8.それは、ねえ? 無理と言うものではございません?
「なんというか……奔放な方ですのね?」
「そのような言葉で表してよいものか……」
マンナーカノ国立貴族学院は、名の通り貴族籍の子息女のみの通える学舎という性質から、建物内には生徒がお茶会の席を設けられるような休憩スペースがいくつかある。
その内のひとつ、中庭を見渡せるように作られた二階のテラス席でわたくしが思わず呟くと、側に控えていた侍女がなんとも言えない声を漏らした。
わたくしたちの眼下では、中庭中央の噴水側のベンチで、トリアンリート殿下の横に淡い金の髪色をした女学生がひっついて座っているのが見えている。
殿下の肩に頭を寄せ、斜めに腰かけているせいでスカートの下から大胆に足が覗き、それを後ろから殿下の取り巻きを気取っている男子生徒が眺めている……いや、あれは鼻の下を伸ばしているというやつですわね。
そんな何とも言えない光景に溜め息が漏れた。
「下位の級で、風紀が乱れていると聞いてはおりましたが……」
これはひどい。
わたくしはお茶で溜め息を飲み込んだ。
殿下と同じ、D級へ振り分けられたシェリリエ嬢は、アウトナー男爵家現当主と使用人の間に出来た子供で、最近になって引き取られた娘だと言う。
母親の所在も不明な上、男爵とその親族の誰にも似ていないので事実はわからないが、とにかく。
アウトナー男爵家は、見た目の可愛らしい少女を娘ととして引き取って、王子殿下を籠落せしめんと学院へ送り込んできたのである。
そして、わたくしと殿下が成績の問題で級が分かれたのを良いことに、トリアンリート殿下へ猛然とアタックをはじめたというわけだ。
そのきゅるんと音のつきそうな可愛いらしい顔で近付き、無害そうな言動と小柄ながら出るところの出た体の曲線を惜しみ無くアピール。
そうして殿下の取り巻きっぽい同級生たちの警戒を解いたところで、殿下の腕に絡みついたりしなだれかかってみたり、酷い時などは今のように肌をちら見せするなど、媚びっ媚びの媚び三昧をかまし、学院内のみとは言えすっかり「殿下の隣」を定位置にしてしまったのである。
わたくしとトリアンリート殿下が普通の婚約者同士であれば「まあ、お戯れを」となるところだし、母なら上品に微笑みながら「あらまあ、元気のよろしいこと」と扇子を広げるだろう。
一応言っておくけれど、我が家が過激なわけではなくてよ。
わたくしたち貴族の婚姻は様々な条件や利権、思惑の上で成り立っている。高位貴族ならば更に、国家の運営にも関わるような政治的な意味合いも強く含まれているものだ。
そこへ横槍を入れようというのだから、宣戦布告も同義の振る舞いであり、世が世なら文字通り領間戦争が勃発してもおかしくないような問題だ。
決して、我がヒーデル家の人間が血気盛んと言うわけではありませんのよ。本当に。
ともかく、そのように本来であれば大変な問題行動なのだが、わたくしたちが静観しているのには訳がある。
ひとつは、大貴族のヒーデル侯爵家と新興貴族アウトナー男爵家では、喧嘩するにはあまりにも家格が違いすぎることだ。
子猫が噛みついた程度で騒ぎ立てるのは器が狭いと嗤われ、噛みつかれるような隙を作った方が愚かとされるのが高位貴族の世界。
更に、殿下とわたくしとの婚約は政争ではなく、やむにやまれぬ事情によるサポート契約、というのが実態ではあるものの、このまま順当に行けばわたくしが正妃になる。
――わけなのだけれども、そうなると直面する問題がひとつ。
下世話な話になるけれど、殿下がわたくし相手に閨で励む気になってくださるかというと……
まあ、それは、ねえ? 無理と言うものではございません?
