5.とうさまと断罪
「なかなか顔を見せられず、すまなんだな」
お茶会のあった翌日、久しぶりにとうさまが王子宮へ顔見せにやって来られた。
国中からやって来る貴族から新年の挨拶を受けるのにお忙しい中、わざわざ時間を取ってくださったんですよ、とにこにこして言ったのは、侍従のひとりだ。
なんだか、おれより嬉しそうにしているので、とうさまが来られることには、彼らにとってなにか良いことがあるのかもしれない。
「お茶会で同じ年頃の者たちと席を共にしてみて、どうだった」
おれの侍従たちから話は聞いているはずなのに、とうさまはいつもの顔見せの時のようにゆったりとソファに腰かけると、おれの感想を聞きたがった。
でも、うまくいかなかったことを口にするのも嫌だったし、その理由だっておれがかっとなっただけだから、口にして良いものかどうかわからない。
黙りこくるおれに、とうさまはゆっくり話しかけてくる。
「楽しくはなかったか」
「……なかった、です」
「ならば、印象に残ったことはあるか?」
印象、と言われると、思い当たるのはひとりだけだ。名前はわからないけれど、銀色の髪をして、おれの目をまっすぐに見た、きれいな目の女の子。
おれが睨んでやってもぜんぜんびくともしない、生意気な女の子だっと話すと、とうさまは「ほう」と少し驚いたような目をされた。
「気になるか」
「……少しだけ」
「そうか。次の新年の折りには、そなたも同席できるようになると良いのだが」
そうすれば、その子にも会えるだろう、と、とうさまは目を細めて少しだけ口元を笑みにされたけれど、おれはすぐには答えられなかった。
とうさまと同席するというのは、王子としておひろめされるということでもあって、それはつまり、お茶会に来ていた彼らと同じくらいの振るまいができないといけない、ということでもある。
「……おれには、むりです」
ぽつりと、おれの口から漏れた。
今でだって"こんな"なのに、一年くらいでなんとかなるなんて、自分でも思えない。
とうさまの期待するような言葉に、ぎゅうと喉のあたりが狭くなったみたいに感じた。
「だって、おれは……できが、よくない、から……」
その瞬間、ふっとろうそくが消えたみたいな感覚がして、驚いて顔を上げると、とうさまの顔からは笑みが消えていた。
「誰が、そのようなこと言った」
とうさまの低い声が部屋に響く。大きな声をだしているわけではないのに、ずしんと重く落ちてくるような声だ。おれのそばにいた侍従たちがぎゅっと体を強ばらせたのがわかった。
「誰が、そなたにそのような言葉を使ったのだ」
「わ、わからない……名前、おれ……」
見上げないと顔も見えない大人たちが、誰だったかなんて覚えてるわけがないし、名前なんて、もっとわかるはずがない。
声が小さくなるおれのことをちらと見て、とうさまは部屋をぐるりと見回し、おれの従者たちひとりひとりを確かめるように見つめる。
「お前たちもわからないのか? お前は、どうだ」
とうさまはおれの従者たちそれぞれに尋ねたが、彼らは震えの混じった声で「申し訳ございません」とだけを繰り返して頭を下げるばっかりだ。
とうさまは、全員に聞き終わると、ちらとおれの方を見た。この中にいるのか、誰かわかるか、と尋ねられているのがわかって、こくりと頷く。
おれが、教育係たちがため息をつくくらい覚えることが苦手で、人の名前なんて特にそうだということは、王子宮にいる人間ならみんな知っている。だから、おれのことを馬鹿にしてもバレないと思っていたのだろう。
だけどおれは耳だけは良いほうなので、ひとりずつ声を出したら誰なのかはわかる。
それに、嫌なことというのは、覚えたくなくても、刺さったように勝手に頭に残っていくものだ。
「そいつです、とうさま。そいつと、その隣と、右はしのふたり」
とうさまが来られるのをにこにこして教えてきた侍従たちや、いつもより服をぴしっとしている侍女たちを指をさしてやると「殿下!」とそれぞれが声をあげた。
「な、何をおっしゃるのですか!?」
「誤解です。そんなことは、口にした覚えがござりません」
「っ、な、何か、殿下のお気に障ることがあったのやもしれません」
「きっと殿下の勘違いでございますわ、陛下」
困ったような顔で、焦ったような声で、従者たちはおれやとうさまに訴えるけれど、そうやって口を開くほどおれの中に残っている言葉と重なっていく。
「……顔だけそっくりでいらしてもね。あれじゃあとてもじゃないけど、王子様とは、ねえ」
これは侍女の言葉だ。部屋の隅っこで、おれの割ってしまった食器を片付ける音に紛れるように、隣の侍女とひそひそと言っていた。
「陛下もお気のどくだよ、たったひとりの王子が、あんなできそこないでは」
教育係を部屋から追い出した時、廊下と部屋の間のあたりでそう言っていたのは侍従たち。
「そう言っていたのは、お前たちだろう?」
指を指して言うと、侍従たちはすぐに言い返してきた。
「それは私ではありませんよ、殿下。誰かとお間違いなのでは……」
「いえ、そもそも聞き違いなのではありませんか?」
「そ、そうですよ。殿下は本当に私どもがそのようなことを言ったと、確かに覚えていらっしゃるので?」
おれととうさまを交互に見ながら口々に言うけれど、おれを見る瞬間の彼らの顔には「お前なんかが覚えてるわけがない」って書いてあるのが見える。
そのたびにとうさまの周りの空気が重たくなっていくのを、彼らは気付いていないらしい。
「もうよい」
冷たいとうさまの声が、部屋をしんと凍りつかせる。
とうさまはソファから立ち上がると、後ろに控えていた従者に「任せる」とだけ告げると、おれに近くへ来るようにと言ってそのまま部屋を出ていった。
「なかなか全てには目が届かぬものだな」
護衛騎士ととうさまの従者たちの足音を後ろに引き連れながら、中庭の見える廊下をゆっくり歩くとうさまは、深くため息を吐き出されると「すまぬ」とぽつりと言った。
「……もう少し、そなたに時間を取ってやれれば良いのだがな」
「いい」
とうさまの申し訳なさそうな声に、おれは首を振った。
時々やって来られては、紅茶一杯だけを飲んで帰られるとうさま。お忙しい合間をぬっていらっしゃるのですよ、とみんな言っていた通り、そんなちょっとの時間のために、わざわざ王宮から馬車を出して来られているのを、おれはちゃんと知っている。
「おれが……できがわるいのは、本当のこと、だから」
「トリアンリート」
王子宮の玄関までたどり着くと、とうさまは静かな目でじっとおれを見つめた。
「そなたが如何様であろうとも、そなたが我が国唯一の王子であることは変えようがないのだ。侮り、貶める振る舞いは許されぬ。同時に、そなたもまた侮られる者であってはならぬと心得よ」
静かで厳しいとうさまの声に思わずびくりと背中が跳ねると、大きな手が頭の上をゆっくりと撫でていった。
「そなたを憐れむ真似はせぬ。だが……当たり前の父のように振る舞ってもやれぬ。許せよ」
とうさまの言葉は難しくて、全部がわかるわけじゃなかったけれど、見下ろしてくるおれと同じ緑の目が、雨に濡れてくたりと垂れた葉っぱを見るような悲しげな色をしていたことが、何故だかつきつきと胸のあたりが痛くさせたのだった。




