第3話 「当社へ転職を希望する理由は?」
「当社に転職を希望される理由は何ですか?」
面接官の質問に、私は一瞬だけ考え込んだ。
面接で1回は聞かれる、定番の質問だ。
志望動機。将来やりたいこと。キャリアプラン。
準備してきた答えはある。
業務の幅を広げたい。新しいことに挑戦したい。専門性を高めたい。
どれも本当だ。嘘ではない。
でも、全部でもない。
私は少し笑って答える。
「これまでの経験を活かしつつ、より広い業務にも携われる環境だからです」
面接官はうなずく。
私も笑う。
模範解答だと思う。たぶん間違っていない。
いつもこんな風に表面的な回答をしているけれど、
その根っこにあるのは、私の人生に他ならない。
電車の窓に映る自分を見ながら、昔のことを思い出した。
面接の帰りは、いつもいらんことを思い出すのだ。
----------------------------------
中学生の頃。
家の中の空気が変わった時期があった。
両親が大喧嘩をしたのだ。
それまでも衝突がなかったわけではない。
でもその時は違った。
子どもの私にも分かるくらい、何かが壊れた。
家の中に緊張が張り付いていた。
母の怒鳴り声。
父の重い沈黙。
私は布団にうずくまる。
家なのに落ち着かない。
そんな毎日だった。
今振り返ると、不思議なことがある。
当時の私は、体調がおかしかった。
キッチンから包丁をもって自室に戻り、「どこを刺せば一発でしねるか」を考えたり。
「いや、これで中途半端に体が不自由な死にぞこないになったら、余計両親の不仲に拍車をかけてしまうな」と思ったり。
(即死できる刺殺って難しいなと思った)
眠れないようになった。
妙に活動的になる日があった(そうなると自傷行為が止まらない)
理由もなく涙が出る日もあった。
20代後半で「双極性障害」と診断された症状に、とてもよく似ていた。
「そう」ではなかったかもしれないが、片鱗があった気がした。
(「薬で治る病気ならいいのに」とずっと思っていたから、私にとって診断が下りたのは救いだった)
もちろん当時はそんなこと知らない。
ただ毎日しんどかった。
そして私は、その頃から家族を観察するようになった。
特に母を。
両親は離婚しなかった。
でも幸せそうにも見えなかった。
無言の食卓(たまに怒りを込めて母が皿を机にドンっと置く音)
張り詰めた空気。
母は毎日家事をして、私の世話もしていた。
ちゃんと母親だった。
「もう父を許す気はないんだろうな」と子供心にわかるくらい母は怒っていたけれど、
それが当たり前のように、母は「母をしていた」。
母自身の人生を生きているようには見えないというか。
ある時、大人たちの会話を聞いた。
内容は正確には覚えていない。
でも一つだけ覚えている言葉がある。
「お母さんは仕事してないからね」という言葉だった。
その瞬間だったと思う。
私の中で何かが繋がったのは。
働いていなかったら。お金がなかったら。
もし家から出たくなっても出られないんだ。
「母」をやめられない。自分の人生を生きられない。
離婚するかどうかではない。
喧嘩するかどうかでもない。
大切なのは【選べること】だ。
そこにいることも、離れることも。
自分で【決められること】だ。
そのためにはお金が、仕事が、経済的自立が必要だ。
中学生の私はそう思った。
それからずっと、私は働くことを前提に生きてきた。
誰かを憎んで呪詛をはきながらも、憎い奴の庇護下でしか生きられないと侮られるような女にはならない。
勉強した。
就職した。
転職した。
経験を積んだ。
母になった後も同じだった。
むしろ「働かなくては」という思いは強くなった。
もしもの時、逃げる選択肢を持ちたい。
「こいつはどうせ俺から逃げる力もない」と誰かに見下されて生きるなんて嫌だ。
「子供がいるから私は逃げられない」と、子供のせいにして自分と向き合うことから逃げたくない。
何かのシステムに絡めとられて、自分の人生を生きられないなんてつまらない。
選択肢を失いたくない。
だから働く。
だから成長したい。
だからキャリアを積みたい。
だから今、転職活動をしている。
面接官は聞く。
「なぜ当社に転職を希望されているのですか?」
人生の選択肢を失いたくないからだ。
中学生のあの日、母を見ていた私がそう願ったんだ。
でも、今はもう一つ付け加えたい。
選択肢を失いたくないがために、自分を壊してまで働いてはいけない。
それもまた、この十数年で学んだことだった。
だから正確には、
「御社ではキャリアを積みつつ、”長く働ける環境が整っている”から志望しております」
というのが、私の今回の転職活動でのベストな回答になる。
健康な人にとってはそんなの大前提なのかもしれない。
私の転職活動はやっと健全なものになってきた。




