↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/29

運命の起点

 ラーメン屋さんを出たあと、私と冬は改札を抜けて、帰りの電車に乗り込んだ。


「ラーメン屋でゆっくりしてたら、すっかり遅くなっちゃったね。車内もガラガラだ。どこか座ろうか」


 冬は誰もいない車内をぐるりと見回してから、私のほうを向いて言った。


「うん、ここでいいよ。降りるときも便利だし」


 さっきラーメン屋さんで少しうたた寝したばかりなのに、満腹になると眠くなるって、やっぱり本当らしい。

 席に座った途端、心地よい眠気が襲ってきた。おまけに、車内の空調はちょうどよくて、乗客もほとんどいない。ガタン、ゴトン、という規則正しい音と静けさが、いっそう眠気を誘う。


 私はそっと、隣に座る冬の肩に頭をもたせかけた。

 これは昔からの私の癖だ。冬と電車に乗るときは、眠くなるといつもこうして甘えてしまう。

 私は、冬の少し体温の高い、その肩が好きだった。


 電車のかすかな揺れに合わせて、体がゆらゆらと揺れる。

 周りは静まり返っていて、まるでこの世界に、私と冬の二人しかいないみたいだった。

 血の繋がらない、けれど誰よりも近い――そんな二人だけの世界を、ちょっとだけ想像してみる。


 ……案外、悪くない。


 意識がだんだん遠のいて、私はそのまま眠ってしまった。


 どれくらい経っただろう。

 目を覚ますと、まだ駅には着いていないようで、乗客は眠る前よりさらに減っていた。

 ただ、目が覚めた瞬間から、頭の横にずっしりとした重みを感じていた。何かが、そっと押しつけられているような感覚。


 横目で見ると――なんと、冬が自分の頭を、私の頭にもたせかけていた。

 私の身長は149センチで、冬は169センチ。私より20センチも高い冬は、きっと首を変な角度に曲げて、無理な体勢で寄りかかるしかなかったのだろう。


 冬の匂いが、ふわりと鼻先をかすめる。シャンプーと、ほんの少しだけ、さっきのラーメン屋さんの湯気の匂い。

 その髪が電車の揺れに合わせて、私の首元をくすぐった。


 ……神様、ありがとうございます。


 心の中でこっそりそう唱えて、私はこの時間を、全身全霊で味わうことにした。


 車内を見渡すと、残っているのはスマホをいじるサラリーマンと、ぼんやり窓の外を眺めているおじいさんの二人だけ。

 あの人たちの目に、私たち――生まれたときから「兄妹」の二人は、どんな関係に見えているのだろう?


 仲のいいクラスメイト?

 それとも、ただの仲良し兄妹?

