8.シレーという男
「物語はおもしろくあるほうがいい。そう思いません?」
突然にやって来たこの男はシレーとだけ名乗り、挨拶もそこそこに「さて」とおれの机の前まで来ると、机の上に散らばった本を重ねはじめた。
ぽかんとしているおれに構わず、重ね終えた本の上に両手を置くと、男は細長い目をきゅっとさらに細めて口を開く。
「ではまず、おもしろい物語とは何か、という話からいたしましょうか。殿下は、おもしろい物語とはどう言うものだと思われますか?」
早速とばかりに質問されて、おれの中に苦いものがゆっくり広がる。
「わ……からない」
ぐっと詰まると、シレーと名乗った男は「なるほど」と頷いた。
「であれば、おもしろいとは何かを定義するところからはじめましょう」
「定義?」
「簡単に言うと、基準を決める、ということです。ちょうどここに、良い見本がありますね」
あっさり言われて、おれはきょとんと目をまたたかせた。わからないって言ったのに、どこが、と返されなかったのが不思議で、同時にその手が持ち上げた本が「見本」だというのにムッとした。
「その本がおもしろくないのは、おれが悪いからって話か?」
「いいえ。殿下にとっておもしろくなかった、と言うことが大事なのでございますよ」
「うん……?」
思っていたのと違う答えに首をかしげていると、男はにこにことしながら続ける。
「例えばですね、ここにおいしくないお茶があるとします。飲まれたいですか?」
「飲みたくないに決まってるだろ」
「そうですよね。では、殿下はそのお茶ってどんな味がすると思われますか?」
「どんな……」
変なことを聞く、と思いながらも、おれは気付いたら言われるままに考えて口を開いていた。
「苦くて……匂いがきつい」
「つまり、それが殿下にとっての基準です」
「基準?」
「殿下は苦くて匂いがきついものを"おいしくない"と思っている。つまり、苦くなくて、匂いがきつくないお茶のほうが好きだ、と言うことがわかりますね」
流れるようにすいすいと話続ける男……シレーの言葉は、びっくりするぐらいストンとおれの真ん中のあたりに落ちてくる感覚があって、思わずこくりと頷いた。
そんなおれに、シレーは相変わらずの細い目でにこにこしたまま続ける。
「物語だって同じです。おもしろくない、と感じたその理由を探しましょう。それは、殿下にとっての"おもしろいとは何か"を探す手掛かりになるのです」
「……でも、その本はムカつくから読みたくない」
「あっはっはっは!」
なんだかやり込められているような気がしてつい反発すると、シレーは声をあげて笑いだし、一緒にいたメイラたち使用人まで驚かせながら手を叩いた。
「結構! では、さっそく何が"ムカついた"のか、検証をしようではありませんか」
***
「まずは感想をお聞きしましょうか。この本、読んでみてどんな気持ちになりました?」
「……腹が立った」
「どうして腹が立ったのか、ご自分ではどうしてだかわかりますか?」
シレーは言葉通りにさっそく検証とやらをはじめた。
「こうしろ、ああしろって言ってくる感じがムカつく」
「説教くさいと感じられたわけですな」
「それと、王子の周りのやつがみんな「さすが王子さま」って必ず言うのが、気持ち悪い」
「ははあ。ちなみにどう気持ち悪いと思われるので?」
「どう……それしか言えない決まり、みたいな」
「言わされているかのよう?」
「そう、それだ」
シレーは椅子を持って来させると、隣に腰かけておれにあれこれと聞いてきては、おれの感想を丁寧にほぐしていく。
おれがしゃべっていることが、きちんとシレーの耳を通ってからおれに返ってきている感覚があった。メイラと話している時とは違う、なんだか弾むような気持ちがして、おれは聞かれるままに答え続けた。
「あと……この王子は子供なんだよな?」
「左様です」
「それなら、なんで全部この王子がなんとかしなきゃいけないんだ。とうさ……王様だっているんだろう? なんでこの本に出てくる大人たちは何もしない」
我が国なら、問題が起こればとうさまがなんとかしてくださるはずだ。力だって、鎧を着ている大きな騎士のほうが強いだろう。
そう言うと、シレーはほんの少し口の端をあげて、さっきまでとは違う笑いかたをした。
「……これは、例え話として作られた話ですから、この話では"そういうもの"です、と言われたらどう思われます?」
「例え話というのは、寓話と言うのだろう? 大変なときには、王子様になんとかしてもらうしかありませんっていうのは、おかしいんじゃないか」
「ふ、ふふふ……」
おれの答えに、シレーは喉を震わせる。
何がおかしいのかしばらくそうやって笑ってから「失礼」と席を立って、細い体を折って深々と頭を下げた。これは、臣下の礼だとおれが気付くと、シレーはちょっとわざとらしいくらい丁寧に言った。
「改めまして、私はシレーと申しまして、本日より殿下の教育係を仰せつかった者にございます。以後、お見知りおきくださいますよう」
***
「シレー殿は、何というか変わった御仁でございましたね」
夕食を終えて寝室へ戻ると、普段自分から話しかけて来ることの少ないメイラが、寝間着を用意しながらぽつりと言った。
「変わっている、というか、あれで教育係なのか?」
結局、シレーはあの後すぐに本宮の役人に呼び出されて話はそこまでになった。
後からとうさまの側近が伝えにきてくれた話によると、今後はすべての勉強時間をシレーが担当することになったと言う。
今まで教科ごとに何人かの教師が代わる代わる来ていたのをひとりでこなすというのにも驚いたが、これまでの教育係たちとはあまりにも違うタイプすぎて、これからの授業がどんな形になるのかまったく想像がつかない。
「爵位や家名を名乗られませんでしたし、どういった方なのでしょうね」
最後に見せた礼はとてもきちんとしていたので、貴族階級には違いないと思うけれど、確かにあの男は「シレーと申します」しか言っていない。それが名の方か家名の方なのかも、言っていなかったことに今さら気付いた。
とは言え、王子宮に上がるのを許されているのだから、問題のある人間ではないのだろう。
……相当怪しげではあったけれども。
何となく素直に楽しみだと言うのはしゃくにさわるので、おれは「ふん」と鼻を鳴らした。
「誰だろうと関係ない。つまらない奴なら、いつもみたいに叩き出してやる」
そうは言ったけれど、きっとこれまでの教育係とは違う時間を過ごせるに違いないと言う予感に、おれは久しぶりに明日が楽しみな気持ちで寝台に寝転がったのだった。




