16.なるようになあれ、ですわ
「おいおいおい何言ってんだ」
空気を割ったその声は、トリアンリート殿下とはまた違った種類のよく通る響きをして、会場をしん、と静まり返らせた。
オートナリ帝国皇弟、ドミトリウス・ジル・オートナリ。隣国からの留学生にして我が国の賓客である彼は、野次馬の輪の中からゆっくりと近付いて来られる。
「勝手に決められては困るのだが」
そうしてわたくしのすぐ傍らまで来たところで咳払いをひとつして、ドミトリウス殿下は物腰の柔らかな声でトリアンリート王子に話しかけた。
あ、嫌な予感がいたしますわ。
「誰だ貴様は!」
嗚呼。
嗚呼、よりにもよって。
反射的にだろう、不機嫌そうに眉を寄せ、トリアンリート殿下がいつものように怒鳴り声を上げた瞬間、わたくしは全身から血の気が引いていった。
侮辱罪、不敬罪、国際問題!
あなた一度ドミトリウス殿下とは顔を会わせているでしょうが!
わたくしとの婚約破棄どころではないやらかしに、心臓が潰れるようだ。唯一の救いは、ドミトリウス殿下とわたくしに同級生として交流があることぐらいか。
頭の中でうるさく騒ぐわたくし自身の心の声に一旦蓋をし、急いでその御前へ出ると、深く腰を沈めて礼をとった。
「我が国のご無礼、申し訳ございません。わたくしの監督不行き届きをお詫び申し上げます」
「いや、前触れなしに割り込んだのは私だし、「これ」は君の責任ではないと承知している」
ドミトリウス殿下は鷹揚に頷いてくださったが、トリアンリート王子のフォローはわたくしに与えられた役目。言葉通りにわたくしの監督責任なのだ。
口撃に熱中してドミトリウス殿下の動向を見落とし、彼の登場に動揺してしまったことで、初動が遅れてしまったわたくしの失態だ。
トリアンリート殿下が、興味のないことについてどれだけ無頓着なのか、わたくしはよく知っていたのに。
とはいえ、そんなことを口に出せるはずもなく、わたくしはただ必死に表情を取り繕い、どう立ち回るべきか頭を回転させていたのだが、ドミトリウス殿下はそのままトリアンリート殿下とやり取りをはじめてしまわれた。
「国外追放と簡単に言うがね、どこへ追放するつもりなのか聞かせてもらえるか」
「は? どこ、だと? 国外追放なのだから国外以外の何があるというのだ。しかもなんだ、その口のききかたは!」
口のきき方については、今問題なのは貴方のほうですわよ、トリアンリート殿下。わたくしの挨拶で、こちらにおわすのが高貴な方だと気付いて欲しかったですわ。
というか、ドミトリウス殿下の後ろで側近方が殺気立っているのがわかりませんの?
