18.わたくし、怒っておりましたのよ
「正式に婚約解消の旨、マンナーカノ王国滞在中のドミトリウス皇弟殿下より報が届いてございます」
ドミトリウス殿下の側近のひとりであるレフダーク・ノーキンカモ伯爵令息がそう言って二通の手紙をわたくしに差し出した。
「ようやく、ですわね」
簡単な概要だけのまとめられた一通目の手紙を眺め、わたくしは静かに息を吐き出した。
あの婚約破棄騒動後。わたくしはドミトリウス殿下の計らいで会場からそのままオートナリ帝国へ向かう馬車に乗りこんだ。
護衛騎士として付いてくださっているレフダーク様といくつかの町を経由しながら数日をかけて辿り着いたのは、ヒーデル侯爵領と隣接するトナリアットル辺境伯領、その領主邸。所属する国こそ違えど隣の領と言うことで、辺境伯のご家族とは顔見知りだ。
人質として預かるのではないという旨の説明と共に、オートナリ帝国での身の振り方が決まるまでの滞在を約束してくださった辺境伯は、わたくしに豪奢な客間を用意してくださっている。
多少の交流はあるとはいえ他国からの亡命者、しかも貴族とは言えただの小娘に対して格別な扱いだ。わたくしの滞在について、ドミトリウス殿下が気を配ってくださったのがよくわかる。
最初こそ緊張したものの、土地が近いために食材などは慣れ親しんだものが多く、ヒーデル侯爵家とトナリアットル辺境伯家は元々流通面での交流もあったため、季節や古い出来事など共通した話題も豊富なので、皆さまとは話が尽きない。
そんな風に、思いのほか快適に過ごさせていただいているからだろうか。婚約についての手紙を見たことで、ふっと胸に影が差した。
――トリアンリート殿下は今頃どうなさっているのかしら。
国を離れたわたくしに、出来ることは何もない。
そうとわかっていても、婚約者と言う名のサポートについてから五年の間に習慣となった思考が、ついついトリアンリート殿下の動向を気にしてしまう。
そんな自分に苦笑しながら、わたくしは再度手紙へと視線を下ろした。
***
まず、わたくしとトリアンリート王子殿下の婚約については、殿下有責での白紙化となった。
そして、多くの貴族子息女の参加する卒業記念パーティーで起こした混乱と、国家間の不和を招きかねない重大な侮辱行為の責任を取り、トリアンリート王子は王位継承権を剥奪。一族の引責として、母君である王妃とそのご実家は継承順位を引き下げられ、繰り上げと言う形で継承順位の上がったゲンカック公爵家より養子が入り、王太子に任じられる予定とのことだ。
シェリリエ嬢や側近もどきたちについては触れられてはいないけれど、殿下がこの処分で彼らが甘い差配を受けるはずはありませんから、最低でも本人らは卒業式の取り消し、一族については領地の一部返上などが沙汰されるでしょうね。
――陛下とお父様の計画通り、ということかしら。
わたくしは思いの外スッキリと晴れることのない胸の奥にこびりついているような苦さに息をついた。
王宮で持て余され、王家唯一の嫡子でありながら王太子にも任じらずにいたほどの問題児が、それでも廃嫡にならなかった理由は主にふたつ。
ひとつは、真祖に連なる男児が現王家に彼しかいなかったこと。もうひとつは、彼の母である王妃がマンナーカノ王国三大公爵の一角、エラーソナ公爵家当主の妹であったことだ。
建国当初から王国を支えてきた重鎮であり、血縁的な繋がりも深いエラーソナ公爵家の発言権力は大きく、近年では強引な派閥拡大によりその勢力は王家に迫ろうとしていた。
その権力をより確固たるものにしたかったのか、あるいは国を我が物にしようという野望があったのか。エラーソナ公爵家は、先代の娘を王妃に捩じ込み、更にはその子を王にしようとしていたのである。
そのため、王妃は二人目の嫡子を望めないとわかっても、側妃を迎えることを許さなかった。
その上で、唯一の嫡男であるトリアンリート殿下に王子の素質が低いとわかっていながら彼を次期王にと譲らなかった。
エラーソナ公爵家の派閥が彼の未熟さを利用して傀儡政治を目論んでいるのは明らかだったが、それを強硬できるだけの権力を、エラーソナ公爵家は掴んでいたのである。
そこに牽制として用意されたのが、対立派閥の筆頭とも言える大侯爵ヒーデル家から王子の婚約者だ。
当然、エラーソナ公爵家としては面白くなかったでしょうね。
けれど、自家の令嬢は血が近すぎるし、当時のトリアンリート王子は手が付けられないほどの癇癪持ちな問題児。手綱を握れそうな同年代の高位貴族令嬢を、という王宮の求める条件に対して用意できる人材はなく、三大公爵の残り二家からの賛同もあっては反対もできなかったのだ。
そんなわけで表向き賛同して見せたものの、当然本心では自分たちに都合のいい娘にすげ替えたい。
が、王家が一度結んだ契約を反古にするなど、余程のことがなければ有り得ない。
