一寸先はくもり、ときどき火事
一寸先は闇。
もっとも、誇張表現である事は否定できない。
この表現との一番の違いは、その奥にあるものが闇などではなく、照らされるどころか光を放っている事だ。
「ウィルフ君!」
迫り来る炎に水の魔法をぶつけながら、私はその声に返事をする。
「どうするんですかオセさん!結界の破壊と火の消火、どっちが早いですか!」
呼吸器を布で覆っているとは言えど、この狭い地下空間ではどんどん煙が濃くなる。
私は激しく咳き込みながらも、詠唱を止めない。
「...ウィルフ君は消火に尽力してください...!」
炎の激しく燃え盛るという音で、かなり聞こえづらい。
大量の煙を吸い込んで朦朧とする中、回らない頭でオセへの返答を出力する。
「じゃあ...ネビロは!?」
「...僕が何とかします!腹括りますから...ウィルフ君も死なないでくださいね!」
オセが、今までにない程に声を張り上げ、私の耳から脳を突き抜ける。
それが強力な気付けになり、それによって取り戻した多少の思考力が、自身の火照る心体を冷静に戻した。
視界の端で、オセがアジロから渡された試験管をポケットから取り出していた。
この状況で、最も気にするべきネビロの解放を、手段も聞かずにオセの言葉を鵜呑みにできたのは、単純に一酸化炭素中毒で注意力が低下していたからかもしれない。
だが、正直疑念を抱いている研究所側の人間だが、どこかでオセの事を信用できると感じていたとも思えた。
オセはネビロを覆う結界の前にしゃがむ。
「...煙は中に侵入していない...それは良かったが」
オセの考えでは、ネビロをもう我々をおびき寄せる罠としてしか見ていないのなら、結界も強度を上げるためにその他の基礎効果を削ぎ落としている可能性もあった。
幸い、そんなことはなかったが、それはそれで考える事が増えてしまう。
オセは呼吸器を覆っていた布を外し、右手を自分の口から喉に突っ込む。
何度か激しく嘔吐いた後、何かを吐き出した。
ソレはカランカランと音を立てながら自然に落ち、オセの右手に捕まった。
銃弾、ソレは大口径の銃弾だった。
オセの、白く細い首の中から出てきたとは思えない程のサイズの弾丸。
それは、ハーレーから貰っていた物だった。
ハーレーはこの建物を覆う結界に接触した際、結界の解析をせずに結界の一部を破壊し、他メンバーの侵入を可能にしていた。
あれは、厳密に言えば破壊ではない。
結界の中和、一般的な結界の破壊における解析に次ぐ二つ目の工程である。
ハーレーの弾丸は特別製、大まかな結界の種類さえ分かれば、対応した銃弾を打ち込むことで一時的に結界の一部を破壊と呼べるレベルで中和することができる。
中和はあくまで中和、自己修復能力の付与された結界は時間経過で元に戻ってしまう。
もっとも、それはハーレーの魔力出力があってこそのもので、一般人に真似できる芸当ではない。
オセが持っているものは、その弾丸の派生系。
この弾丸は複雑な魔術術式が組み込まれ、ほぼ全ての結界に中和による大穴を開けることができる。
しかし、そんな万能なものには常にデメリットがつきものであり、この弾丸も例外ではない。
対象となる結界が強力なものであればあるほど、使用者は中和の際に起きる魔力反応にモロに巻き込まれ、最悪の場合は命に関わる可能性もある。
アジロの試験管を口で咥える。
試験管を塞いでいるコルクに穴を開ける。
オセはアジロの試験管の中に入っていた液体を右腕に少量垂らす。
その後、液体を塗り広げ、右腕を大きく振りかぶる。
勢いよく結界と弾丸が衝突した。
「グッッ...!あ゛...ッ!」
ブジュッと弾丸と結界の触れた場所から鈍い音が鳴り、結界とオセの右腕の両方に焼け付くような裂傷が広がる。
食いしばったせいで試験管にヒビが入り、残りの薬品が漏れ出る。
結界に大穴が空いた。
その事を確認したオセは、漏れ出る液体を、焼け付きバキバキにひび割れた自身の右腕にかける。
グッと痛みを堪え、残った左腕でネビロを掴み引っ張り出す。
「...あ゛ぁックソ!」
オセの仕事はまだ終わっていない。
オセは今から、気絶しているネビロが煙を吸わないように細心の注意を払って運び出さなければならない。