けれど、王家としては直系の後継ぎは必須だ。となれば、王子が手を付けそうな女性は確保しておきたい。
不快なのはわかるが寛恕して欲しい、といったような内容で王宮から正式に「お願い」もされている。
そんなわけで「殿方には可憐な花を愛でたい時もありますものね」という建前で黙認することになったのですわ。
……今思えばこの時、わたくしがもっと広い視野を持てていたら、違った結末を迎えることも出来たかもしれませんわね。
***
「……大変申し訳ございません」
「構わなくてよ。わたくしの名誉が傷付くわけではありませんもの」
更に半年を経た頃。
すっかり顔馴染みになったトリアンリート王子殿下つきの侍女が青い顔で頭を下げた。
今日は殿下との定例のお茶会の日だったのだが、件のシェリリエ嬢との逢瀬を優先されてしまったとのことだ。
女性との約束を別の女性との約束で反故にするというのは「お前に魅力を感じていない」と宣言するも同然な大変な侮辱であり、反故にされた女性側にとっては相当な屈辱である。
わたくしでしたら、そんな男は今後のお付き合いを考えさせていただくでしょうね。
その報告を任された侍女が死にそうな顔をするのも無理もない。
けれど、わたくしの関わる範囲の社交では、殿下の横暴も、わたくしたちの婚約の性質も知られている。
このお茶会にしても、防犯上スケジュールは秘匿されているので、反故にされた事実が露見することはなく、真実わたくしの名誉が傷付くことはないので、さして気にはしていない。
「それにしても、困ったこと」
ひとりぶんの紅茶を口にしながら、わたくしは思わずぽつりと呟きを漏らした。
学院に入学された当初、トリアンリート殿下はその整った容姿のおかげで令嬢たちからの人気は高く、わたくしとの特訓によってある程度は外面も矯正されていたおかげか、その傲慢な態度さえ「王族らしい」と好評だった。
身分に至っては文句無しの最高位。わたくしという婚約者がいるにしても、お近づきになりたい女学生は多くいたのに、よりによって何故彼女を選ばれたのかしら。
端から見たシェリリエ嬢は、確かに庇護欲をそそるような可愛らしい顔をし、出るところも出た大変魅力的な女生徒だ。
けれど彼女は、殿下に恋しているのではなく王子という立場に恋している。
態度にも言動にもそれが滲み出ているのだが、淑女らしい控えめで回りくどい秋波ではなく、全力全身で媚びってくる態度が、殿下には好ましく見えたのかもしれない。
「あなたは殿下から何か聞いていて?」
殿下の侍女――メイラと言うらしい彼女に尋ねると、静かに首を振った。
「殿下のお心は、わたしには図りかねます」
淡々とした声は、聞いてくれるなという響きがあり、言うに憚られるのか口止めされているかだと察して、溜め息をついた。
「まあ、あの殿下に春が来られたのなら、喜ばしいことですわね」
「はあ……」
「せめて、恋人にくらいは優しくして差し上げられるといいのだけれど」
「それは……、……」
「気を遣わなくても良くてよ。わたくしと殿下は恋をするような間柄ではないもの」
恐縮した様子のメイラに苦笑して、供されている焼き菓子に手を伸ばした。
王命による婚約であるからか、トリアンリート殿下は、わたくしに乱暴を働くことはないし、最低限尊重はしようとはしてくださっているけれど、好いているわけでもない。
最初の頃の「邪魔なヤツ」からはさすがに変化してはいるだろうが、良くて「口煩い姉」くらいのポジションだろう。
わたくしにしても、殿下は世話のやける弟のようなもので、そこに恋のときめきとかいうものが入り込む余地はない。
だから、わたくしはトリアンリート殿下に恋人が出来るなら、王家に言われるまでもなく温かく見守るつもりだった。
気持ちを寄せる女性ができれば、情緒が成長……というか、殿下の排他的で攻撃的な部分が和らぐのではないか、という期待があるからだ。
その結果がシェリリエ嬢なのは、ちょっとどうかと思いはするけれど、殿下にとっては、シェリリエ嬢のような相手のほうが、居心地は良いのかもしれないとも思う。
目的が「王子様の恋人」なのであれば、愛想の良さが無くなることはないでしょうし、どんなものであれ分かりやすく「あなたが好きです」という態度を正面から投げかけられて悪い気はしないはず。
本を読む以外で、何をするにも苛立ちが先立つ殿下に、ただ愛でて可愛がるような相手ができたことは喜ばしいことですわ。
そんな風に思っていたから、静観してあげていたと言うのに――……
「ヴェリアルデ様ひどいですぅ……」
シェリリエ嬢は何しに来やがりましたの……?




