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第4話
森の異変と黒の剣
「……ほんとにこの先?」
街を出てしばらく。石畳が土に変わり、家々の数が減り、やがて森へ足を踏み入れたところで、うちは立ち止まった。
背後にはアークスの城壁。前には木々が重なり合う深い緑。湿った空気が肌にまとわりつく。
「はい。依頼票の地点はこの外縁湿地帯です」
隣を歩くリリアが迷いなく答える。
「詳しいね」
「地図と周辺情報は頭に入っています」
「便利すぎる」
「基本です」
「それ口癖でしょ」
軽口を交わしながらも、足元は慎重に運ぶ。地面は柔らかく、ぬかるみが靴に絡みつく。ところどころ水が溜まっていて、踏むたびにぬちゃ、と音がする。
「で、スライムってどんな感じ?」
「半透明の粘性体です。内部に魔力核を持っています」
「うん」
「物理攻撃は通りにくく、魔力攻撃が有効です」
「なるほどね」
「ただし」
リリアが指を立てる。
「環境によって個体差が生じ、耐性が変わる場合があります」
「ちょいめんどいな」
「基本です」
「やっぱそれ言うよね」
そのとき。
ぬちゃ。
足元で音がした。
視線を落とす。
青く、ぷるぷるとした塊。
「……これ?」
「スライムです」
「ちっさ」
手のひらサイズ。
正直、弱そうにしか見えない。
「これ三体倒せばいいんだよね?」
「依頼内容上はそうです」
「じゃあ――」
うちは一歩下がる。
口の奥に熱が集まる。
《竜炎吐息》
「それそれ」
ゴォォッ――炎が吐き出される。
スライムを包み、瞬時に蒸発させた。
リリアが固まる。
「……は?」
しばらく動かない。
「今の……」
「炎」
「違います」
「いや炎だって」
「詠唱がありませんでした」
「うん」
「魔法陣もありませんでした」
「うん」
「発動の前兆も確認できませんでした」
「うん」
リリアがゆっくりとうちを見る。
目が完全に開いている。
「どうやって出しました?」
「吐いた」
「そんなわけないです」
「ほんとに」
「そんな簡易動作で高熱量の魔力を……」
ぶつぶつ言い始める。
目がやばい。
完全にスイッチが入った。
「やめてその顔」
「もう一度お願いします」
「え?」
「再現してください」
「今?」
「今です」
「いやちょっと待って――」
ぬちゃ。
音。
周囲から。
「……ん?」
見る。
一体。
二体。
三体。
四体。
五体。
「増えてない?」
「……想定以上です」
リリアの声が低くなる。
ぬちゃ、ぬちゃ。
さらに現れる。
草むらから。
水の中から。
「いやいやいや」
「囲まれつつあります」
「聞いてない」
スライムが一斉に動く。
跳ねる。
迫る。
「来た!」
《竜炎吐息》
「いけ!」
ゴォォッ――
炎が一直線に走る。
数体が消し飛ぶ。
でも。
まだ来る。
「多くない!?」
「異常です!」
リリアが魔導書を開く。
「風属性魔力、流動比率調整――」
「長い!!」
詠唱中にスライムが迫る。
「ちょっと待ってって!」
足元にまとわりつく。
冷たい。
重い。
「うわ、これやばい!」
《竜炎吐息:出力上昇》
「それそれ!」
ゴォォォッ!!
さっきより強い炎が噴き出す。
一帯のスライムがまとめて蒸発する。
蒸気が上がる。
でも。
まだいる。
「きりないんだけど!?」
「個体数が異常です!」
リリアが叫ぶ。
「風刃展開!」
風の刃が飛ぶ。
スライムが裂ける。
「ナイス!」
「ですが数が――」
まだ増える。
ぬちゃぬちゃと、地面から湧くように。
「無理無理無理!」
足が取られる。
ぬかるみ。
動きが鈍る。
「やばっ」
スライムが膝まで絡みつく。
「動けない!」
そのとき。
空気が変わった。
ほんの一瞬。
音が消える。
ぬちゃぬちゃという音も、風の音も、全部。
次の瞬間。
ズバッ。
何かが通った。
目の前のスライムが、まとめて裂ける。
「え?」
振り向く。
そこにいた。
黒髪の少女。
細い体。
無駄のない立ち姿。
そして。
黒い剣。
「……」
無言。
ただ立っているだけ。
なのに。
圧がある。
スライムたちが一瞬、動きを止める。
少女が一歩踏み込む。
消えた。
次の瞬間、別の場所にいる。
斬る。
一体。
斬る。
二体。
斬る。
三体。
速すぎる。
「……速っ」
リリアが息を呑む。
少女は何も言わない。
ただ、斬る。
無駄がない。
全部、最短。
全部、当たる。
全部、終わる。
最後の一体が逃げようとする。
少女が一歩。
一瞬で距離を詰める。
ザン。
終わり。
静寂。
少女は剣を振る。
黒い液体が地面に落ちる。
そのまま、こちらを見る。
目が合う。
冷たい。
でも。
完全な無感情ではない。
「……」
しばらく沈黙。
うちが先に口を開く。
「助けてくれた?」
少女は少しだけ間を置いて。
「……ついで」
「ついでかい」
リリアが一歩前に出る。
「あなた……今の動き……」
「……」
少女は答えない。
ただ、うちを見る。
じっと。
翼。
尻尾。
角。
全部。
「……何」
聞く。
少女は短く言った。
「……変」
「それ今日何回目!?」
「人間じゃない」
「いやまあそうだけど」
リリアが横から言う。
「未知です」
「言い切るな!」
少女の視線がリリアへ移る。
「……うるさい」
「え」
「長い」
リリアが固まる。
うちは思わず吹き出した。
「ははっ!」
「笑わないでください!」
少女は変わらず無表情。
でも、ほんの少しだけ空気が柔らいだ気がした。
「……セラ」
「え?」
「名前」
「お、自己紹介きた」
「ノア」
「リリアです」
セラは小さく頷く。
そして。
「……弱い」
「え」
「動き」
うちを見る。
「……雑」
「……」
言い返せない。
さっき、押されてた。
数が多かったとはいえ、対応できてなかった。
セラはそれ以上何も言わない。
ただ剣を収める。
「……帰る」
「あ、ちょっと!」
呼び止める。
「また会う?」
セラは少しだけ振り返る。
「……多分」
それだけ言って。
森の奥へ消えた。
静かになる。
「……何あれ」
「強いです」
リリアが言う。
「明らかに経験者です」
「だよね」
うちはスライムの残骸を見る。
黒く焼けたもの。
真っ二つのもの。
「……うち、まだまだだな」
リリアが横を見る。
「そうですね」
「即答!」
「ですが」
少し間を置く。
「あなたの魔法は異常です」
「それ褒めてる?」
「最高級です」
「うわまた目がやばい」
リリアは真剣に言う。
「理論を超えています」
「なんかすごそう」
「ただ」
「ただ?」
「戦い方を知らないだけです」
「……」
空を見上げる。
夕焼け。
森の上が赤く染まっている。
「……そっか」
少しだけ笑う。
「じゃあ覚えるか」
「はい」
リリアが頷く。
「合理的です」
「それ好きだねほんと」
依頼票を見る。
三体。
終わってる。
「……帰るか」
「はい」
二人で歩き出す。
その背中で。
翼が、少しだけ軽く動いた。




