第3話 開幕
1
その兆候が、レイから見て完全に無かったかと言えば嘘になる。
第一にアリアがいくら強化魔法を習得しているとは言え、白昼堂々とスリを行ったことだ。
彼女は丸2年、ヘドウェッジやその同胞の指示からスリをし続けていた。相応の経験もあるはずだ。どうすれば見つからないか、どうすれば逃げ切れるか。
そう見ると昼間に帯剣した三人――つまり、少なくとも単なる平民でない者を標的にするのはあまりに危険ではないか。レイ達から逃げ切れたとして、高貴な身分であればどうする。王宮騎士団に顔の効く者が居るかもしれない。
そうするにしてもせめて夜に紛れるのが得策な筈だ。つまりあの時間にもスリをしたのは上からの指示だろう。
じゃあ何故使い潰しでもないアリアにやらせたのか?それはつまり、王宮騎士団が出ることは決してないという確信があったからに他ならない。
第二に、レイに直接謝罪をしに来ない事だ。
まだ学生の身分とはいえされど王女。王宮騎士団にとって自分達の不始末を王女に片付けて貰う形になっているのだから、レイをどう思っていても対外的に謝罪をするという形を取るべきであるのだ。そうして初めて醜聞は解決へ向かう。事実、平民街ではレイの人気に反比例して犯罪者を輩出してしまった王宮騎士団には僅かに不信感が募っているという。前回の大侵攻以降に移り住んだ者も多い中でそれは不味い。
であれば、それすらも出来ないのはどういった理由が考えられるのか。それは複数ある中で、最も現実的な理由は謝罪へ向かう事すら難しい程の状況になっている、とすれば説明が出来る。
物語はさらに一週間後。
六月に入り、雨の降りしきる日に始まった。
2
雨とは、想像以上に消音効果がある。
考えてみれば水の中で起きた音はずっと抑えられているのだし、水が天より落ちてくるのだから当たり前だと思う。
だから、そんな雨の日にも騒々しい音が聞こえてくるのはただ事ではない。
午前5時。レイはいつもよりも早い時間に目が覚めた。この時間ならばもうサリーは起きているかと考える間はなかった。外から早朝であるのに騒がしい音が聞こえてくる。怒号にも似た声だ。レイに向けられたものでなく、焦りからか声を大にしてしまっているような、そんな声。
(なんだ?何かが起きている?)
寝室の戸を開けると、そこにはサリーだけでなくメリアスも起きていて、濡れたツバキまでも其処に居た。
ツバキはこの時間に諜報に出て帰ってきたばかりなのだろう。肩で息をしている。
「説明してくれ。何があった?」
レイが端的に聞いてきたという事は、僅かな情報から異変を察知したのだろう。ツバキはそれを聞き返す事もなく、調査結果をただ伝える。
「真魔が、砦に詰め寄せてきた!大侵攻の予兆かもしれないって!」
「……!」
来てしまったか。想像以上に早かったせいで、まだ地固めの段階にしかなっていない。
あと10年、いや3年、せめて1年でも遅ければレイが採れる対策が他にもたくさんあった筈だ。今のままでは前線に出ることも難しい。
それと同時に、色々合点がいく。王宮騎士団が謝罪に出なかったのはそれどころでないからだ。もし乗りきることが出来たなら、元騎士団員による汚職など容易に払拭できる。
『鼠の牙』の連中もそれに乗じて大胆に盗みを働いていたのだろう。もしかすると辺境や国外に逃げる手筈もしていたかもしれない。結果論ではあるが、あの時にアジトへ乗り込んだのは正解だった。
「……少し、外に出る。話を聞ける部分もあるだろう。」
「分かりました。」
この時間からでも外が騒がしい辺り、学院側からも何かアクションがあると考えて良いだろう。ツバキに探らせても良いが、学院騎士団が動いているならレイが直接聞いてしまった方がずっと早い。
身支度を済ませると館の外へと出る。王族は別棟になっているが、やはり生徒の住む寮から学院騎士団の詰所まで、あくせくと動いているのが目に見えた。直接王宮騎士団と関わる生徒は一握りではあるだろうが、それでもこの忙しなさは伝わっているのだろう。一般の生徒もなんだなんだと起きて確認に出てくる者も居る。
