第193話 妹
パトリエが開いたスクロールから文字が消えていく。
スクロールは使い捨ての魔導具だ。
一度発動すれば二度と同じ効果を発揮することはない。
役目を終えたスクロールをポーチへしまう。
一見すると小型のポーチだが、内部には空間拡張の魔法が施されており、見た目以上の容量を誇っていた。
「やるじゃねぇか」
立ち込める煙の中から野獣のような声が響いた。
パトリエは剣を構えたまま様子を見る。
特に驚いた様子はない。
そもそも、あれで終わる相手だとは思っていなかった。
「勝つためなら小細工の一つや二つ使うのもためらわねぇか」
煙の奥から現れたラオズが笑う。
「嫌いじゃねぇぜ。だがな――真の強者はそれごと叩き潰す」
姿を現したラオズは、先ほどまでとはまるで別物だった。
全身を赤黒い皮膚が覆い、筋肉はさらに膨張している。
顔は巨大な狒々を思わせ、口元から覗く牙の隙間から熱気が漏れていた。
周囲の空気が揺らぐ。その身体そのものが灼熱を帯びているのだ。
「驚いたか?」
ラオズが獰猛な笑みを浮かべる。
「俺が変化できる魔獣は一匹じゃねぇ」
その口が大きく開いた。
「こいつは炎狒――目にするもの全てを焼き尽くす炎の魔獣だ!」
直後――ラオズの口から業火が吐き出された。
炎の奔流。
それは炎というより災害だった。
石畳を呑み込みながら突き進み、建物の壁を溶かし、街路そのものを焼き潰していく。
炎が通り過ぎた後の地面は赤熱し、溶岩のように煮えたぎっていた。
パトリエは即座に跳躍。
炎を回避しながら上空から眼下を見下ろす。
焼け爛れた地面。
崩れ落ちる建物。
そして立ち上る熱波。
まともに受ければ鎧ごと焼き尽くされるだろう。
だが――パトリエは着地と同時に方向を変えた。
右、左、さらに前へ。
常人には残像にしか見えない速度で駆け抜ける。
狙いを絞らせない。
それがパトリエの答えだった。
走りながら数本のナイフを投擲する。
「ウザってぇ」
ラオズは面倒くさそうに腕を振るった。
ナイフが弾かれる。
数本は砕かれた。
だが一本だけが指先を浅く切り裂く。
しかしラオズは気にも留めない。
その程度の傷など存在しないも同然だった。
「口から吐くだけだと思ったか?」
ラオズの掌に巨大な火球が生まれる。
それを無造作に投げつけた。
パトリエは剣の腹で火球を弾き飛ばす。
その勢いを利用して身体を回転。
雷を纏った剣をラオズへ振り下ろした。
金属音が鳴り響く。
だが剣は止められていた。
ラオズの腕によって。
その姿は再び変化していた。
全身を黒鉄色の鱗が覆っている。
顔は巨大な蜥蜴。そして身体はまるで鋼鉄の城壁だった。
「アダマンリザードだ」
ラオズが牙を剥く。
「竜種ですら牙を通せねぇ絶対防御の魔獣だよ」
雷を纏った剣ですら鱗を貫けない。
電撃もほとんど効果がないらしい。
パトリエは静かに感心した。
変化の幅が広い。
百獣王の名は伊達ではなかった。
「ナイフを投げた時点で、その姿になっておけばよかったな」
「なに――?」
ラオズの眉が動く。
直後。
膝が崩れた。
「ぐっ……!?」
片膝を突く。
初めて見せる明確な隙だった。
そして表情に浮かぶ動揺。
「てめぇ……!」
ラオズが己の手を見る。
先ほど浅く切れた指先。
「さっきのナイフに毒を!」
「竜ですら弱らせる特別製だ」
パトリエは淡々と答える。
「意識があるだけ自慢していい」
雷光が奔る。
剣に纏う雷が激しさを増した。
雷鳴が轟く。
「無駄だ!」
ラオズが吠える。
「てめぇの攻撃じゃこの鱗は貫けねぇ!」
「とっておきというものは最後まで見せないものだ」
パトリエが構えを取る。
突きの構え。
剣を中心に雷が螺旋を描く。
圧縮された魔力が唸りを上げる。
それは今までとは明らかに違う。
勝負を決める一撃だった。
「これで決める」
パトリエが踏み込む。
「雷貫――」
「お兄ちゃん助けて!」
聞き慣れた声だった。
忘れるはずがない。
幼い頃から聞いてきた妹の声。
パトリエは反射的に振り向いた。
そこには喉元へ刃を突きつけられたネイラの姿。
「ネイラ――!?」
それはほんの一瞬。
達人同士の戦いでは致命的な時間だった。
「――ッ!?」
ラオズの尾が閃く。
アダマンリザード最大の武器。
竜種の鱗すら貫く鋭尾。
それがパトリエの胴体を貫いた。
鮮血が舞う。
パトリエの身体が吹き飛ばされた。
「ライラか」
ラオズが舌打ちする。
「余計な事しやがって」
「助けてあげたんだから感謝しなさい」
倒れたパトリエの後方から女の声が響く。
するとネイラの姿が溶けていき別人へと変化した。
幻術。あるいは変身能力。
どちらにせよ本物ではなかった。
ラオズは忌々しそうに鼻を鳴らす。
そして倒れたパトリエへ歩み寄った。
巨大な足が頭を踏みつける。
ギリッと音が鳴る。
それでもパトリエは抗うように指先へ力を込めた。脳裏に妹の顔を思い浮かべながら――。




