1.俺と子爵と馬車の道行き
トリアンリート王子編です
前章とちがってすべて書き下ろしになります
よろしくお願いします
馬の蹄と、車輪が地面を擦る規則的な音だけが響く馬車の中から見える景色が、しばらく前から代わり映えがなくなってきた。
舗装のされていない道が延々と続く、街から遠く集落からすら離れた土地を見るのは、生まれて初めてのことだ。
石造りの建物は無くなり、家よりも畑のほうが広く、遮るもの無く開けた景色はどこまでも平らで、遠くの山々の連なりは、空と大地の区切り目のように見えた。
「……ここはどの辺りだ」
「ヒーデル侯爵家領に入ったところですよ」
呟いた声を拾って、向かいに腰掛けた元教育係のシレー子爵が答えた。
子爵位風情であるこの男は、本来なら俺の乗る馬車に同乗できるはずもないのだが、なんやかんや周囲を言いくるめて乗り込んできたのだ。
王子とはいえ、追放される身の上の俺についてこようなんて物好きが過ぎる。
出発前に、余計な同情はいらないから降りるよう言ったのだが、シレーは「便乗して異国見学に参りたいだけですよ」と笑ったので、俺もそれ以上は勝手にしろとしか言わなかった。
そのシレーは、俺の視線を追って勝手に口を開く。
「この辺りは王国統一前の地方豪族たちの自治領で、当時は関所や砦が点在していたそうですよ」
「何故今はない?」
「王国統一の際、ヒーデル侯爵家をはじめとした西部領主たちは、平和と信頼の象徴として関所を撤廃したのです。今後は睨みあうことなく仲良くやりましょってことですね。表向き」
「表向き」
「実際のところは、関税について王家に口出しされるのが億劫だったことや、流通の効率化を優先したのではないかと思いますよ」
俺が何をどう気にしたのか、わかってますよとばかりにさらさらと返ってくる説明をどこか懐かしく感じて、俺は「そうか」とだけ応じた。
なるほど、と返すには、俺はシレーの言うことの半分くらいしか理解できないからだ。王国統一前と言われても、そのあたりの歴史はあまりきちんと覚えていない。
この男もまた「言ってみただけ」という態度なので会話というには雑なやりとりはすぐに終わり、また沈黙が落ちた。
王都から出立して、五日目ほどが経っている。
外交的な訪問ではないから、衣料や食器類などの身の回りの物は最低限に絞り、他はすべて国へ置いてきた。
理由が理由なのでなるべく目立たないようにと、王族の移動としてはかなり質素に抑えたらしいが、それでも馬車は数台になったし、その護衛がついていれば時間がかかるのはしかたないことだろう。
監視であり護衛でもある騎士が言うには、明日あたりにはこの地方で最も大きな領都に入るだろうとのことだ。地理から考えると、オートナリ帝国へ入るまではあと数日といったところか。
「すごいですよねえ。さすが王国の穀物庫とも称されるヒーデル侯爵領。わかりますか? 畑から農道への繋がりがきちんと整備されていらっしゃる」
「……は。まさか、関係を絶ってからこの地に足を踏み入れることになろうとはな」
こんな時でも授業するかのような口調で楽しげにするシレーの声には呆れてしまう。
俺は、規則正しく繁っている何かしらの作物たちと、その世話をしている人々の、日に焼けた明るい顔を見やりながら、この土地の領主の娘であり、先日まで自分の婚約者であった女性と対峙した日のことをぼんやりと思い出していた。
***
「ヴェリアルデ・ヒーデル侯爵令嬢に告げる!」
マンナーカノ王国宮殿の舞踏会場で行われていた、国立貴族学院の卒業記念パーティーの最中。それは、俺の上げた一声からはじまった。
「そなたは嫉妬のあまり、ここにいる我が親愛なる友、シェリリエを傷付けたな」
あらかじめ用意されていた口上を述べるのに、抑揚を意識したのはずいぶん久し振りのことだったが、ヴェリアルデに叩き込まれた姿勢が、勝手に俺の背筋を伸ばさせたのは皮肉なことだ。
そんな俺の腕にしがみついて来たのは件のシェリリエ・アウトナー男爵令嬢だ。
俺を盾にしようとしてか力のこもる腕に腰のあたりをぐっと掴んで支えてやった。
彼女の纏う薄桃色のドレスは、上等な絹を重ねて宝飾品をこれでもかと飾った重量級だ。腰を掴んだのは、そんな風に捕まれると重みで倒れてしまいそうだったからなのだが、何を思ったかシェリリエの大粒の蒼玉のような目がうるっと涙を溜めた。
そういう仕草を"愛らしい天使"と称したのは側近として後ろに侍るハンパノ侯爵家の三男坊だったか、パートセン伯爵の長男の方だったか。淡い金のふわふわとした髪が、いくらか露出したまろい胸の上に揺れるのが見え、俺は比較するようにヴェリアルデに視線をやった。
光を弾いて輝く華やかな色彩を散りばめた俺やシェリリエとは対照的に、絹のように滑らかな光沢をもって肩を流れていく銀糸の髪と、菫を映した水面のような瞳は、受け取った光を溜め込むような静けさをしている。
最初から俺とは相容れないと言っているような佇まいに、苛立ちは募る。
そんな俺の視線にも顔色ひとつ変えずに相対するヴェリアルデに、俺は高らかに声をあげた。
「そなたのような罪深く心根卑しい女、将来の国母とは認められん! そなたとの婚約は今日をもって破棄する!」
その宣言にどよめいた会場内で、ヴェリアルデはただひとり眉ひとつ動かさずに俺を見ていた。
驚いていないはずはない。彼女の耳に届かないように細心の注意を払っていたのだ。まさかこんな公の場で婚約破棄を突きつけられるとは思ってもいなかっただろう。
けれど、彼女は決してその想定外を顔に出したりなどしない。俺が睨んでも小揺るぎもしない、美しい眼差し。
——そう言うところが、昔からずっと、嫌いだった。
初めて会ったあの日、さらさらと音がしそうなほど涼やかでまっすぐな銀色の髪と、母の指輪にはまった宝石のような紫の瞳をした、見たこともないくらいに美しい女の子——ヴェリアルデ・ヒーデルは、肖像画のように静かに、しかし、その奥をめらめらと燃やしながら、俺に向かって挑むように微笑んでいた。
***
「どうされました?」
俺の表情がわずかに変わったのを目敏く捉えて、シレーが尋ねてくるのに、俺は「ふん」と鼻を鳴らす。
「……すこし、昔のことまで思い出しただけだ」
「ああ、ここは彼女の領ですもんねえ」
訳知り顔で細い目を更に糸のようにしたシレーに苛立ってきつく睨み付けたが、この男はヴェリアルデとはまた違った意味で怯むことがない。何が楽しいのだか、にこにこと笑ったままだ。
苛立ちが増しかけたが、いつだったかヴェリアルデが「彼の笑い方って爬虫類みたいですわね」と耳打ちしてきたことまで思い出して、愉快さのほうが勝った。
それは、ひどく煩わしい日々の中で、ほんの少しだけ楽しかったと言えなくもない記憶のひとつだ。
どこまでも続くかのような柔らかな緑を眺めながら、俺は久方ぶりに幼い頃のことを思い出していた。
次回からは、トリアンリート王子の過去編になりますので、ドミトリウス殿下はしばらくお休みです(ごめんなさい)




