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彼女から裏切られて浮気されている無愛想で無口な女の子を私が堕とす話 ――または私が堕ちる話。  作者: 抵抗する拳


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第16話 支配と愛と覚醒と

 凛の白シャツのボタンを上から順に外していく。


 一つ目。鎖骨の影が覗く。二つ目。胸元が露出する。三つ目。凛の呼吸が浅くなる。


 瀬名 蒼の指は急がない。ボタンとボタンの間で一拍置く。布地が開いていくたびに凛のフォルムが現れて、フロアランプの暖色に照らされて薄い陰影を帯びていく。凛の腹部が呼吸のたびに上下している。その動きが、ボタンを一つ外すごとに大きくなっていく。


「⋯⋯瀬名」


「んー?」


「⋯⋯なんで、ゆっくり」


「私がゆっくり見たいから」


 シャツを肩から滑らせてインナーを脱がせると凛の上半身が露わになった。白い肌に薄い筋肉が腕と腹部に走っている。服を脱いだ凛は見た目よりもずっと華奢だ。鎖骨の線が繊細で、肩甲骨の形がくっきりと浮いている。ブラとショーツだけになった凛を見下ろして、瀬名の喉が鳴った。


 ——綺麗。


 何度見ても飽きない、好きな女の子の身体を見る瞬間はいつだって胸が高鳴る。服という包装紙を一枚ずつ剥がして中身を検めるこの行為。凛の身体は美しい。クールな外見の下にある、女の子らしい柔らかさ。この身体を今夜どう料理しようか——考えるだけで指先が疼く。


「綺麗な体。とっても可愛いよ。凛」


 凛が腕で胸元を覆おうとするのを見越して、その手首をやんわりと押さえる。


「⋯⋯そんなことな——」


 否定しようとした唇が、途中で止まった。


 瀬名の指が凛の首筋に触れたからだ。鎖骨の窪みから耳の下に向かって指の背で撫で上げる。ただそれだけの動作。


 凛の肩が震えた。


 小さく、でもはっきりと。前回、同じ場所に触れたときはこんなに早くは反応しなかった。あのときは凛がまだ緊張で強張っていて、身体が瀬名を受け入れるまでに時間がかかった。唇が触れてから、指が触れてから、凛の身体が「許可」を出すまでに下ごしらえが必要だった。


 今はもう、指が触れた瞬間に凛の身体が応えている。


 鎖骨の線を人差し指でなぞった。凛の呼吸が変わった。吸う間隔が短くなり、吐く息に微かな声が混じった。


「凛。前より、敏感になってるね」


「⋯⋯なって、ない」


「ここ、前は触っても反応薄かったのに」


 鎖骨の外側の端を親指で押す。凛の背中が反った。声にならない声が唇の隙間から漏れた。前回はここに触れても凛は無反応だった。鎖骨は「安全圏」だったのに凛の身体が、一度教えられた快楽の地図を覚えていて、瀬名の指が触れただけで地図上の道が開いていく。


「⋯⋯触ったの覚えてるのが、おかしい」


「全部覚えてるに決まってるでしょ」


 瀬名の声が低くなった、今から愛でるという合図――凛の目を見る。瞳の奥で羞恥と期待が入り混じっているた


 肋骨の下は触れるとくすぐったがって身をよじった場所。今夜はくすぐったさの前に甘い痺れが走るのが凛の表情でわかった。眉が寄って、唇が開いて、声を堪えようとして失敗する。


 腰骨の上は前回未踏だった。指の腹で骨の稜線をなぞると凛の腰が軽く浮いた。


「あ——」


「ここ、良いんだ」


「⋯⋯っ、わかんない⋯⋯」


「腰、浮いたよ」


 凛が顔を背けようとするのを瀬名は許さない。凛の顎を手のひらで包んで正面を向かせる。


「隠さないで。見せて」


「⋯⋯恥ずかし、い」


「知ってる。でも隠さないで」


 膝の裏――指を滑り込ませると凛の脚がびくりと閉じた。でもすぐに力が抜ける。抵抗する前に快楽が追い越していく。瀬名はその間合いを正確に読んで、凛の抵抗が生まれる前に指を進めて、凛の理性が追いつく前に次の波を送り込む。


