魚卵と煙草
私は、この世界に転生してからよく悪夢にうなされる。
夢の内容は、そのほぼ全てが転生前の記憶のフラッシュバックであり、悪い部分だけを切り取ったような夢なのだ。
普通であれば、16年も経てば以前の記憶はほとんど忘れるのだろう。
だが、私は寝起きだとしても、そのほとんどを昨日のことのように思い出せる。
実際、ついさっきまでソレを追体験していたのだから、当然と言えば当然である。
この夢にうなされているせいで、いつもネビロに叩き起されて目が覚める。
ここ数週間は特に。
「……起きたか、ウィルフ」
聞き馴染んだ声だ。
むしろこの声がしないと起きたという感じがしない。
今私が寝転がっているベッドは、寮のものよりずっと分厚く、心地いい。
私は起き上がり、隣のベッドにいるネビロに応じた。
「……ここどこ?」
「病院だよ、王都の。」
私はネビロの奥のベッドを見た。
1番奥のベッドにはレティ、もう一つ手前、ネビロの隣のベッドには誰も居なかったが、おそらくアガリアのベッドだろう。
「2人の意識はもう俺より早く戻ってる。レティは普通に寝てるだけだよ。だって今夜の4時だし。」
言われてみれば、部屋の明かりが付いていないし、窓の外も真っ暗だ。
部屋にある明かりはネビロのベッドの小さいランタンのようなものだけだった。
「……なんでネビロは起きてるのさ」
「アガリアが心配なんだよ、部屋の外行っちゃったから。」
それからも、ネビロから色々な事を聞いた。
地下で気絶してから16時間ほど起きなかった事、あの作戦で死者は出なかった事、ラームとアジロはこの病院の別室にいて、私含め明後日には退院予定である事。
そしてネビロが、マモンに連れ去られてからの記憶が思い出せない事。
私はまだどうにも頭が回らないので、枕元に置かれていたフリーのメモ用の付箋に聞いたことを書き留めた後、もう一度眠りについた。
「……大体理解した。フォルクス、お前は王都に残れ。少なくとも、王都でまた何かあったら何時でも対応できる位置にいろ。」
王都の高級な宿屋、もはやホテルのような内装の一室。
フォルクスはモノクルも外し、ベッドに寝転び、猫のような振る舞いを見せる。
「いいですけど、王都には彼もいますし、問題が起きてもそうそう大事にはならないと思いますけどねぇ」
フォルクスは、毛布に包まる。
普段よりもずっと砕けたような口調で話す。
「分かるだろ、ロイ一人でシャール達を接触させたらどうなるか。」
どの世界線だとしても、人間関係の苦労は絶えない。
アインは荷物を持ち、部屋から出る。
「……団長、大丈夫かな……」
フォルクスはアインの居なくなった部屋で独り、呟いた。
「……ハーレー」
アインが部屋から出ると、ハーレーが待っていた。
「団長、ほんとにプルフラスの後始末、全部オセって子に任せちゃっていいの?」
プルフラスは死んだ。
フォルクスが上半身を切り落とした直後、自分自身の魔法で自害した。
理由は、あまりはっきりしたものは思いつかないが、おそらくプルフラス自身のプライドの問題だったのだろうということで決着した。
アインにとって、貴重な情報源を失ったことも、精神を追い詰める理由になっていた。
「……問題ない。オセ君は優秀だ、上手いことやる。」
アインの顔は暗い。
整った顔立ちに似つかわしくない虚ろな目をしている。
ハーレーは多少気を使ってはいるが、元々そんな空気の読めるタイプではない。
「団長、もしかしてなんかアレ以外にも悩み事ある?」
アインはしゃがみ込む。
「……最近、フォルクスが名前を呼んでくれない。それどころか敬語だ…2人きりの時でさえ。」
アインは今年で28歳。
フォルクスとは12歳の頃からの仲なので、16年来の友人ということになる。
そんな仲の相手にすら、関わり方で悩んでいる。
正直に言えば変人だが、鬼殲騎士団に限らず何かに突出した人間は、意外と稚拙な一面を持っているものだ。
「そうかなー、団長の顔を立ててくれてるだけじゃないの?」
「……お前はもう少し俺の顔を立てろ。いつの間にタメ口になったんだ」
ハーレーは何も言わず、銃弾の形をした銀色のペンダントを弄る。
2人とも任務の時とは売って代わり、非常にラフな格好だ。
傍から見ると、ただの仲が良い、どちらかと言えばプラトニックな関係の、一般的な男女のように見える。
「……ロコは?」
アインが尋ねる。
「もう行かせたよ。2人に何も言わずに出発した事、申し訳なさそうにしてたよ。」
「……ただでさえ気の弱いロコをお前に預けたのは私のミスだな。」
アインは立ち上がり、ハーレーを引っ張って廊下を歩く。
魔族、魔物関連の問題こそ少ないものの、王国全体では人間同士の問題はかなり多い。
特に、王国の中で最も個としての武力を持つアインにとって、それは避けられない話だった。
仕事は山ほどある。
この王国がある魔法大陸には他に4つの国がある。
特に敵対している訳では無いが、関係が良好とも言えず、戦力的にも拮抗状態である。
それ以外にも、東には「島国」と「軍国」、北には「寒冷大陸の多民族国家」、西には無数の小国家があり、王国はそのどれともいがみ合っているような状態である。
王国最強の鬼殲騎士団はよく王国上層部と周辺国家の間で板挟みになっている。
20代前後の集団が、王国保持の要になっている。
その上、鬼殲騎士団内の人間関係もかなり良くないと来ている。
最近のアインは、若干メンヘラである。
