第6話 流転する運命
1
家である屋敷に辿り着いた時、一番初めに異変に気付いたのはツバキだった。
「獣だ。獣、臭い。」
屋敷の敷地に踏み入れた時、そう言った。
だが、その直後に訂正する。
「違う。これは、魔物、だ。」
言い切るツバキに、レィナータは不思議そうに聞く。
「ツバキ。なんで分かるの?」
「私の住んでいた村には、たびたびこういうのが来ていた。」
主の問いかけであるというのに、ツバキはレィナータの方に目もくれず屋敷から目を逸らさずに話す。
いくらツバキが礼儀知らずでもそれを無礼と思わぬ程ではない。そうせねばならないという事が今の重大さを物語り、レィナータ、メリアス、サリーの3人にも緊張が伝わった。
魔物の恐ろしさを知りながらも実際に見た事はないサリーは震えた声でメリアスとツバキに尋ねる。
「ど、どうする…の?」
「魔物……それももし真魔であれば、一匹駆逐するだけでも、確実に戦うには王宮騎士3人が必要だ。
それも、きちんと武装した。攻防に耐えられる鋼鉄の剣と鎧も必要だ。
今の私は…強化魔法すら使えない。お前達だって、騎士などではなかろう。」
真魔。フーニカール以北に現れる魔物の総称だ。
普通の魔物と違いより強靭で戦う事に特化したような体躯をしており、全ての真魔は例外なく魔法を全て弾いてしまう恐るべき能力を持つ。
それによる怪我は回復魔法を弾いてしまい、呪いを纏っているとも形容される。
その為この国は世界一の魔法国家でありながら騎士の国であり、騎士こそが誉れとされる理由なのだ。
メリアスはその恐ろしさを理解している。
だからこそ釘を刺すように、ツバキに問いかける。
「私達で、なんとかするしかない。」
すぱりと返すツバキに、レィナータは続けた。
「……ここは、あまりにもウズの村に近い。私達が逃げては、ウズの村の村人が危険だ。」
「レィナータ様だけでもお逃げ下さい。」
メリアスの言葉に、レィナータは返した。
「役に立てないかもしれないけど……。でも、三人だけよりももう一人居る方が、何か出来る事だってあるかもしれない。」
「……レィナータ様が仰られるなら、そうしましょう。二人とも。今何を使えるかしら。」
サリーの問いに、各々が持っているものを話す。
その答えは頼りないものだった。
食材を運ぶ為に連れてきた荷車牽きの馬が一頭とほぼからっぽの荷車、そしてメリアスの木剣。サリーは魔法を習得している為、それも少し手助けになると答える。
ただし、ひとつ予想外なものがあった。
「わたし、毒がある。」
「本当かっ!」
なんとツバキが毒を持っているというのだ。それも、魔物にすら効くという毒を。
思わず、レィナータが聞いた。
「なんでこんな物騒なものを持ってるの?」
「ここに来る前に東部・アルスバルテ地方で作ってた毒ビン。二つだけ。
でも真魔に効くかどうかは分からないし、しかも毒の巡りを加速させるには炎が居る。」
「いや、有難い。これで随分光明が見えた。」
メリアスの力強い返事に一同がこくりと頷く。
王宮騎士ですらも三人かからねば殺せぬ魔物。
それを、多少腕に覚えがあってもメイド三人で対峙せねばならないのだ。
「足跡からして、多分三匹だと思う。」
松明を持ったメリアスが前に出る。毒の小瓶を持ったツバキがその後ろに、サリーは一番後ろに立ち、その背にはレィナータが隠れる。
メリアスが、屋敷の扉を蹴り開けた。
2
蹴り開けた扉から、三匹の魔物が飛び出してくる。
それは腰まで程度の大きさの猪のような体躯をしていた。
その猪には、身体中に岩のような甲殻が張り付いている。甲殻の切れ目から、三人と一人を睨みつける。その視線に、レィナータは思わずびくりとした。
「壁猪だっ!!まともに、裸で突進されれば死ぬ!」
メリアスが叫ぶ。裸で、とはつまり鎧も盾もない丸腰という事だろう。
寸分の狂いも許されない。その言葉は、ツバキとサリーの気を引き締めさせると同時に、メリアスに知識がある事実が少し無為な緊張をほぐし解かした。
一匹の壁猪がメリアスへと突進してくる。その突進を傍にあった木の桶を投げつけ、前を隠した上で通りすがりざまに木剣を叩き付ける。
