7.物語の運ぶもの
「殿下、次はこちらの本はいかがでしょう?」
「前のより絵が少なくないか?」
「こちらは図説とは違ってお話が主となっているのです。わたしが殿下のお歳の頃、好んでおりました本でございます」
普段はあまり口を開かず、すんっとした表情のメイラだけれど、本を持ってくる時と、おれに説明をしている時はほんの少し目元が緩む。
声はもっとわかりやすくて、いつもより少し声が高くて、早口ぎみで、嬉しさがにじみ出ている。
「民俗調査を学者が、地方の伝承などを集めて作ったもので、短いお話が多いのです」
「伝承?」
「その土地に伝わっている、古い出来事や神様や精霊などのお話ですわ」
例えばこれは川に住む主だと言われています、とメイラの細い指が派手な鱗をした魚の絵を指した。
「なかでもこちらは学者自身の描いた挿し絵がついたもので、国内でも十冊程度しか発行されていない版なのですよ」
メイラの声は、珍しく興奮した様子だ。今回の本ずいぶんと貴重なものらしい。ぱらぱらとめくってうっとり目を細めた後で、いつものすんとした顔に戻ると一度本を閉じて表紙を開いた。
「一話ずつ読んでいきましょうか。それとも挿し絵を先にご覧になりますか」
「最初から読む」
「かしこまりました」
メイラが持ってきた本を読んでいる時は、おれが暴れたり騒いだりしないことに周囲も気付いたようで、メイラは王宮図書館の一部へ入室を許されることになった。
侍女としてはあまりに特例なこの許可に喜んだメイラが次々に新しい本を持ってくるので、今まで何もすることなくぼんやりと過ぎていた時間は、メイラと一緒に絵や文字を追いかける作業に埋め尽くされていった。
「……なんだか、あれをしたらいけない、これをしたらいけないって話が多いな」
説教を聞かされているような気持ちで眉を寄せると、メイラは「そうですね」と頷く。
「伝承は寓話であることも多いですから」
「寓話?」
「たとえ話です。水辺は危ないよ、と言われても何が危ないのかわからないと守らない人もいますから。水辺に近付くと精霊にさらわれて丸飲みされてしまうぞ、と言う伝え方にするのですわ」
「……作り話なのか?」
「全部がそうとは限りませんわ。本当にそういったことがあったから気を付けろというものも多いはず」
「やっぱり、ああしろこうしろって言うやつだ」
「ふふ」
おれが口をとがらせると、メイラが小さく笑った。
「たぶん、伝えたいから語ったのでしょう」
囁くような声で、メイラの手がゆっくり文字の上を撫でていく。
「誰かが危ない目にあわないように。同じような苦労をしないように。そんな思いで語られたから、人から人に伝わって伝承になって、こうして本に残されるまでになったのだと思います」
「……本に残す?」
「人から人へだと途切れてしまうかもしれませんが、こうして本になっていれば、他の誰かが読んでまた広めてくれるかもしれないでしょう」
そう言うとメイラは本を閉じ、まるで宝物を見ているような目で分厚く固い表紙を見つめた。
「本は、たくさんのことを伝えてくれます。遠い昔の人が語った言葉や、会ったこともない人の気持ち、誰かが考えた物語が、時間を隔てた先に繋がるなんて、素晴らしいことだと思います」
メイラはそう言ったが、その時のおれにはまだ何が素晴らしいのかなんて理解できなかったし、メイラと同じ気持ちがわからないのが少し悔しくて「ふん」と鼻をならした。
「伝えるための本なら、教本はなんであんなにもわかりにくい? もっと読みやすいように作るべきだろう」
口にしてから、そんなことを言ったってメイラを困らせるだけだと気付いて「そんなことより」おれは本を開き直すことでごまかした。
「続きは?」
「かしこまりました」
メイラは静かに頷いてページをめくって、さっきまで読んでいた話のところまで戻っていったのだった。
***
「また新しいのを持ってきたのか」
図書館へ入れるようになったのがよっぽど嬉しかったのか、メイラが本を借りてくるペースはどんどん早くなって、読みきれなかった本の上に新しい本が乗るようになった。
おれはおれで、同じ本をもう一度読みたいなって思うことがあってついでに持って来てもらったりもしたので、最近机の上はいつも何冊か本が置かれている。
ある日それを見つけたとうさまの側近が「本棚を用意させましょう」と言ってくれたので、その内この部屋に運び込まれるだろう。
「申し訳ございません。家にいた頃読んでいた本を見つけてしまい……」
「いや、いい」