 首筋――薄い皮膚の下に青い血管が透けている場所。唇を落とすと凛の呼吸が止まった。一秒。二秒。長い息を吐く。その吐息の中に瀬名の名前が溶けていた。


「せ、な⋯⋯そこ、だめ⋯⋯」


「だめ? 嫌なだめ? それとも気持ちいいだめ?」


「⋯⋯ッ⋯⋯わかんない⋯⋯っ」


「わかんないなら、もう少し試すね」


「ま、って——あ⋯⋯っ」


 凛の首筋のラインを鎖骨まで舌の先で一本の線を引いた。凛の全身が震え腕が跳ねて、瀬名の髪を掴んだ。指が頭皮に食い込むくらいで少し痛いが、その痛みが心地いい。凛が余裕を失っている証拠だから。


「——ああ、気持ちいいほうの『だめ』だったね」


「⋯⋯ず、るい」


 凛の声が掠れている。普段の低い声より高くて、震えていて、喜んでいた。


「ずるいよ。私、ずるい女だから」


 瀬名は前回との差分を記録しながら凛の新しい反応を引き出している。それは凛という楽器の弾き方を習得しているかのように。どこを、どのくらいの強さで、どのタイミングで触れれば、どんな音が出るか。瀬名は完璧な演奏者になろうとしている。


 凛は鳴らされるたびに受けの素質を開花させていった。声を堪えようとする力が弱くなっている。抗う仕草が形だけになっている。身体が瀬名の手に馴染んで、瀬名が触れる前から次の場所を予感して、そこが勝手に迎え入れていく。


 ほどなくて瀬名の指が凛の身体の上で止まった。


 凛は息を荒くしたまま瀬名を見上げている。目が潤んで、頬が上気して、唇が半開きで。全身の力が抜けてベッドの上に四肢を投げ出している。クールで寡黙な朝霧 凛の面影は今夜も瀬名によって奪われ、甘く蕩けた女の子として蹂躙されていた。


 瀬名は凛の右手を取った。意外と小さいその手を瀬名は自分の鎖骨の上に持っていく。


「凛。今度は凛の番」


 凛の指が瀬名の肌の上で固まった。


「⋯⋯え」


「私にも、触って」


 凛の目が見開かれた。瞳孔が開いている。意味を理解するまでに数秒。理解してから凛の耳が赤くなるまでにさらに数秒。


「⋯⋯ど、どこを」


「どこでも。凛が触りたいところ」


 瀬名は身体を預けた。凛の隣に横たわり、自分の身体を凛の前に差し出す。目は閉じずに凛を見ている。凛が何を感じているか、見逃さないために。


 凛の指が震えていた。瀬名の鎖骨の上に置かれた指先が、わずかに振動している。触れ方がわからない。どうすればいいかわからない。


 彩音との関係では凛が「攻め」だった。でもそれは「役割としての攻め」であって凛自身の欲求が手を伸ばしたわけではなかった。「相手が望むから」そうしていただけで凛自身が「攻めたい」と思って触れたことは一度もない。


 だから凛の指は迷子になっている。


 鎖骨から動かない指先が、やがて少しだけ動いた。瀬名の肌の上をおずおずと遠慮がちに。鎖骨の線をなぞって首元に上がって、また下がる。指の腹が瀬名の皮膚の上を迷うように彷徨っている。どこに行けばいいのか探している。


 不器用で、ぎこちなくて——でも丁寧だった。


 凛の指先から伝わってくるのは技術ではなかった。「壊さないように」「傷つけないように」という、凛のいつもの不器用な優しさ。瀬名の身体を大事なものとして扱おうとする指先の力加減。


 その指が、瀬名の首筋で止まった。


 耳の下から鎖骨に向かう線の、ちょうど中間。凛の人差し指と中指が、瀬名の皮膚の上でぴたりと静止した。


「⋯⋯ここ」


 凛の声は低かった。低くて真剣だった。


「ここ、触ると⋯⋯瀬名の息、変わる」


 瀬名は目を瞬いた。凛が自分の顔を見ている。その目は——サークルの撮影で見る目だった。ファインダー越しに被写体を捉えるときの、研ぎ澄まされた集中力。凛が世界から「声なき声」を切り取るときの、あの目。その目が今、瀬名の首筋の皮膚を観察している。


 凛の指が瀬名の首筋を這った。瀬名の呼吸を聞きながら。瀬名の身体が反応する場所を探しながら。さっきまでの迷子の手つきが、写真を撮るときの正確な手つきに変わっている。


