17.これが最後のお役目ですわね
「……それは、今この時からでも可能でございますか?」
意は決したと、わたくしはまっすぐに背を伸ばし、殊更に静かな声で応じる。
「ただいま婚約を破棄された身なれば、追放を待つよりも自らの足で出て行く所存でございます」
「即断即決、たいへん素晴らしい」
わたくしの意志も覚悟もはっきりしていることを察したのだろう。
ドミトリウス殿下は張りのある声を快哉の色にしつつ、意図的になのかゆっくりと頷かれ、側に控えていた従者へ視線を投げた。
「では退場の後の帰路については馬車をこちらで用意しよう。お前たち、すぐに手配を」
その姿は同級生の時のそれではなく、人を従わさせるのに慣れた人間の風格で、誰もがその発言に口を挟めないでいる。
トリアンリート王子の作り上げていた空気を完全に粉砕し、今やすっかりドミトリウス殿下のペースだ。従者が恭しく頭を下げて離れていく姿など、王の采配で騎士が戦場へ赴くかのような荘厳ささえあった。
帝国の王族ともなれば、場を支配するのはお手のものということなのだろうか。
「待て待て待て待て! 俺を無視するな!」
いつの間にか自分が脇役のようになっていることにやっと気付いたのか、トリアンリート殿下は声を荒げると、自身の側近たちの腕を振り切ってわたくしたちへ手が届くほどの距離までずかずかと近付いてきた。
空気が読めないのは相変わらずですけれど、まあ、彼の立場なら空気を読む必要は基本的にないので、そこは多少致し方のないとは思わないでもないものの、空気どころか状況を察する努力も投げ捨てていらっしゃるトリアンリート殿下は、さらに大きな声を上げられた。
「いったい貴様らは何の話をしている!!」
「我が国でご令嬢の亡命を受け入れるという話だ」
「亡命だと!?」
亡命、という言葉を聞いた途端にトリアンリート殿下の顔がはっきりと変わった。自分で国外追放を叫んでおいて、何故そうも驚かれたのかは謎ですわね。
どう対応されるのだろうと見ていると、ドミトリウス殿下はゆっくりと溜め息を吐かれて、すんっと冷ややかな眼差しをトリアンリート殿下へと向けた。
「先ほどから言っているだろう。国外追放なんてね、国境の曖昧だった時代ならともかく、追放される側の国が受け入れる許可を出さなければ成立しない」
それはそう。
どの国だって、よその国の犯罪者なんて問題の種以外の何者でもない人間に来て欲しくはない。余程相手国に受け入れるメリットがなければ起こりえないことで、わたくしも、他国へ嫁がせて入国を禁じるという形の追放事例を歴史の授業で聞いた程度だ。
打って変わってより強い言葉を使いながら淡々と諭すように説明されていくドミトリウス殿下は、切れ長な紅い目をすっと細められた。そうすると、普段の親しみやすさが剥がれて刺すような鋭さがその顔を彩っていく。
「私なら国としてその振る舞いを不快として抗議するし、国の気性によっては攻撃の意思ありとみなして武力行使も厭わないレベルだよ。我が国の先代皇帝などは喜んで侵攻の口実にしたろうね。ははは」
しん、と静まり返った大広間でドミトリウス殿下の笑い声が低く響いた。
近隣三国を炎の海に沈め、その頭髪と瞳の鮮やかな赤は、流した血で染まったものであるとすら言われる侵略王デイオリウス・オートナリ皇帝の若い頃に最も良く似ているのが皇弟ドミトリウスだと言われている。
かつての帝王もこのようにして笑ったのかもしれないと思わせる、冷たく輝く目が覗かせる威厳に、この期に及んでもまだ観客気分だった学生たちが飲まれていくのがわかった。
「でも、君のような王族の座す国にこのままこちらのご令嬢を住まわせておくのは余りに勿体なさすぎるからね。要らないならもらい受けようという話だよ」
冷たい視線そのままに口元だけを皮肉に笑みにし、トリアンリート殿下へと棘のある言葉を投げつけたドミトリウス殿下は、わたくしのほうをくるりと向いて幾分か親しげな目線へ切り替えるとにこりと笑った。
「まあ、ここまで盛大にやらかされたのだから、ご令嬢の方も追放の話がなくともこの国への帰属意識なんて露と消えたのではないかな?」
「左様にございます」
ドミトリウス殿下の問いに、わたくしははっきりと応じる。
「わたくしは我がヒーデル侯爵家当主より、身の振り方についてある程度の裁量を許されております。殿下のご恩情有り難く、わたくしといたしましては今後、王国へ足を踏み入れることはないと心得ております」
「左様であれば、あとは侯爵への話は私から通しておこう」
わたくしの返答に、ドミトリウス殿下は満足そうに頷いた。
この成り行きに、周囲で何人かが息を飲んだのがわかった。令嬢とは言えマンナーカノ王国大貴族の一角であるヒーデル家の人間が国を離れるという意味をきちんと理解していれば、そういう反応をされるのも当然と言うもの。
意外なことに、トリアンリート殿下の表情も硬いのですけれども、こちらはどの程度理解されているのか、というか頓珍漢な理解をなさってないかどうかは確認してみないとわからない。
気にはなるけれどこの場で追求するわけにもいかないので、姿勢だけは崩さずにしていると「さて」と区切るようにしてドミトリウス殿下はわたくしに向けて手を差し出された。
