第197話 利用価値
丘の上で、白衣の男が月を眺めながら薄笑みを浮かべていた。
男の指が眼鏡のレンズに触れる。それとほぼ同時に、足元の地面が低く揺れ始めた。
「戻りましたか」
白衣の男が呟くと、地面の一部が大きく盛り上がった。
土を押し退けながら姿を現したのは、節くれだった巨大なイモムシのような魔獣――グレートワーム。
その巨体は、まるで天高く聳える月を目指すかのごとく伸び上がっていく。
だが動きは途中で止まり、グレートワームは白衣の男を見下ろした。
「それで、目的の物は?」
『グェップ――』
グレートワームがゲップのような音を発すると、その胴体の一部が不自然に膨れ上がった。
浮かび上がった形は、まるで人間のようだ。
人型の膨らみは、身体の中を這うように徐々に上へと移動していき――
『ゴボッ!』
濁った音とともに、グレートワームの口から一人の女が吐き出された。
地面へ投げ出された女には、右腕がない。
先ほどまでリョウガと戦っていたネイラだった。
もっとも、あれを戦いと呼べるかは怪しい。
命を狙ったのはネイラだったが、相手であるリョウガの強さに圧倒され、ほとんど何もできないまま右腕を失ったのだから。
「目的の物は手に入りませんでしたか。まあ、構いません」
倒れているネイラへ目を向けながら、白衣の男が顎を擦る。
「今はまだ、その時ではないということでしょう。必要になれば、改めて取りに行けばいい」
男に焦りはなかった。
むしろ今の状態では、手に入れても仕方がないと考えているような口ぶりだった。
「それよりも、今はこちらです」
白衣の男がネイラの傍らへ歩み寄る。
「この女の怨嗟は使える」
不敵な笑みが、その顔に浮かんだ。
「右腕を失ったようですが、そんなものはいくらでもつけて差し上げましょう」
男の視線が、失われた右腕の付け根へ注がれる。
「さて、どんな腕が貴方には似合いますかね――」
白衣の男の顔は、新しい玩具でも手に入れたかのように愉しげだった――。
◆◇◆
「兄貴はこのまま連れて行く」
気絶したガロウを背負い、ウドンが言った。
「好きにしろ」
別に俺に許可を求めたわけではないだろうが、なんとなく答えていた。
一度は殺そうと思った相手だ。
だが結局は気絶させた程度であり、今さらそれ以上どうこうする気にもなれなかった。
「――あんたがどう思ってるかは知らないが、あんたと出会ってからの兄貴は、すげぇ愉しそうだったんだ」
ウドンは背負ったガロウへ一度目を向ける。
「まるで、大切なダチでも見つけたみたいにな」
意味が分からない。
「気持ち悪いことを言うな」
こんな戦闘狂とは、今後二度と関わりたくない。
「――それだけは覚えておいてくれよ」
そう言い残し、ウドンはガロウを背負ったまま立ち去っていった。
「駄目ですよ、マリス! まだ動いちゃ!」
「でも、ネイラが――」
クルスに止められているのはマリスだった。
俺の貫手によって腹に風穴が開いたが、既にクルスの治療魔法が施され、その傷は塞がりつつある。
「それにしても、大した再生力ですね。普通なら、これほどの傷を魔法で治すのは難しいのですが……」
クルスが感心したように呟く。
幸い、致命傷となる臓器は外れていたらしい。
それに治療魔法の効果は、治療を受ける人間の肉体的な強さにも左右されるようだ。
「リョウガ。あんたから何か言うことはないのかい?」
イザベラが問いかけてきた。
だが、何を言えばいいのかさっぱり思いつかない。
「何のことだ」
「何のことって……あんたが負わせた傷だろう? 女の子にあんな傷を負わせたんだからさぁ」
「俺が狙ったのはネイラだ。そいつが勝手に庇った結果だろう」
「いや、それにしたってさ」
「それともお前は、命を狙ってきた相手に何もせず、黙って殺されればよかったとでも言うのか?」
「そ、そうは言わないけどさ……」
俺が答えると、イザベラが困ったように顔を引きつらせた。
「彼の言うとおりですよ」
そこへモンドが話に加わってきた。
「ネイラがリョウガを狙ったのは事実です。命を狙ってきた相手を返り討ちにしたとしても、罪に問われることはありません。黙って殺されてやる理由などないでしょう」
モンドの言うとおりだ。
あの状況でネイラを庇ったマリスの行動の方が、俺には理解できない。
「――ですが、ネイラにも何か事情があったような気がします」
そう口にしたエンデルの表情へ、暗い影が落ちる。
「事情があろうと、殺しに来ている相手に容赦なんてしていられない」
「そ、それは――」
俺の言葉に、エンデルは返す言葉を失った。
やがて、クルスの制止を振り切るようにマリスが立ち上がる。
「マリス、まだ安静にしていないと!」
「大丈夫。これぐらいなら、もう動けるから」
そう答えたマリスが、ゆっくりと俺へ近づいてくる。
その手には、ネイラが失った右腕と蛇腹剣が抱えられていた。
その表情に怒りはなかった。
悲しみとも違う。
ただ、その瞳には確かな決意が宿っていた――。