メイラが勧めてくれる本は、おれが読みやすいようにという気遣いか、絵や図がたくさん使われているものが多い。きちんと装丁された本というのはとても高価なので、子供向けの本というものはあまりないそうだ。
そんなわけで、彼女がもっと幼い頃に好んでいたという伝承のシリーズや、図説のようなものがおれの主な読書になっている。
逆に、メイラが好んで読んでいたという本のほとんどは貴族向けの娯楽小説と呼ばれるもので、それなりに教養がないと読めないものだ。伯爵家で家庭教師がつき、真面目でかしこいメイラだから読めるもので、こうして持ってこられてもおれの頭ではとてもじゃないが読めるわけがない。
なので置かれている本のいくつかは、メイラが自分で読みたいから持ってきているものだ。おれが「読みたいのがあれば持ってきていいぞ」と言ったので、おれの机に乗っかった本のうちのいくつは、メイラが休憩時間に読むための本だったりする。
たまに、おれがひとりで本を読んでいる時なんかもこっそり読んでいるのは、ふたりだけの秘密と言うやつだ。
他の使用人はおれの近くにいるのを嫌がるので、寝室や本の置いてある私室の一部はおれたちふたりの読書部屋も同然だということも、いまのところ乳母くらいしか察しているやつはいないようだ。
「……そんな難しそうなやつ、そんなに面白いのか?」
「はい」
おれが聞くと、メイラはすぐに頷いた。
「昔に読んだものですが、こうやって時を経てから読むとまた違った感動がありますわ」
そう言って、我慢しきれないと言った様子で表紙を眺めるメイラは、表情こそ変わらないけれど声はふわふわと柔らかだ。
いつか、おれもメイラが読んでいる本をいっしょに読めるようになりたい。
メイラのその横顔に、その頃のおれはそんなことを思っていた。
***
そんな、ある日のことだ。
教育係たちは、おれが読書をするようになったことを聞き付けたらしい。
勉強のために用意された部屋に入ると、机の上には教本ではない何冊もの分厚い本が置かれていた。
「殿下、伝承など所詮は作り話。子供だましですぞ」
「そのようなものより、こちらの本のほうが殿下のためになるものでございますよ」
にこにこと笑う教育係たちの態度は気持ちが悪い感じがしたし、言い方にもカチンとしたけれど、ためになる本と言われれば少し興味を引かれた。
ぺらりとめくると、確かに教本や歴史書と違って文字は少なめで、難しい言葉は少ない。おれでも読めるくらいの本を選んできたのは間違いないだろう。
けれど、だからこそハッキリとわかってしまった。
その本のなかで描かれている王子たちは、俺とは全然違っている。
いつでも礼儀正しく、強くて賢く、みんなのために怒り、みんなのために努力できるから、みんなに尊敬されて、みんなに好かれていて、これが理想の王子様ですよ、と語るその本は——お前はこんなにも、何もかもが足りていないのだと、突きつける意図をもって選ばれたのだと。
「こんなもの……!」
どす黒く熱いものが腹の底から吹き上げ、ごうっと唸るような音がする。こんなにどうしようもなくザラつく気分は久しぶりで、反射的に投げつけた本が壁にガリッと傷をつけた。
飛んできた本が真横をかすめたせいだろう、ひっ、と教育係のひとりが悲鳴をあげて飛びずさるのを睨み付ける。
「言いたいことがあるなら! 言えばいいだろう! お前なんか出来損ないだと!」
これは、"当て付け"という行為だと、今のおれにはわかる。おれが、この本の通りになろうって心を入れ換えるとか、こいつらは絶対に思っていやしない。
いや、こんな本ひとつで「そうなんだ」と納得してしまうほど単純だと思っているのだろうか?
「馬鹿に、しやがって……!」
自分の叫んだ声で喉が痛んだ。体の奥のほうがぎゅうっと締め付けられるように苦しい。
おれの中で暴れる熱が、もう一冊を取り上げて振りかぶると、教育係たちは逃げるように部屋を出て行った。
その、直後のことだ。
ひとりのひょろっとした男が部屋に入ってくると、落ちていた本を拾いあげた。
「本を嫌うのは自由ですが、投げるのはよろしくありません」
本を痛めてしまいます、と、冷ややかな目と厳しく響く声に、おれはびくりと振り上げていた手をおろした。
そうして、おれの中で少しだけ熱が下がったのに気付いたのか、男はにこりと表情を変えて手に持ったままの本をひらひらと揺らした。
「まあですが、この本たちが面白くないのはわかりますよ。説教くさいばかりで、肝心の物語が薄っぺらいですからね」
「え……?」
とつぜんの悪口にびっくりして目を瞬かせていると、男は細い目をさらに糸みたいにして笑った。
「物語はおもしろくあるほうがいい。そう思いません?」