「⋯⋯凛、それ」


「⋯⋯なに」


「私を実験体かなにかだと思ってない?」


 凛がきょとんとした。それから瀬名の問いの意味がわかったのか——耳が赤くなった。また。この子はいつでも耳から赤くなる。


「⋯⋯してない。ただ——」


 凛の視線が瀬名の首筋から瀬名の目に移った。切れ長の目が揺れている。その奥に、照れと、戸惑いと、もうひとつ、別のものが灯っていた。


「瀬名のこと、知りたいだけ」


 瀬名の胸の奥で何かが弾けた。凛が自分から「知りたい」と言った。瀬名の身体を。瀬名の反応を。瀬名が何をすれば息を変えるのかを。受け身ではなく凛の側から手を伸ばして——「知りたい」


 凛がずっと解放出来なかった「誰かに触れたい」「誰かを知りたい」という能動的な欲求。彩音の前では発揮できなかったこと。


 それが今、瀬名の肌の上で目を覚ましている。


「⋯⋯じゃあ、もっと知って」


 瀬名は凛の手を取り、自分の身体の上を導いた。


 ここを触ると呼吸が変わる。ここを触ると声が漏れる。ここを触ると力が抜ける。瀬名は凛の手を教師のように案内しながら、自分の身体の地図を凛に渡していった。


 凛の指が少しずつ大胆になっていく。最初は瀬名に導かれるだけだった手が、途中から自分の意志で動き始めた。瀬名の反応を見て、聞いて、指先で確かめて——次の場所を自分で選ぶようになった。


 瀬名の腰に凛の手が触れたとき、瀬名は不意に声を漏らした。自分で制御できなかった声。凛の指がそこで止まった。


「——ん⋯⋯凛、上手だよ」


「⋯⋯嘘」


「嘘じゃない。すごく⋯⋯いい」


 凛の目が変わった。


 瀬名の声を聞いて——自分の指で瀬名を「鳴らした」ことへの驚きと、その驚きの奥に浮かんだ、かすかな誇り。凛の瞳の中で何かが組み変わるのが見えた。受け身の凛ではない。「役割としての攻め」でもない。「この人を気持ちよくしたい」という、凛自身の欲求から生まれた手。


 その手が瀬名の身体の上を巡っていく。鎖骨から胸元へ。胸元から脇腹へ。ぎこちない手つきが少しずつ自信を帯びていく。


 瀬名の反応を——息の変わり方を、筋肉の緊張を、声の漏れ方を——読み取って、指先にフィードバックしている。写真を撮るときの凛そのものだった。被写体を観察し、最良の角度と瞬間を探り当てる、あの精密な集中力が、今は瀬名の身体に向けられている。


 瀬名は凛の探索を受け止めた。凛の指が見つけた場所を否定しなかった。凛が自分の意志で選んだ場所に触れるたびに、正直に反応を返した。声を作らなかった。凛の前で、身体が嘘をつかなかった。


 やがて瀬名は凛の手を止めた。


 凛の手首を掴み、ゆっくりと頭上に押さえつけて、凛をベッドの上に押し倒した。


「ありがとう、凛。我慢できないから――私の番」


 凛の身体がベッドに沈む。瀬名を見上げながらその息が荒い。先ほど瀬名の身体を探索した指先がまだ熱を帯びていた。瀬名のどこが柔らかくて、どこが敏感で、どこに触れれば声が漏れるのか——凛はもう知っている。それを知った上で瀬名の下に敷かれている。


 凛の手が動いた。


 瀬名が押さえていない左手が自分の胸に伸びて指がブラのフロントホックにかかった。


 金具が外れる小さな音――凛の胸元が開かれて白い肌が露わになる。凛は自分でそうした。瀬名に脱がされるのではなく、自分の手で。


 凛が瀬名を見上げた。耳は赤い。頬も赤い。でも目が逸れていない。まっすぐに瀬名を見て——


「⋯⋯来て」


 瀬名の頭が真っ白になった。


 恥ずかしがりやの凛が自分から催促した。待てないと。もっと欲しいと。あの寡黙な凛が、言葉を探すのに何秒もかかる凛が、たった二文字だが瀬名を呼んだ。


 この一言に至るまでの過程が瀬名の中で早回しに再生された。あの夜、声を堪えていた凛。「気持ちいい」と言うだけで精一杯だった凛。そこから瀬名の身体に自分で触れて、瀬名の反応を学んで瀬名を「知りたい」と口にして——その全部が積み上がった先に、この「来て」がある。


