発しているのを実感する。その声を背にしたまま、レイ達はダンジョンの入り口へと潜っていった。