「いやいやまさか、国外追放を単に国境から放り出すだけのことだなんて思っているのではないだろうね?」
たぶん、彼は本当にその程度のことだと思ってますわ、ドミトリウス殿下。物語では、国外追放を言いわたされた悪役のことなんて触れられることはないでしょうから。
礼儀上、王族同士の会話に割り込むことは出来ないのがなんとももどかしい。
わたくしの内心の葛藤をよそに、ドミトリウス殿下は丁寧に説明をなさりはじめた。
「貴国は我が国を含めた五ヵ国と隣接しているのだから、そのいずれの国へ追放しようとしているのかは、私の立場としては確認せざるを得ない。とはいえ、どの国も許可は出すまいが……」
「許可だと? 何故そんなものがいる」
「当然であろう。自国の罪人を勝手によその国に追い出すつもりかな? 国境侵犯どころの騒ぎではないよ。国際問題として抗議されてもおかしくはない。貴国にしても、こんな場で軽々しく発していい処罰ではないだろう」
ちょっと考えればわかるだろ、というドミトリウス殿下の声が聞こえてきそうだ。
この時点で我が国の王子の無知っぷりが露呈しているのだから、側近たちも「確かに」とか相槌打って一旦下がるように打診すればよいものを、突然他国の皇弟が飛び入りしてくるという事態に、ただ突っ立っているだけだ。
ほんっとうに無能ですわね彼らは。
「国際問題だと? 何を馬鹿げたことを。国外追放は我が国の刑罰であるし、王族の俺が下したのだ。どこに問題があるというのだ」
トリアンリート殿下のあんまりな返答に、思わずと言った様子でドミトリウス殿下がわたくしの方をちらりと見た。
ええ、ええ、わかりますわ。信じられないでしょう? この、お話の通じない残念な方が、"中央の大船"と呼ばれる我が国でたったひとりの王子様ですわよ。おほほ。
わたくしはとっくにもうどうでもいいわの気分だけれど、ドミトリウス殿下はなかなか辛抱強いお方のようで、なんとかトリアンリート殿下と対話を試みようとなされている。
「……そもそも、相手国からの許可のない越境は、密入国だと理解しているかね?」
「さっきから許可、許可と鬱陶しい……罪人を関所にわざわざ運んでやるわけがないだろう。国境向こうの森の奥に捨てれば勝手にのたれ死ぬだろうに、何の許可が必要だと言うのだ馬鹿め」
うーん、この、どこからツッコミ入れたらいいのか分からない感じ、なんだか久しぶりですわぁ。
なんて、思わず現実逃避してしまう。恐らくイラついているからなんでしょうけれども、取って付けたように「馬鹿め」とか、なんですの? 威厳を出したいならもっとましな言い方があったでしょうに。
さすがのドミトリウス殿下も、疲れが隠せなくなってきたらしく「はあ」と大きな溜め息が漏れ聞こえた。そりゃあそうでしょうね。
「どうも君ではお話にならないな」
「何を!」
掴みかからんばかりに頭から湯気を出すトリアンリート殿下を彼の側近たちが必死で宥めている間に、ドミトリウス殿下は、僅かに体を斜めにし、わたくしの方を向いた。
「尋ねるが、ヒーデル侯爵令嬢」
「……はい」
普段の同級生向けではなく、立場のある者同士としての声色に、わたくしは内心のあれこれをいったん脇に置いて、改めて背筋を伸ばしていると、ドミトリウス殿下は意外なことを言い出した。
「我が国としては、貴女のごとき才能と名誉を持つ方を受け入れることやぶさかではない」
「……?」
首をかしげる変わりに目を瞬かせたわたくしに、殿下は続ける。
「国外追放が正式なものとなった暁には、通行証ならびに国籍を発行し、一時的な仮宿にて身分相応の扱いを保証いたそう。いかがかな?」
それは「こんな形で国外追放が決定するのはあり得ないが、もし国に居づらくなるなら、我が国へ逃げてくると良い。いつでも歓迎する」と、言う意味だとすぐにわかった。
他の誰かが言えば社交辞令にしかならない発言だが、オートナリ帝国の皇弟であるドミトリウス殿下が公の場で口にしたということは、確約されたも同然だ。
声と驚きを飲み込んだわたくしに、ドミトリウス殿下の目が小さく笑う。その態度から、ちょっとした冗談として流してもいいよ、という意図が察せられた。
他国の王族の婚約者へ逃亡を仄めかすような発言は、彼の立場では危ういものだ。
それでも、わたくしのために手助けを惜しまないとその目は語り、断っても構わないと振る舞いの逃げ道まで用意してくれるその心遣いが胸に沁みる。
国を出る。
これまで考えたこともなかった選択肢に、戸惑い、悩んだのは一瞬のことだった。
わたくしは刹那トリアンリート殿下を見た後で、まっすぐにドミトリウス殿下に応じる。
「……それは、今この時からでも可能でございますか?」