「チッ……手ごたえ無しか!」
嘆くメリアスを余所目にツバキが咄嗟にその全長を見比べ、叫んだ。
「それは恐らくはまだ幼体か、成熟したばかり!一番奥の個体が一番大きい、気を付けて!」
残る二匹の壁猪が同じく駆けだして来る。
もう一匹はメリアスが木剣で殴りつけ、逸れた隙を見て壁へと突進させるも、最後の半成体は木剣での攻撃では揺らぎもしない。
「っちぃ!!」
「メリアスちゃん、横に!」
サリーの言葉と同時に真左に飛び出すと、サリーの包むように合わせた両掌の中に生成された拳大ほどの小さな火球が、壁猪の半成体を吹き飛ばした。
「助かった、サリー!」
「でも、効いてないわよ!」
真魔に魔法は通用しない。分かって入るが声に出してしまう。
そうやり取りをしている間に城壁に突撃した幼体の壁猪が帰ってくる。またも、一行へ向けて突進を加える。
「させ、ん!!」
メリアスがその壁猪二匹に向けて木剣を叩き付ける。
その内一匹にはクリーンヒットし、幼体の背の甲殻が剥がれ、肉が露出する。
「そこだっ!!」
ツバキは肉が露出した壁猪に向けて毒の小瓶を投げつけると、幼体壁猪はピギィと鳴き声を上げる。
続けざまに放たれたサリーの火球が露出させ、毒の回った部位を捉え、幼体の一匹を絶命させた。
「よし、効いた!!」
メリアスは毒ビンが通った事に歓び、次の獲物へ目を向ける。
しかしその倒れる姿に呼応するように、鳴き声を奮い立たせるようにこだまさせると、半成体がサリーの後ろに居たレィナータに牙を剥いて飛び掛かる。
「あ――、」
レィナータがそう言い切らない瞬間に、レィナータをサリーが右手で突き飛ばした。
その右手に、そのままの勢いで齧り付き、食い千切る。
「っ、ああああああああ!!!!」
「サ、サリー!!!」
半成体の壁猪が、サリーの右手を食っている。
その光景はレィナータを恐れさせるには十分すぎる事実だった。
3
サリーの左腕が、膝から先が半成体の壁猪に食い千切られる。
つまり、もう両掌から放つ魔法を放つ事は出来ない。
毒を循環させるのを早める為の炎が無くなる事も意味している。
「ツバキ!!毒は!」
「あと、ひとつ!!」
恐れを振り払うように残る二人は大声を張る。
サリーが庇い、吹き飛ばされたレィナータは畏れ、身体を震えさせて動けない。
咄嗟にツバキが飛び込んでレィナータを抱き締め、助け出す。
「待って、サリーが……」
ツバキの腕の中でレィナータが囁く。しかし、左腕を失ったサリーはそれを言い切る前に大声で遮る。
「当然!お嬢様を、お守りして!!」
その言葉に合わせるように、ツバキが強く抱きしめた。
ニコリ、と微笑むとサリーはゆっくりと気を失う。彼女は戦いの得手を学んでいる訳ではない。
それでも、仕える主を優先するという意思は間違いなく持っている。
サリーの左腕を食う半成体の壁猪にメリアスが飛び掛かる。
「その手を返せ!!私の友だ!!」
木剣で甲殻を打ち付けるも、幼体よりも甲殻は強く張り付き、剥がれない。
メリアスはさらに強く薙ぎ払うも、ついに木剣が折れる。
その一撃は不快であったようでサリーの左腕を口から落とし、今度はメリアスの右足に食いかかる。
「がッ、あ、あっ……!!」
メリアスは痛みから声を漏らすも叫ぶ事は無く、右足を口から振りほどこうとせず、寧ろ好機と見たのか背の甲殻の継ぎ目に指を突っ込み、両手で強引に剥がし始める。
これには驚いたようでブゴゥ、と唸り声をあげる壁猪だが、メリアスは意にも返さずただ甲殻を剥がす事だけに注力する。
そして、剥がしきる。魔法を扱えないのに恐るべき膂力、そして精神力だ。だが、それとほぼ同時に違う場所からブチィ、と嫌な音がした。
「め、り、あ……」
レィナータが言葉を漏らすがメリアスは自分の怪我など気にも留めない。
「ツバキ!!毒瓶を!!」
その声に合わせ、ツバキは毒瓶を投げつけ、受け止めたメリアスが瓶の中身を壁猪の露出した肉にぶちまける。
壁猪はその激烈な痛みから怒り、強引に牙でメリアスを引き剥がそうとするも、メリアスの肩を掠めて終わる。
