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3

 しばらくして、響がぽつりと言った。


「……俺は父に似てる」


「え?」


「女に惚れやすい…。昔から、そうだと自覚してる」


 零は涙をぬぐう手を止めた。突然の話に、どう返せばいいのか分からなかった。


「君にとってはどうでもいい話かもしれないが、俺は子供が作れない体なんだ」


 響はひとりごとのような声で続けた。


「だから、昔は好き放題やってた」


「そうなんですね…」


「ああ…」


 そこで、響は小さく息を吐いた。


「でも、もし俺が子供を作れる体だったら、女性と深く付き合わないように生きてたと思う。父親みたいに、誰かを不幸にするのが、怖いからな」


 零はベッドの上で、ゆっくり瞬きをした。


 さっきまでの響の声は、ぶっきらぼうで、どこか突き放すようだった。けれどいまは、その奥にあるものが、少しだけ見えた気がした。


「……意外です」


 零は正直に言った。


「響さんは、もっと真面目で、厳しい人だと思っていました」


「それは、表向きの顔だ」


 響はあっさり答えた。


「裏では、弟の本心もわからない哀れな長男…。だから静も心を開かないんだろうな…」


 自嘲するような言い方だった。けれど、その声には、笑いの色はなかった。

 零はスマートフォンを握りなおした。窓の外では、赤い航空障害灯が、変わらずゆっくり点滅している。


「どうして」


 零は小さな声で聞いた。


「どうして、そんなことまで、私に話してくれるんですか」


 家族の秘密。母親の死。自分の体のこと。知り合って間もない相手に打ち明けるには、どれも重すぎる話だった。

 響は少しだけ黙った。


「……なんとなくだ」


「なんとなく?」


「ああ。君なら、静の心を開けるんじゃないかって、そう思った。それだけだ」


 零は言葉に詰まった。


「あいつは、誰にも心を開かない…。でも、君には、自分の母親のことを話した」


 響の声が、少し低くなる。


「それは、あいつにとって、すごいことなんだ」


 零は、あの夜のバーを思い出した。氷の鳴る音。グラスの縁をなぞる、静の指。

 あれは、静なりの精一杯だったのかもしれない。


「だから、頼みがある」


 響が言った。


「この先、友人の一人として、静と接してやってくれないか?」


 零の胸が、どくんと鳴った。


「…さっき、電話で静さんと話しました…。これからも友人として、よろしくお願いしますって」


「そうか、なら良かった」


「……」


「どうした?」


「…橋の上で話した時、もう弟には関わるなって言ってたくせに…」


「……悪かった。あれは、君が静に遊ばれていると思ったから、そう言ったまでだ」


「……」


「悪かったと言っている」


「……」


 零は、目を閉じた。

 静の過去を知ってしまった。知らなかった頃には、もう戻れない。


「……ほんと」


 零は、小さく息を吐いた。涙のあとが残る声で、でも、ほんの少しだけ笑いをまぜて言った。


「不器用な人ですね」


 電話の向こうで、響がふっと笑ったのが分かった。


「ああ。妻によく言われる」


 そして、短く言った。


「話せてよかったよ、それじゃ」

 ぷつり、と通話が切れた。


 零はしばらくスマートフォンを耳に当てたまま、動かなかった。画面が暗くなって、自分のぼんやりした顔が、黒いガラスに映る。

 静かな部屋に、空調の音だけが残った。

 零はスマートフォンをそっとシーツの上に置いた。それから、ベッドに背中をあずけて、天井を見上げる。


(……静さん)


 心の中で、そっと名前を呼んだ。

 胸の痛みは、まだ消えていない。ふられた事実も、変わらない。それでも、さっきまでとは、何かが少しだけ違っていた。



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