6.侍女のメイラ
あれからすぐ、王子宮では使用人たちはずいぶん入れ替わった。
とうさまに命じられた役人たちがやって来て、おれや使用人たちに話を聞いて回った後、おれを悪く言っていたやつは追い出されたらしい。
見覚えのあったやつのほとんどがいなくなって、王子宮で働く使用人の人数も少なくなったので、代わりの使用人が見つかるまでは、しばらく王宮から何人か手伝いに来るらしい。
「本来、王子宮のことは王妃様の管轄なのですがね」
結果を伝えに来たとうさまの側近がぼやくように言った。使用人の質は、女主人がきちんと目を配っているかどうかにかかっているのだとか。
けれど、かあさまは王子宮に来たくないんだろうから、それは仕方がないんじゃないかと思う。そう言うと、その男は少し眉を下げた。
「しばらく不便されるやもしれませんが、ご辛抱くださいませ」
そう言われても、元々おれの相手をするのを嫌がって次々に使用人たちが入れ替わっていたし、とうさま以外におれを訪ねてくる人もいない。
おれも社交に出ることはないし、勉強と中庭の散歩以外にやることなんてないから、人が減ったからといっても別に問題はない。
どうせ、新しく来たやつらだって、そのうちいなくなるだろう。
おれのまわりでずっと変わらずいるのは、乳母のシェイナと侍女のメイラだけだ。
乳母は元々かあさまの侍女だった人で、かあさまのためなら何でもできると言っていたので、辞めないのは当たり前だけど、メイラは違う。
何年か前に侍女になった彼女は、他の使用人たちに比べてかなり若い。一度、少しでもおれと近い年頃のほうが打ち解けるかもしれないと何人か迎えた従者の内のひとりだ。
他はみんなすぐに辞めていったけれど、メイラだけはかわらずおれの侍女を続けてくれている。
だから、おれは勘違いをしていた。
***
変わらない日々、変わらない時間、変われないおれ。
使用人たちは入れ替わると静かになったけれど、教育係たちはあまり代わり映えがなくて、おれが「わからない」と少しでも言えば「何が」「何故」がはじまる。
そして、その内にわからないおれに問題があるのだと言葉で、態度でそう言ってくるのだ。
そうすると、おれの頭のなかは、真っ赤になったり真っ白になったりして、おれの手や足は目の前にあるわずらわしいもの全部を払い落とそうとするかのように勝手に暴れまわった。
我慢しようとがんばったことはあるけれど、押さえ込もうとするほど、ひっくり返った瞬間に自分でもびっくりするぐらいに激しい何かが弾けたので、どうしたらいいのかもわからない。
王子として、王子なのだから――王子のくせに。
そんな言葉の見え透いた態度に、何度目かわからない大暴れを起こして、教育係を部屋から追い出した日のことだ。
「おれだって、好きで王子に生まれたわけじゃない」
メイラひとりを連れて寝室にひっこんで、そばにあったテーブルを蹴り倒した勢いでソファに乗り上げたおれの口から、とうとうその言葉は飛び出した。
たぶん、期待していたんだろう。おれの近くにいながら、ずっと辞めずに侍女を続けているメイラなら何か優しい言葉をかけてくれるのではないかって。
けれど、メイラはおれが叩き落としたカップを拾い上げながら言った。
「誰しも、そうでございます」
ただ予定を告げる時のような声で、メイラは続ける。
「皆、生まれる場所を選ぶことはできません。わたしも、伯爵家の娘に生まれていなければ、殿下の侍女なんていたしておりませんでしたわ」
低くて静かな声は、怒っているのでも呆れているのでもなくて、ドアの軋みのような乾いた音をしていたので、おれは何だかすごくびっくりした。
彼女がずっと辞めずにそばにいてくれたのは、単に仕方なかったからに過ぎなかったのか。
そう思うと、モヤモヤしたものが体の中で渦を巻いた。
けれど、ここでワアッと声をあげたらダメな気がして、おれは考えに考えて「そうなのか」と口にした。
そうなのか。