こんな朝から動くほどに状況が悪いのだから、とにかく何かしなければまずい。可能ならばレイにも、出来る事をしたい。そう思って詰所に向かっていると、効き馴染みのある声をかけられる
「レイ!」
「ウィスタリア!君も起きたのかい。」
そう声を掛けられたのはウィスタリアだ。彼も同じく、目を覚ましたようだ。
「これはどうなってるんだ?まだ朝の5時半だぞ。」
「なんでも、ヴァルハラに多くの真魔が現れているらしい。大侵攻の予兆であるかもしれないと。」
「!!」
それを聞いたウィスタリアの顔が強張る。当然だ。この国の騎士を志す者において、大侵攻という現象に恐れを抱かない者は居らず、そして皆が立ち向かうべきものであるとも認識している。それは騎士たらんとするウィスタリアにとってはさらに当然と言える事だろう。
「となると、学院騎士団からでも何か行動を起こすのか?」
「分からない。でも、行ってみて確認しようじゃないか。もしも何かがあるとすれば、間違いなく学院騎士団からになる筈だ。」
「だな。」
会話も早々に切り上げ、少しでも急いで詰所へと向かう。
気まずい空気であるだとか、そういうのではない。今『大侵攻』という言葉を聞いたウィスタリアに、心の整理を付ける時間を渡してやりたかったのだ。
学院の端にある学院騎士団の本拠地へとたどり着くと、訓練場に武器を持ちだしている上級生たちが居た。そこには副団長であるロウェオンも混じっている。
「兄上!」「ロウェオン様!」
「む。レィナータに、ウィスタリアか。お前達には招集はかけていなかった筈だが。」
招集がかかっていない、という事は裏を返せば上級生には声をかけていたのだろう。詳細をロウェオンに問う事にした。
「大侵攻の予兆のようなものが起きているだとか。この集まりもその関係ですか?」
「うむ。学院騎士団の上級生が従騎士として、俺を含む熾剣持ちは遊撃隊として共に出る事となった。今はその準備をしている。」
「兄上。」
「僕達も出たい、というのだろう?ダメだ。」
これは意外でもあった。彼は実力主義であり、そしてレイの実力そのものはロウェオンも既に認めていると思っていた。ならば、参加したいと言っても賛同してくれると考えていたのだ。
「俺達は戦えます、ロウェオン様!」
ウィスタリアは食い下がる。これが貴族のプライドだとかなら鼻で笑っていただろうが、レイとウィスタリアが真剣に力になりたいと考えているのは、二人の人となりを知るロウェオンは理解している。故に、きちんと理由を示す。
「これから向かうのは軍への合流だ。調練を受けた者でなくてはならん。
お前達二人がいくら個として強くとも、まだ入学して1ヶ月そこらしかない者達が弛む事なく連携を取る事が出来るか?
不可能だ。いや、もしお前達にそれが可能でも他の人間が合わせられない。
だからこそ、従騎士としても出す訳にはいかんのだ。」
シーニャが前線に出せないのと同じ理由だ。もし数体の真魔を相手できる者であったとしても、それにより全体が乱れてしまえばそこから瓦解してしまうかもしれない。
軍として戦う王宮騎士団であるからこそ、それは看過する事が出来ない。
もしもその上でそういった異物を出させるのであれば、騎士として鍛錬を積んでいくか、そもそも頭として一部隊の隊長を任せるというのが最善策だろう。レイとウィスタリアは前者で、シーニャは後者にあたる。
「…………わかり、ました。」
レイが学院騎士団に入団したのは有事の際にも共に同行出来るからだと思っていた。だが、きちんと意味ある理論として出ては不味い事は分かる。せめてあと半年ほど遅ければ同行できたのだろうかと考えると、悔しさを噛み締める他にない。
この悔しさこそが、シーニャやメリアスの受けた疎外感に等しいものなのかもしれない。