オセはネビロの腕を引きずり、少しずつ進んでいく。
ウィルフの背中は見えない。
私は朦朧とする意識の中、火を消し続ける。
問題は、既に火と一酸化炭素中毒だけではなかった。
「...熱いな...」
水蒸気だ。
煙は通路を埋めつくし、既に意識が持っていかれそうになっている私を何時でも、今にでも殺せるだろう。
狭い通路に充満する熱気を帯びた水蒸気。
肌に張り付き、爛れたような痛みを与える。
炎も、数歩進めばまたさっきと同じ光景が広がっている。
魔力の枯渇も起きている。
普段であればこの程度で問題が起きることはないが、精神が乱れきり、冷静な詠唱すらできない今の状況では無駄な魔力消費が多すぎる。
私は、実戦での魔法の発動はそれなりに慣れている方だと思っている。
だが、本当の実戦とは、ここまで精神が消耗し、追い詰められている状態の事なのだとたった今理解した。
炎の端が見えてきた。
最後の力を振り絞る。
「...〈水檻壁〉」
炎の侵入を防ぐ魔法。
最近の複雑な魔術術式の魔法ではなく、100年以上前の今と比べればかなり簡素、原始的だが習得の難しくない魔法。
初めて使った、知識でしか知らない魔法だったが、上手く作動した事に安堵し、床に突っ伏した。
どんどん意識が遠のく。
救助が来るかは分からない。
否、おそらく来る。
だからこそ、自分に出来ることを、全てやる。
「...い、起きろ!ラーム!頼むから起きてくれ!」
誰かの怒号で目がゆっくりと覚める。
目が開かない上、どうにも息苦しい。
意識も朦朧として、直前の記憶を思い出せない。
...確かアジロと一緒に...
「...!お、おい!どうなってッ!?うお゛ぇッ!ゴホッ!」
ラームが豪快に目を覚ます。
通路に充満する煙は未だに消えていない。
「うるせぇ...やっと起きたかよ、クソ重いっての...」
アジロはやつれた顔でラームを背中から下ろした。
ラームはゆっくりと起き上がり、ずっと冴えない頭で言葉を紡ぐ。
「あぁ...何があったんだ?気絶してから何分くらい経ってやがる...」
ラームはふと通路の少し奥を見る。
煙は未だ晴れていないが、そこに何かが突っ伏している事は分かる。
「...30秒くらいだ。...俺の魔法でも酸素の枯渇はどうにもならないからな.....落ち着いて呼吸を整えろ。」
ラームは、呼吸を整えつつ直前の事を少しずつ思い出す。
2人はマモンと戦っていた。
戦況は、意外にも拮抗していた。
ウィルフも考えていた、スピードを活かせないフィールドであるということが影響したのか、2人に致命的なダメージを与えられずにいた。
しかし、戦闘は2人にとって想定外の事象により中断されてしまう。
ひどく焦げ臭いにおいが漂ってきたのだ。
それにラームが気を取られた一瞬、マモンの強烈な一撃がラームの頭を捉えた。
「...あー思い出してきた。それで、俺がアイツに意識トばされた後何があったんだ?」
「.....歩きながら話す...まずはウィルフを背負ってやれ」
ラームはそこに倒れている何かがウィルフである事に気がつく。
一瞬ギョッとしたが、すぐに駆け寄り、呼吸している事を確認した後に抱き上げた。
ラームはウィルフをひょいと背負い、奥の階段で更に下にいるであろうネビロとオセの元に向かおうとした。
だが、一歩目を踏み出した瞬間、ウィルフのポケットからポトリと丸められた紙が落ちた。
「...待てラーム、何か落ちたぞ.....」
「あ?ウィルフのなんかだろ、気になんなら拾っとけ。」
アジロがそれを拾い、広げる。
それは何かの紙の切れ端のようだった。
紙の裏面が、不自然に全体的に焦げている。
表側に書かれている物を見る。
「.....なんだ?.....ラーム、ヨモツヘグイって、なんの事か分かるか?」
ラームはアジロの口から飛び出た聞き馴染みのない言葉に聞き返す。
「なんじゃそりゃ、魔物の名前じゃねぇか?」
2人は歩きながら話す。
紙の裏側から灰、もしくはすすのようなものがはらはらと落ちる。
「...魔物の名前だって、なんの意味もなくついてるわけじゃない、こんな脈絡の無い名前を付けるか.....?