 それとも――


 そんなことをあれこれ想像しているうちに、顔が勝手にニヤけてきて、耳まで熱くなっていくのが分かった。


 ――冬、大好きだよ。


 それから五分ほどして、電車は駅に着いた。私は名残惜しく思いながらも、隣の冬をそっと揺り起こした。


「お兄ちゃん、着いたよ。降りるよ」

「ん……」


 起きたばかりの冬は、眠そうに目をこすって、気だるげに伸びをした。それから私と一緒に立ち上がって、電車を降りた。


 駅から家までは、歩いて十分ほど。

 住宅街のまっすぐな道は、夜風が心地よくて、それほど苦にならない。どこかの家から、お風呂の湯気とせっけんの匂いが漂ってくる。


 私と冬は、並んで家路を歩いた。

 電車で眠ったおかげで二人ともすっかり目が冴えていて、他愛のないおしゃべりが弾む。


「ねえ、お兄ちゃんは、どうして私がお腹を空かせてるって分かったの?」


 ――そう、これはずっと気になっていたことだった。

 私は、表には出していなかった(はず)なのに。


 冬は少し考えてから、ふっと笑った。


「ん? テレパシーかな? 夏が何を考えてるか、なんとなく分かるんだよ」

「へぇ、お兄ちゃんには私の考えてることが分かっちゃうんだ? じゃあ、私がお兄ちゃんのことをどう思ってるかも分かる〜?」


 私たちは、自然と歩みを緩めた。


「うーん……夏はきっと……僕のことが、一番好きなんじゃないかな」


 そう言って、冬は笑いながら私の頭を優しく撫でた。答えを分かっていて言っているのは、明らかだった。


「へへ〜、お兄ちゃん、もしかして本当にテレパシー使えるの!?」


 私は嬉しさに任せて、冬に飛びついた。冬は不意を突かれてバランスを崩し、道沿いのブロック塀にもたれかかる。


「そうだよ! 私、ずっとお兄ちゃんが一番大好きだから!」


 私は冬を、さらに強く抱きしめた。

 形だけの「お兄ちゃん」という肩書を越えて、心の底から溶け込んでしまいそうなほど、強く。

 胸の奥で、甘い熱が弾けそうだった。


「お兄ちゃんは、私のこと好き?」


 冬を抱きしめた姿勢のまま、私は上を向いて尋ねた。自分の声が、少し震えているのに気づく。


「うん、好きだよ」


 冬が、まっすぐに答える。


「一番好き?」

「一番好きだよ」

「うへへ〜……」


 私は、あふれそうな感情を、ぐっと押し隠した。

 だって私たちは、戸籍の上では兄妹でも、血の繋がらない二人なのだから。

 少しずつ、一歩ずつ。冬の心を、本当の意味で占領していかなきゃいけない。


「もう遅いし、お父さんとお母さんが心配するから、そろそろ離れよっか!」


 そう言って、私は冬を抱きしめていた腕をほどき、何食わぬ顔で、再び肩を並べて歩き出した。

 街灯がぽつぽつと照らすだけの夜道だったけれど、冬が隣にいるだけで、私の世界はまばゆいほど満たされていた。


「夏」


 冬が私の名前を呼ぶと同時に、そっと肩を引き寄せた。車道側から、内側へ。

 背後から差したヘッドライトの光で、ようやく一台の車が通り過ぎていくことに気づく。


「僕が外側を歩くよ。そのほうが安全だしね」


 冬は、照れくさそうに笑った。


 ――ずるい。


 ようやく落ち着いてきたはずの心臓が、また激しく脈を打ち始める。

 冬はいつもそうだ。こんなふうに、血の繋がりなんて関係なく、ただ一人の女の子として、私を大切にしてくれる。


 独占したいとか、ゆっくり距離を縮めようとか、そんな冷静な計算は、一瞬で吹き飛んでしまった。

 私は理性を手放した。急に立ち止まって振り返ると、冬の襟元をぐっとつかんで、その顔を引き寄せる。


「え……っ、なに――!?」


 身長差があるから、思い切り背伸びをして――

 ほんの一瞬、唇を重ねた。


 もちろん、冬にはまったく予想できないことだった。

 そして、当の私にとっても予定外で、すべては衝動だった。


 すぐに身を離す。冬が呆然と固まっている隙に、私は早足で歩き出した。


「ふ、冬。私、もう十五歳なんだよ」


 恥ずかしさをごまかすための言い訳は、それしか思いつかなかった。


 残りの道のりは、ずっと冬の前を歩いて、一言も口をきかなかった。

 冬も、追いついてこない絶妙な距離を保ったまま、戸惑った様子で家までついてきた。

 二人分の足音だけが、静かな夜道に響いていた。


 家に着くと、リビングにいる両親に「ただいま」とだけ言って、そのままお風呂に直行した。上がったら、自分の部屋に駆け込む。

 部屋に入るなりベッドにダイブして、枕に顔をうずめて、ゴロゴロと転げ回った。


「私ってバカだぁ! 焦りすぎだよ、あんな大胆なことしちゃって……!」

「い、いや、でもさっき冬も『一番好き』って言ってくれたし、じゃあこれって両想いってこと……!?」

「何をバカなこと言ってるの! 私たち『兄妹』なんだよ!? 冬の『好き』は、家族としての好きに決まってるでしょ!?」

「でも、でも……!」


 私はベッドの上で一人、自問自答を繰り返した。

 やがて夜が更けて眠りに落ちるまで、その甘くて痛い堂々巡りから、抜け出せなかった。


 そして、きっとこの夜からだったのだろう。

 血の繋がらない家族という関係の歯車が、かすかな音を立てて、少しずつ狂い始めたのは。


 私たちはまだ、その甘い罠に気づいていなかった――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。