メイラはおれの侍女になんてなりたくなかったのか。
そう思うと、不意に違うことが気になった。
「……おれの侍女じゃなかったら、メイラは何がしたい?」
すると今度はメイラのほうがびっくりしたように眼をまんまるにして、おれのことをまじまじと見てから「そうですね」と少し考えるようにしてから、どこか遠くを見るように目を細めた。
「わたしは……本に関わる仕事に就きとうございました」
「本なんて、おもしろくないだろう」
そう言うと、メイラはほんの少し声を和らげた。
「殿下がお読みになっておられるのは、教本ばかりだからではないでしょうか。本には教本や歴史書以外にもたくさんの種類がございます」
「そうなのか?」
「はい。遠い国の不思議な逸話や、優しい魔法使いの冒険、素敵な殿方との恋……そういった物語を綴ったものもございます」
「ふうん……」
おれの反応の何が気になったのか。また少し間を空けて、メイラは口を開いた。
「なにか、読まれてみられますか?」
「むずかしい言葉はわからないぞ」
知っているだろう、と口を尖らせると、メイラははじめて少しだけ笑った。
「難しくない本も、世の中にはいくつもございますよ」
***
数日後、メイラが持ってきてくれた図説と呼ばれる本には、おれの知らない世界が広がっていた。
たくさんの絵がつながって、目で追っていくと山が草原に、草原が川に、川は海になっていって、波の上に帆をひろげた船が浮かんでいた。
船の上にはたくさんの荷物が積んであって、ひとつひとつに名前が付いているのを見ると、おれはそれが何なのか気になって仕方がなかった。
「これとこれは何て書いてあるんだ?」
「香辛料と穀物でございますね」
おれが尋ねると、メイラはすぐに答えた。
「胡椒や山椒、大麦などを載せているようですね」
「なんでそんなものを載せている?」
「この船が交易船だからですわ。遠くの国を旅して、その土地でしか得られないものを持ち帰ってくるのです」
そうやってひとつひとつを教えてくれるメイラの声は、いつもの平べったいとのと違ってちょっと弾んでいる。本が好きだというのは本当のようだ。
そんなに好きなのに、何故おれなんかの侍女になったのか。気になって尋ねたことがあった。
「面白くもない話でございますよ」
そう言ってメイラが話してくれたのは、確かに面白い話ではなかった。
本来、メイラはパートセン伯爵家の跡継ぎだったそうだ。
けれど数年前に正妻が亡くなったと同時に伯爵の愛人が後妻に入り、彼女の三人の息子たちが邸にやって来てからすべてがおかしくなった。
なんとそのうち二人は年上の兄だと言うから驚きだ。それだけでもひどいのに、後妻の女は自分の子供が跡を継ぐためにはメイラが邪魔だったから、王宮がおれの従者を募っているのを聞き付けて「色目でもなんでも使って側女にでもしてもらえ」と働きに出されたのだとか。
意味はわからなくても、おれにだってその後妻が悪意をもってメイラを追い出したのだということぐらいはわかる。
「よくある物語のようなことが、我が身にふりかかるとは思ってもみませんでしたが、彼女たちにとってわたしは、捨てるに困った雑巾のようなものでございましたから」
侍女として着るものや食べるものが約束されているだけ、伯爵家にいるよりマシですわ、とメイラはため息のような声で言った。
そうか。メイラがおれの侍女を辞めずにいたのは、家に帰ることができなかったからだったのか。
少し前のおれなら、その事実にがっかりしたかもしれない。
けれどこの時、いつも静かな彼女が、ほんとうは海の上にぷかりと浮かんだ丸太にしがみつくようにしているのだと——どこにも行けないまま、泳いでいるのだと知って。
おれは、真っ暗な夜に、ぽつりと灯ったろうそくの炎を見つけたような気持ちを覚えていた。
メイラのフルネームは、メイラ・パートセン伯爵令嬢となります。この家名、覚えてらっしゃる方は彼女の兄弟が実は既に登場していることに気付かれたかと思います。