「⋯⋯凛、今の」


「⋯⋯なに」


「もう一回言って」


「⋯⋯やだ」


「言って」


 凛が唇を噛んだ。数秒。瀬名の目を見ている。瀬名の目の中に自分が映っているのを見て、耳が限界まで赤くなって、それから——


「⋯⋯はやく、きて」


 声が震えていた。消え入りそうなほど小さくて、でも言い直さなかった。


 瀬名は凛の唇に落ちた。


 深く、より深く、凛の唇を割って舌を滑り込ませる。凛の口内の温度が高い。凛の舌がおずおずと応えてくる。前回より大胆に。前回より正直に。凛の手が瀬名の背中に回って、引き寄せた。その指が瀬名の背骨をなぞった。さっき覚えたばかりの瀬名の身体の地図を、キスしながらたどっている。


 瀬名の思考が溶けていく。策略も計算も関係ない。ただこの子が欲しい。この子のすべてが欲しい。この子が自分を求める声が、世界で一番甘い音だ。


 唇が離れる。糸を引いて。凛の目が潤んでいる。瀬名の目も、たぶん同じだ。


 二人の呼吸が重なった。


 瀬名は凛の額に唇を落として、それから——ゆっくりと、凛の身体の上に降りていった。



 *



 天井に、朝の光が映っている。


 十二月の朝は遅い。カーテンの隙間から差し込む光が白くて薄くて、部屋の中を曖昧に照らしている。


 瀬名の胸元に凛の顔が埋まっている。黒い髪が瀬名の鎖骨の上に散り、凛の寝息が瀬名の肌に触れて、規則正しく温かい風を送っていた。凛の左手が瀬名の腰に回されていて、眠りながらも離さない。


 瀬名は天井を見つめたまま凛の髪を撫でていた。指が黒い髪を梳く。何度も。ゆっくりと。


 昨夜の凛は、前回よりずっと素直だった。


 声を堪えなくなった。瀬名の名前を呼ぶ回数が増えた。瀬名の身体に自分から触れた。瀬名の反応を観察した。瀬名の息が変わる場所を見つけて、そこに指を戻した。ファインダー越しの目で。


 そして——「はやく来て」と言った。


 なんて可愛い生き物なんだろうか。


 瀬名の指が凛の髪の中を滑っていくと凛が小さく寝返りを打った。瀬名にしがみつく力が強くなる、夢の中で何かを掴むように。何かを離すまいとするように。


 瀬名は冷静な自分が頭の隅で稼働しているのを感じている。感情に溺れている自分と、その自分を観察している自分。後者が計算を走らせている。


 ——もう少し。


 凛の身体はもう瀬名を基準にし始めている。瀬名の指を覚えて、瀬名の声を覚えて、瀬名の体温を基準値として身体に刻み込んでいる。あと数回。凛の身体が完全に瀬名のものになれば——いや「なれば」ではない。「完全に瀬名を選べば」そうなったとき凛は自分の意志で彩音との関係を切る。自分から。誰に言われなくても。焦る必要はない。確実に。完全に。


 ——でも。


 凛が瀬名の肌に頬を押しつけた。無意識の動作。温かいものに寄り添う動物のような仕草。


 ——この子が幸せじゃなきゃ、意味がない。


 その思考が浮かんで瀬名は天井から目を逸らした。凛の頭を見下ろす、黒い髪の間から見える耳。小さな耳たぶ。昨夜そこに触れたとき凛は声を上げた。その声がまだ鼓膜の奥で反響している。


 凛を支配したい自分がいる。凛の身体も心も全部染め上げて自分なしでは生きられなくしたい。凛の鎧を全部剥がして中身を晒させて「かわいい」と囁いて、蕩けた顔を独り占めにしたい自分。


 同時に凛を守りたい自分がいる。この子が安心して眠れる場所でありたい自分。冷たい手を温めたい自分。傷ついた顔を二度と見たくない自分。凛が自分の意志で笑える場所を作りたい自分。


 どちらも嘘ではない。どちらも消えない。


 支配欲と保護欲が同じ心臓の中で鳴っている。どちらかが正しくてどちらかが間違っているという話ではない。両方が瀬名 蒼という人間の本質でその両方が凛に向かっている。


 凛が小さく身じろぎした。瞼がかすかに動いて、でもまだ起きない。瀬名の腕の中で、安心しきった顔で眠っている。


 瀬名はその寝顔を見つめてから凛の額にそっと唇を落とした。


 ——もう少しだけ、このまま。


 瀬名は目を閉じた。凛の寝息を聞きながら。凛の体温を感じながら。「支配」と「愛」の境界線が溶けていく朝の中で瀬名 蒼はまどろみに落ちた。

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