咄嗟に、先程扉を開けた際に投げ出した松明を拾い上げ、壁猪の背へと突き刺した。その松明の炎が消えるよりも早く、半成体の壁猪は近くの木箱へと突っ込んだ。
「はあ……はあ……。」
壁猪のゆっくりと失われていく体温と共に、メリアスも意識が飛んでいく。
「レィ……ナータ……さ、ま……。」
そこには勝利の喜びなどなく、失った右足を考えるでもなく、ただ主を慮る気持ちのみである。『ままごと』の騎士の信念は、彼女が本当の騎士であった頃よりも騎士らしくあったのだ。
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サリーとメリアスの奮闘で、壁猪を二匹駆逐した。
しかし、まだ一匹残っている。もう毒瓶は無いのにだ。
幼体の残る一匹は、他の仲間が死んだ事に驚いたのか、或いは理解していないのかその場から動こうとしない。
だが、それも時間の問題だろう。
「ツ、ツバキ……。」
不安気な顔のレィナータをツバキは優しい顔でにこり、と話す。
「大丈夫。わたしに、任せて。」
震えるレィナータを優しく撫で、草陰へと隠す。
ツバキは荷車から包丁と油壷を出すと、包丁を構え、油壷を抱えて暴れる幼体の壁猪の元へと一気に走り抜ける。
壁猪はツバキに驚き、そのまま突っ込んでくる。
その壁猪に、油壷を投げる。仲間が死に慌てふためいている壁猪は、思わずそれを牙で薙ぎ払い、撃ち壊す。
そして油をもろに被り、油まみれになった壁猪は止まれず、そのまま城壁に突っ込み、身動きが取れず転倒する。
「今だ!!」
壁猪が転倒した瞬間に飛び掛かり、包丁を心臓のある胸へ向けて突き立てる。
真魔は頑強な肉体を持っているが、まだ幼体であるならば未発達である筈だ。メリアスが甲殻を剥がせたのがその何よりの証拠だろう。
その瞬間、壁猪は牙を大きく振り回し、ツバキの胸の中心に突き立て、そして左肩へ向けて突き抜けた。
鮮血が飛び散り、ツバキの顔が苦痛に歪む。
「っ、………………!!」
ぐぐ、と歯を食いしばり油まみれの壁猪の胸へ、正確に心臓に向けてただまっすぐに突きたてた。
この瞬間にも暴れ回る。死の間際の獲物こそが最も恐ろしい事をツバキは知っている。だが、手負いの獣は凶暴性を増し、死ぬまで何よりも危険であるのもまた知っている。
ここで逃せばレィナータが、あるいはウズの村がこの壁猪に襲われるだろう。
そうなると元騎士であるメリアスや魔物の知識のある自分、魔法を使えるサリーのような戦える者の居ない村はどうなってしまうのか。
ツバキはそれを容易に想像できる。
だからこそいくら暴れ回ろうと、ツバキは決してその手を緩めない。
「~~~~~~~~!!」
華奢で小柄なその身体の、精一杯の力をもって抑えつける。
暴れ回る壁猪の牙がツバキの左耳を貫くと、そのまま顔を真一文字に引き裂いた。
痛みに一瞬たじろいだツバキの視界の隅には、草陰で隠れているレィナータがちらりと見えた。
大粒の涙を流しながら、それでも壁猪を刺激させまいと必死に口を押さえつけている。
その姿を見ると、とうに使い果たしたはずの力が湧いて来る。その瞬間にもまた牙は襲い来るが、少しも恐怖など無かった。
鮮血が散る。
ただし今度はツバキのものではなく、壁猪のものだ。
ツバキに牙が届く前に血を噴き出し、壁猪はぐったりと力が抜けていく。
ツバキは安心したように、後ろに倒れ込む。保っているのがやっとだった意識は途切れていく。
こうして、三人のメイドによりカルラシード家による壮大な暗殺劇は失敗に終わったのだ。
だが、倒れ伏している三人の従者という大きすぎる犠牲は避けられないものだった。
「あ、ああ…………。」
声を上げる訳でもなく。
ただ茫然と、声を漏らしてしまう。
違う。
此処でする事はそうじゃない。
ただ現実に打ちひしがれるだけでは、皆はこのまま出血で死んでしまう。
今此処で立っているのは、レィナ―タただひとりだけなのだから。
「っ……ぅ。ふー……っ。ふー……!!」
涙をこらえて、声を抑えて。
レィナータはウズの村へと走り出した。
彼女達を助ける為には、立ち止まってはいられない。