「では差し当たり、令嬢のエスコートの権利を私に頂けますかな、ヴェリアルデ嬢。制服姿の貴女も美しいが、今宵の月の女神のように美しい貴女を、ダンスに誘いたくて仕方がなかったんだ」
突然の称賛に、一拍をあけてぽんっと頬の辺りが熱を持った。
「……光栄です」
もうっ、慣れなさすぎて咄嗟に返答につまってしまったではありませんか。
婚約者がアレなもので、そういった褒め言葉を異性から向けられることなんてありませんでしたから、なんだか、こう、とてもむず痒いですわね。
動揺を内心にぎゅっと押し込めて、白い手袋に覆われたがっしりと大きな手のひらに自分の指先をそっとのせると、思わぬ強さでぐいと引かれる。
「えっ、あ……!」
体勢を整えるために咄嗟にドミトリウス腕に掴まると、スッと身体の向きを整えられた彼の隣に自然と収まった。立ち振舞いのあまりのスマートさに感心してしまう。
対して、成り行きが理解できていないのか、ポカンとわたくしを見ていたトリアンリート王子は、瞬き数回後、ぱちんと弾かれたかのようにぐわっと顔を怒らせた。
「……っ、ええい、まだこの俺を無視するか! 貴様も不敬罪で捕らえてやる!」
「だ、駄目です殿下……!」
彼の中の癇癪の尾が盛大に踏まれたのだろう。ぶるぶると拳を震わせながら激昂のままに口走ったトリアンリート王子に、側近面をしていたハンパノ侯爵家の三男坊が慌てておりますけれど、遅すぎるにも程がありますわね。
彼が口を開いたところで、声を上げて被せて行きながら物理で塞ぐのが一番ということも把握してないとは側近として失格ですわよ。
まあそもそも彼のような男が側近面をしていたのが片腹痛いのだけれども。
ふん、と鼻をならしそうになるのを堪えるわたくしの横で、ドミトリウス殿下は悠然とした態度でトリアンリート殿下に応じる。
「できるものならば、やってみるといい。オートナリ帝国皇帝が末の弟、ドミトリウス•ジル•オートナリを不敬と問えるならだが」
最早この場は、ドミトリウス殿下が主役だ。
あれよあれよという間に、誰が起こした騒ぎで、誰がそれを正そうとしているのか、という構図が作られ、逆転された断罪者たちが追い詰められる側に回っている。
真っ青になったトリアンリート殿下と、今にも倒れそうな側近もどきたちに、ドミトリウス殿下は冷たく笑った。
「最後に忠告であるが、どのような事情であれ、今後はこのような祝いの場で断罪劇などという不躾な真似は止されたほうが良かろう。余興として程度が低いと他国に侮られかねん故な」
見事な締めの言葉に、わたくしは嘆息を飲み込んだ。
これが歌劇であればクライマックスに相応しい台詞だが、追い討ちとしては優しいくらいの皮肉は、両国の関係性を配慮してのものだろう。
格の違いというのはこういうことなのだと思い知らされるようで、王族の婚約者としては胸が痛い。
我が国の王子が、突っ立っていることしか出来なくなっている姿を晒しているから尚更に。
「何をしている。殿下の顔色がよろしくないぞ。側仕えならば速やかに介抱してさしあげろ」
呆れたような声で言ったのは、側近のライトレイ殿だ。刺すような鋭い視線を向けられたトリアンリート殿下の側近もどきたちは、弾かれたように我にかえると、彫像のように固まっている自身の主を半ば引きずるようにして会場を後にしていく。
恐らくは、ミリシア嬢が呼んだ王宮の担当役人たちが扉の向こうに待機しているであろうから、彼らによって別室へ連れられて行くでしょうね。
それを見届けられないのは残念なような気もするけれど、わたくしの婚約者としての役目はもう、無くなったも同然だ。その後は大人たちがすべて何とかするだろう。
――正直を言えば、後はどうぞご勝手に、という気分ですけれど。
投げやりな気持ちと、少しの苛立ち、そしてゆるやかな解放感が入り交じる複雑な心地を編んでいると、ドミトリウス殿下は一同をぐるりと見回してぱん、と短く手を打った。
「喜劇の主役は退場したことであるし、つまらぬ騒ぎはここまでといたそう」
静まり返った会場内に響いた音に、皆がはっとしたように我に返ったのを確認し、殿下はやや演技がかった調子で明るく声をあげる。
「まずは音楽を! でなければグラスを取りたまえ。今宵は折角の卒業祝いなのだから、主役たる我々は存分に楽しまねば!」
ドミトリウス殿下の声を受けて、広間の端々に散っていた特A級の級友たちが動きだし、何事もなかったかのような穏やかな曲が会場を満たし始めたところで、一度距離を取った殿下が恭しく姿勢を正した。
「主賓の代理ですまないが、ヴェリアルデ・ヒーデル嬢。我が国まで名の響くマンナーカノ王国の名門、ヒーデル侯爵家の子女たる貴女に、ファーストダンスのお相手をお願いできますかな?」
微笑む殿下の口上に、わたくしは静かに腰を折った。
これは、友人としての誘いではなく、国同士の親睦は損なわれないと示すための政治的なパフォーマンスであるとわかっているからだ。
トリアンリート殿下の婚約者として、彼のしでかしたことへのフォローを果たすのは、これが最後になるだろう。
「喜んで」
こうして、予想だにしていなかったわたくしたちの卒業記念パーティーはその幕を下ろしたのだった。
ようやくここまで来たという気持ちです
次回、ヴェリアルデ編最終回の予定です。