かといって力ずくでの排除もできないとあって、彼らが考えたのが、この婚約をヒーデル侯爵家から破棄するよう仕向けることだった。
シェリリエ嬢がエラーソナ公爵側の手配なのかどうかはわからないけれど、トリアンリート殿下の側に侍るのを意図的に放置していたのは間違いない。
恋人を作るのも問題だけれど、格下の令嬢を優先して婚約者を蔑ろにするということは、本来ならば婚約者だけでなくその家門に対しても喧嘩を売ったに等しい侮辱。
その扱いに憤慨したヒーデル侯爵家の方から婚約解消を言い出させ、次の婚約者にエラーソナ公爵家に連なる家の娘を捩じ込むつもりだったのでしょうね。
まあ、同時にわたくしの経歴に傷を入れて評判を下げることで、ヒーデル侯爵家を貶める狙いもあったのでしょう。
こんな茶番に付き合わず、さっさとシェリリエ嬢を遠ざけて公爵家の思惑を潰してしまう道もあったのだが、そこに別の思惑が横槍を入れた。
(なぁにが、殿下にも心を通わし、愛をもって褥を共にできる女性が必要なので、よ)
シェリリエ嬢が恋人として振る舞い始めた頃、王宮からはそう言ってヒーデル侯爵家に静観するよう求めてきたが、なんのことはない。
王妃が言い出したのであろうその言い分を逆手に取り、シェリリエ嬢が大人しく恋人に収まるのならよし。王子を煽って目に余る態度を出してくるようであれば、王子の素行を理由として王妃とエラーソナ公爵家に傷を入れられる。
ついでに、わたくしとは逆方向の立場でトリアンリート殿下に取り入ろうとする、いわゆる傀儡政治を目論む権威主義な貴族家も炙り出せれば重畳、というのが王宮の思惑といったところでしょうか。
お父様がこの婚約について「いましばらくの苦労」と言ったのは、そのあたりを予期されてのことでしょうね。
わたくしを婚約者に据えれば、エラーソナ公爵家が黙っていないだろうことは、誰でも予想できた。
だが逆に、上手くすればヒーデル侯爵家の対立派閥である彼の弱みを掴み、王家の権威をある程度取り戻すことができると見込んだのでしょう。
その後は王宮の人事を再編して優秀な者を配置し、全力で王子の補佐につける。そうすれば懸念であった後継者問題もいくらかましになるはずで、わたくしの役割はその間の対外的なフォローであると、お父様は想定しておられたに違いない。
しかし恐らくトルパリア陛下は、王宮の思惑やお父様の想像よりも深く広い目論みを持っておられたのだろうと、王子妃教育を受けていたわたくしは思う。
賢王と名高いトルパリア陛下の真髄は、物事を起こすのではなく、起きた事象を柔軟に利用していく対応力の高さだ。
あらゆるところに策謀とも呼べないような細い糸の先を刺しておき、引っ張れそうなら手繰り寄せて巻き取り、あるいはどこかで手応えの気配があれば、他の糸と編みあわせて事態を望んだ柄に近付くように織り上げていかれる、そんな方だ。
そんな陛下にしてみれば、トリアンリート殿下が庇えないほどに愚かな振る舞いしてくれたほうが、エラーソナ公爵家から権力を取り上げるために都合が良かったに違いない。
とはいえ、王家の品位は最低限守っておく必要があるので、わたくしに期待していたのも本当だろう。
なので、ドミトリウス殿下というイレギュラーな存在があっても尚わたくしがトリアンリート殿下の素行を制御しきれたならば、それはそれで後継者への懸念が解消できるとも思ってらしたのでしょう。
もしかすると、わたくしをトリアンリート殿下の側から引き剥がすためにドミトリウス殿下の留学を受け入れたのでは、とまで疑ってしまう。
どう転んでも益はある——つまりは、この婚約ははじめから「わたくしという婚約者が殿下を次期国王に相応しい振る舞いができるようサポートする」ためではなく、陛下の用意した権力闘争の一手に過ぎなかったということだ。
込み上げてくる苦い気持ちに、淑女としてはあるまじきとわかっていても、眉間がぎゅう、と寄るのがわかる。
マンナーカノ王国は難しい国だ。
それぞれ独立していた領土が、かつて大陸で起きた激しい覇権争いに対抗するため寄り集まって生まれたため、未だ領主貴族たちの影響力が強い。
その上、大陸の中央に位置する国として周囲を五カ国と隣接しているために、中立を保つための緊張を常に強いられている。
そんな国の主ともなれば、情や綺麗事だけではやってはいけない。自身の息子であろうと利用し、時に切り捨ててでも国家の平穏を維持する計算高さや非情さが必要であると理解している。
――けれど、最初からトリアンリート殿下のことを切り捨てる前提ですべてが仕組まれたものであったということを、わたくしはうまく飲み込むことができない。
彼は、癇癪持ちで、我が儘で、傲慢で、とてもではないが王としての器量を持った男ではなかった。誰しもがそう思っていたし、わたくしもそう思っていた。
けれどそれは、最初から全部を諦める理由になってよかったのだろうか?