「...おい、焦げてっけどここの下に書かれてんのが解説じゃねぇの?」
アジロは下に小さく書かれている文章を、擦ってみる。
「...変な字だな...「かまど」「禁忌」「死者」...はっきり読めるのはそれくらい...か」
「コレ...多分あの魔族の黒魔術だろ、あんま触れるべきじゃねぇかもな」
黒魔術、と言うと一般的なニュアンスと多少異なるかもしれない。
アジロの頭には、何故ウィルフがこれを持っていたのかと言うごく自然な疑問が浮かんでいた。
ここで、ふと紙の裏側の感触に違和感を覚える。
焦げている。
最初に言ったように、 灰が付いているだけでなく、焦げているのだ。
ぱっぱと払い落とし、焦げあとを見る。
それは、這って進むミミズのような、かなり崩れた字で書かれた文章。
「ラーム...見ろ、ナビだ...」
その文は、ウィルフが気絶する前に魔法で焼いた物だ。
紙は言わずもがな、あの資料の切れ端。
「地下に突入した後に進んだ道が全部書かれてる...」
正確に言えば、全てでは無い。
だが、そこに書かれていたのは間違いなくここまでの経路だった。
道順は、走馬灯のように劇的に思い出した訳ではない。
消火中、ふらつく頭の中で考えた。
煙や熱い空気はどんどん上昇する。
最初からマモンが窒息を狙っていたのなら、この地下は少なくとも普通の建物より煙が逃げにくい構造になっているはず。
ウィルフ自体、特段頭がいい方ではない。
だが、これに気が付けばある程度ダミーの通路に引っかかることは無くなる。
「...アイツまじか。前はデカい火球撃つしか能がなかったのに随分器用になったな...」
これは、魔力が枯渇気味だったことも要因の一つだった。
だが、それが良かった。
「...ラーム、」
「...皆まで言うなァ、全員俺が背負った方が速えってこったろ。」
プルフラスとの戦闘を終え、回収の為に地下に入ったフォルクスに連れられ、4人が少量の煙と共に出てくる。
実の所、フォルクスがもう少し遅れていたら、煙で割と危ない状況だったのだが、全員息がある。
ハーレーが結界の解析の際に、地下の構造の一部を把握していた。
実は、役に立っていた。
建物の外に出ると、ハーレーとアイン、そしてもう一人女性がいた。
フォルクスがその女性に声をかける。
「ロコさん、4人とも怪我アリです。」
「は、はいっ!」
赤い髪、おさげの鬼殲騎士団見習い「ロコ」は、駆け寄る。
ロコは、大事そうに抱えている大きな杖をかざす。
回復魔法、及び回復魔術は今となっては実践的なレベルまで修めておけば食うに困らない価値の高い魔法。
それを横目にアインが、まだギリギリで意識を保っているアジロとラームに声をかける。
「2人とも、ご苦労さま。寝ている2人にも起きたらそう伝えてくれ。悪いが私はすぐに別の仕事をこなさなければならない。フォルクス、後のことは頼む。」
そう言って背を向け歩いていく。
ひとまず、嵐は過ぎ去ったようだ。




