↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/29

花火の下、心に刻む瞬間

 物思いに沈みかけていた私を、冬がぐいっと現実に引き戻した。この人は、いつもこうだ。


「ここの夏祭り、特大の花火が一番の名物なんだって!」


 遠足を待ちきれない小学生みたいに、冬は目を輝かせている。


「あとで一緒に見に行こうよ!」


「花火かあ……いいね! すっごく楽しみ!」


 夏祭りといえば花火。やっぱり外せない定番だよね。頭の中の後ろ向きな考えを振り払って、私は力いっぱいうなずいた。


「そろそろ時間だね。見える場所を探そうか」


 冬は辺りを見回して、少し先を指さした。


「あそこの芝生はどうかな。見晴らしもいいし、空いっぱいの星が見えそうだよ」


 指の先を目で追う。芝生にはもう、たくさんの人がいた。はしゃいで走り回る子どもたち、レジャーシートを広げて話し込む大人たち。笑い声が夜風に乗って、ふわりふわりと流れてくる。うん、花火を見るには絶好の場所だ。


 空いているところを見つけて、冬と並んで腰を下ろす。その途端、一日中歩き回った疲れがどっと押し寄せてきた。


「んん……やっぱり、歩きっぱなしだと疲れるねえ」


 ふくらはぎをさすりながら、ふうっと息をつく。


「……明日にはもう、帰るんだね」


 冬は夜空を見上げたまま、ぽつりと言った。声は軽いのに、どこか考えごとをしているみたいだった。


「……そうだね」


 私も芝生に寝転んで、同じ空を見上げた。


 山の上だからか、空気が澄んでいる。満天の星は、手を伸ばせば摘めそうなほどくっきりしていて、眩しすぎて言葉が出てこなかった。草の匂いとひんやりした夜風が混ざって、そっと鼻先をくすぐっていく。


「ずっと考えてたんだ。この旅って、『正解』だったのかなって」


「『正解』……?」


「うん。いろんな場所を回ったし、いろんな服も着たけど……僕が知りたいのは、この急な旅で何を手に入れて、誰に出会えたのか、ってことなんだ」


「得たものと、出会ったもの……かあ」


 少し考えてから、私は指を折って数え始めた。


「いっぱいあるよ! いろんな人にも会えたし。おそば屋さんのおじいちゃんとおばあちゃんでしょ、あの謎めいた仲居(なかい)さんでしょ、あと浴衣屋さんの元気な店主さんも! みーんな、いい人だったよね!」


 それから、冬の手の甲にゆっくり自分の手を重ねた。夜風よりも、ずっとあたたかい。


「それにね。かけがえのない大事なものだって、ちゃんと手に入れたもん。……そうでしょ?」


『ご来場のみなさまにお知らせします。ご来場のみなさまにお知らせします。まもなく、花火の打ち上げです。あと十秒となりました。どうぞ、ご一緒にカウントダウンをお願いします――!』


 スピーカーの声が夜空を裂いて、芝生がいっせいにざわめいた。


「あっ、始まる! 冬、一緒にカウントダウンしよ!」


 はやる気持ちを抑えきれないまま、私は周りの人たちに混ざって数え始めた。


「十――」


「九――」


「……そうだね。何を得たかって言うなら、いちばん多くもらったのは、僕のほうだと思う」


 冬は数えていなかった。口の中でつぶやいた声は小さすぎて、みんなのカウントダウンにほとんどかき消されてしまう。


「五――!」


 あと五秒で、花火が咲く。私は空だけを見つめて、息をひそめた。


「あのさ、夏」


 不意に、冬が私を呼んだ。


「ん、なに?」


 数える口は止めたけれど、目は夜空に張りついたまま。わくわくしすぎて、冬がどんな顔をしているかなんて、まるで気づいていなかった。


「三――!」


「二――!」


「一――!」


 大人も子どもも、花火が咲く瞬間を待ちわびて声をそろえている。そして、その時が来た。


「……好きだよ」


 ドン。


 冬の声は小さかったのに、どんな花火の音よりもはっきりと、私の耳に届いた。


 次の瞬間、夜空にいくつもの花火が、つぼみがほころぶように開いた。色も形もそれぞれ違う光が、空まるごと一枚の絵みたいに染め上げていく。


 みんな顔を上げて、息をのむような景色に見入っている。カメラを構える人、心に刻むように黙って見上げる人、はしゃいで走り回る子どもたち。


 私は振り向かなかった。ううん、振り向けなかった。


 冬の手の甲に重ねていた私の手を、下から冬の手のひらがそっと受け止める。指と指が、ぎゅっと絡み合った。


 花火は十分ほど続いて、終わった。見届けた人たちが、三々五々(さんさんごご)帰り始める。芝生は、あっという間に半分以上が空になった。


「いい花火だったね。きっと一生忘れないと思う」


 冬は満足そうに息をつくと、空いているほうの手で大きく伸びをした。


「……うん。すごく、いい花火だった」


 花火は確かにきれいだった。生まれてから見たなかで、いちばん。


 でも、私の心はもう、別の気持ちでいっぱいだった。おかしくなりそうなくらい大きなものに埋め尽くされて、花火の余韻が入りこむすき間なんて、どこにもない。


 これ以上、ひと言もしゃべれない。口を開いたら、あふれそうなものが全部こぼれ落ちてしまいそうで。


 だって、あれは。ずっと焦がれていた……答えだったから。


 メインの花火が終わると、帰る人だけでなく、屋台も少しずつ店じまいを始めた。灯りがひとつ、またひとつと消えていく。祭りのにぎわいが潮が引くように遠のいて、私たちも旅館へ戻って休むことにした。


 まずは浴衣屋さんに寄って、浴衣を返し、元の服に着替えた。帰りぎわ、店主さんに呼び止められて、記念に一緒に写真を撮りましょうと誘われる。ぼんやりしたまま並んで立って、カメラに笑いかけた。別れぎわには、どうかお幸せに、とまで言ってもらえた。


 私の代わりに、房飾りの鈴がりん、と小さく鳴って返事をした。


 旅館への帰り道、私は自転車の後ろに座って、冬の服のすそを軽くつまんでいた。冬のこぎ方は穏やかで、カラカラと一定のリズムを刻む車輪の音が、夜風と一緒に耳もとを過ぎていく。しばらくすると、前方に旅館のあたたかな灯りが見えてきた。


 玄関の戸を開けると、案の定、仲居さんが正座して待っていた。


「おかえりなさいませ」


 軽く頭を下げた顔はいつもどおり落ち着き払っていて、まるで私たちの帰る時間をぴったり計算していたみたいだ。そのまま、部屋まで案内してくれた。


 部屋は畳敷きで、い草のほのかな香りがする。布団が二組、その間に座卓がひとつ。それぞれお風呂を済ませたあと、部屋でゆっくり過ごした。


 窓の外から、虫の声が細く聞こえてくる。部屋のなかでは、誰もしゃべらない。ただ、つないだ手だけが、ずっと離れなかった。


 見えない糸が、あるみたいだった。気づかないうちに、少しずつ紡がれてきた、運命という名の糸。それが私の指先から、冬の指先まで、ひとすじに結ばれている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。