元々、メンタルが強いタイプではない。
ただ、鬼殲騎士団が結成された5年前から、確実に悪化してきている。
「マモン……という魔族だったね?王宮の書物には似たような名前が載っていたそうだが、君は知っていたかね?アルカン君」
ドストフが椅子に腰掛け、話しかける。
アルカンはドストフの背後に立っている。
室内、しかし重々しい金色の鎧を脱ぐことはない。
「うーん、海の怪物に「半魚人」って言うのがいましたよね、何か関係ありますかね。」
「……アルカン君、少しは考えてからものを言いたまえ。ウチのぼんくらの生徒共と話している訳じゃ無いぞ。」
ドストフはオセからの報告を受けた研究所の人間の中で、恐らく唯一動揺しなかった。
ネビロが攫われてから、ドストフは何もアクションを起こしていない。
自分の教え子、と言うと語弊があるが、管理責任のある子供が狙われ、実際攫われたとしても、何も。
コンコン、とドアがノックされる。
「失礼します」
木製のドアが静かに開く。
入ってきたのは、見覚えのある茶色と白のグラデーションの長髪、長い足、背の高い美人の女性。
「エリン君、急に呼んですまなかったね。」
エリンは、半年以上前に研究所での訓練を終えている。
「早速要件を聞かせてください。やはりあの上級悪魔の件でしょうか?」
エリンはアルカンに促されドストフの前に座る。
既にあの一件の事はエリンの耳に入っている。
事が終わってから三日が経ち、負傷者も殆ど全員復帰したタイミングで、エリンはドストフに呼ばれた。
「せっかくなら、作戦が始まる前に呼んでいただければ喜んで戦闘に参加したのですが。」
「いやいや、君のような優秀かつ希少な才能を不用意に殺してしまってはいけないのでね。」
エリンの瞳孔が大きくなる。
アジロ達を捨て駒のように扱っていた、という意味にとれる。
アルカンがドストフの失言に気づき、ドストフに耳打ちしようとした瞬間、被せるようにドストフが話し始める。
「おおっと!失礼、失言だったな、今のは言葉のあやだ。今回命をかけて戦ってくれた彼らを侮辱するような意図はないとも。」
わざとなのか、それとも本人の性質ゆえか、随分と白々しいような言い方だ。
ドストフは両手を挙げ、降伏のポーズをとった。
更に話し始める。
「だがね、長いこと才能のある人間を観ていると、わかるのだよ。乱れた戦場において、生き残りやすい人間とそうでない人間というものが。オセ君は別として、生徒の3人は「火事場の馬鹿力」があるタイプとよく分かる。本当、今回は文字通りになったが。エリン君、君は戦闘能力は高いが、あの戦場は不向きだった、私はそう考えたがね。」
エリンは、3人の事を決して見くびっていた訳ではない。
しかし自分も、格上が入り乱れる戦場でもそれなりにしぶとく生き残るタイプだと考えている。
ドストフの話は、エリンにとってあまり共感できる部分は多くない。
しかし、それを考慮したとしても、エリンには胡散臭く思えた。
「だからこそ、君は憲兵団ではなく実際の戦闘が多い特殊部隊に入ったのだと思っていたが。」
エリンは卒業後、研究所ではなく王国直下の特殊部隊に務めている。
数秒の沈黙を挟んだ後、エリンが再び口を開く。
「……本題を」
ドストフは背筋を伸ばすと、アルカンにアイコンタクトで指示を出した。
アルカンが部屋の扉の前まで歩き、開ける。
すると、見覚えのある一組の男女が入ってきた。
「……ラームとフォルネ?何故2人がここに?」
2人の目は暗い。
「説明しよう。ただし、これは重要機密なので内密に頼むよ?エリン君。」
この一件で戦場となった建物は、元々は宗教団体の保有していた建物が廃墟となった場所である。
この王国に限らず、大陸全土で信仰されている「ソル教」という宗教が最も一般的であり、基本的に人々は信心深いとは言えないものの、一部の魔法体系にも組み込まれている為大抵が「ソル教」信者と括られている。
あの建物は、「ソル教」の建物ではない。
あの一件が終わってから、建物は数人の憲兵団の人間によって常に包囲されている。
とはいえ王国の兵も、逃げたマモンの捜索や王都全体の警備の強化で、あまり戦力をその他に割くことができない。
建物内の調査も進んでいるが、地下の資料などは全て燃えて消えてしまった。
現在、アジロが持っているあの切れ端を除いて。
「プルフラスは死んだ」
ひたひた、と裸足で歩く音がする。
「なかなかやるじゃないか……あの男」
冷たい床を、煤のこびり付いた壁に触れながら、歩く。
マモンは、一度もウィルフ達に素顔を見せておらず、多少赤い角がはみ出て見える程度だ。
常に布を全身に纏い、体格すら誤魔化している。
若い男の声だが、声を変える魔法も存在する。
尤も、魔力捜査をしていたオセには、現れる瞬間に気づかれていたが。
「プルフラスの仕掛けに気がついていたな、敢えて伝えなかった。」
暗い廊下の奥、隠すように焼け跡にカモフラージュされた部屋の扉を開く。
部屋には、冒険者ギルドにものよりずっと古い型のテレポーターがある。
壊れかれのテレポーター制御装置に手をかける。
「これは天啓だ。私の生まれながらの天啓。」
制御装置の端には、血で文字が書かれている。
〈魔の王〉
ガンッと制御装置を殴る。
すると、テレポーターが光り出す。
「解析は終わった、駒を進める」
顔が照らされる。
真紅の肌、切れ長の目、長いまつ毛、紫の瞳孔、そして