わたくしとのお茶会の最中だと言うのに、真剣な眼差しで本を読んでいた少年。
止めろ、嫌だしかなかった単純な罵倒の語彙が、次第にちょっと格好付けた台詞になっていくのが面白かった。せいいっぱいの背伸びを見せる彼に、弟の成長をみるような微笑ましさすら覚えていた。
じれったいほどの速度ながら、わたくしや周囲の従者、教育係たちの地道な努力を受けて変わっていった礼儀作法。物語に描かれた王子様像に近付こうとしていたのか、運動だってはじめていたことをわたくしは知っていた。
なのに、あの考えなしの取り巻き唆ちにされて足を踏み外していくのを、誰も止めようとはしなかった。
彼が愚かである方が、誰にとっても都合が良いからと、そんな理由で。
(そんな、そんな理由で、わたくしと殿下の数年は、すべて無駄だだったかのように切り捨てられてしまった……)
わたくしは、ずっと、怒っていた。
理不尽な国に、利権ばかりの大人たちに、それに踊らされるばかりの彼に、わかっていながらどうにもできなかった不甲斐ないわたくし自身に。
だから、トリアンリート王子が卒業記念パーティーでやらかしてくれたのは、正直、良くやったという気持ちがあった。
国にとっては、わたくしの国外出奔含めて想定外の醜態に頭の痛いことでしょうけれど、そんなことはわたくしにはもはや関係ない。
どうせ、トルパリア陛下はわたくしの意趣返しも利用されるのでしょうから、わたくしのお父様やお母様に詰められるかもしれない点については、まあ頑張ってくださいませ。
「……婚約は、無事解消されたのではないのですか?」
わたくしが複雑な顔をしていたからだろう。手紙から顔をあげると、レフダーク殿が首を傾げていた。
「何か、他の問題がありましたか」
「いいえ。ただ、こうやってあっさり決まってしまうと、それはそれで複雑な気持ちがあるだけですわ」
外向きの表情を浮かべ直して微笑むと、レフダーク殿はあからさまにほっとした顔をされた。
「申し訳ございません。彼の方に未練があるのかと思ってしまいました。ドミトリウス殿下の恋路に影響がないのならば良かったです」
なんとも直球すぎる発言に、反応に困ってしまった。
忠誠心が高いと見るべきなのか、天然と見るべきなのか。折角の美形さんなのに、残念だことですわ。
気を取り直して、二通目を開いた、その数秒後。
「……え?」
わたくしは思わずぽかんと声をこぼした。
ドミトリウス殿下からの二通目の手紙には、トリアンリート殿下がオートナリ帝国へとその身柄を移されることになったと書かれていたのである。
「ええええ??」
……どうやら、わたくしとトリアンリート殿下の腐れ縁については、まだまだ終わったわけではなさそうだ。
ヴェリアルデ編 end
ヴェリアルデ編はこれにて完結でございます。
元々の短編からの再編のつもりが、ずいぶんと長くなりました。
次回からはトリアンリート編となります。
今までより少し重たい話になりますが、お付き合いいただけますと幸いです。
尚、ドミトリウス殿下には申し訳ないことに、ロマンスはまだちょっと先のことになりそうです。




