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打ち明ける夜

「足湯って、こんなに気持ちいいんだねぇ〜!」


 足湯を出てからというもの、私の気分はなぜかずっと高ぶっていて、体じゅうがそわそわして落ち着かなかった。たぶん、足湯でのぼせたせいだと思う。


 冬が支えてくれなかったら、足湯から部屋までどうやって戻ってきたのかも分からなかったんじゃないかな。それにしても、足だけでこんなにのぼせるなんて、いくらなんでも湯あたりしすぎだよね、私〜! えへへ、天井、ぐるぐる回ってない〜?


 ふかふかのベッドに大の字で寝転がって、天井にぶら下がった暖色のライトをぼんやり見つめる。それが私の鼓動に合わせてゆらゆら揺れているように見えて、思わず「ふふっ」と笑い声がこぼれた。


「うーん……まあ、何にしても……夏が今日の旅行を気に入ってくれて、本当によかったよ」


 声のするほうへ目を向けると、冬はベッドには座っておらず、窓辺にもたれて景色を眺めていた。冬もほんのりのぼせているのか、どこかぼんやりした表情をしている。


 でも、もしかしたら今が絶好のチャンスなのかもしれない。


 私はゆっくり体を起こして、バッグの中から、ハンカチに包んだガラスの小鳥たちを取り出した。ハンカチを開くと、二羽の小鳥が、手のひらの上でおとなしく寄り添っている。青いマフラーの子と、ピンクのマフラーの子。明かりの下で、どちらもほんのり光っていた。


 ――そう、今だ。ここしかない。


 気持ちが高ぶっていて、勇気を出せる、今のうちに。


 私は青いマフラーの子だけをポケットにしまい、ピンクのマフラーの子は、枕元のテーブルにそっと置いた。それから、すうっと深く息を吸い込む。


「ねえ、お兄ちゃ……冬。今夜は月が綺麗ですね。よかったら……一緒にバルコニー、行かない?」


 今日、商店街で冬に言われたことをふと思い出して、呼び方を言い直した。


 勢いに任せてもなお、やっぱり恥ずかしい。普段当たり前にしていたことを変えるって、こんなにもむずがゆいものなんだ。頬がまた、言うことをきかずに熱くなってきた。


「外……? うん、いいよ……」


 冬は、ぽかんとした顔でこちらを見ていた。私の言葉の意味を考えているのかもしれない。やがて窓辺から離れると、バルコニーの窓を開けた。


 扉を開けた瞬間、ひんやりした風がさあっと吹き込んでくる。今日ずっと嗅いでいた花や草の香りと、山ならではの空気のにおい。おかげで、頭がちょっとだけはっきりした。


 私は冬のあとについて、ホテルのスリッパを履いてバルコニーに出た。


 部屋に入ったときから、バルコニーから景色が楽しめそうだなとは思っていたけれど、そのときはちゃんと見ていなかった。今になってようやく気づいたけれど、バルコニーは思っていたよりずっと広い。


 まず目に飛び込んできたのは、白いペンキで塗られた二脚のデッキチェア。そのうちの一つは、もう冬に占領されていた。気持ちよさそうに「ごろごろ」と喉でも鳴らしそうな顔をしている。まるで子猫みたいだ。


 二つのデッキチェアのあいだには、大きなパラソルが立てられていた。二人まとめて強い日差しから隠してくれそうな大きさだ。ただ、今は夜だから出番はないし、そればかりか、その巨大な傘面がちょうど私たちの頭上に覆いかぶさって、夜空の半分を隠してしまっている。月も、ほんの端っこがのぞいているだけだ。


 そういえば、足湯のときはまだ月が出ていなかった。いつの間にか、東の稜線から、まん丸に近い月がのぼってきている。


 これはダメだ。お月見をするのに、邪魔なものがあっていいわけがない。


 でも、こんな大きなパラソルの畳み方なんて、私は知らない。……仕方ない、ネットで調べてみよう。


 スマホを取り出して、「ビーチパラソル」「畳み方」と入力すると、いくつか方法が出てきた。まず、パラソルの支柱を見上げると、案の定ボタンがひとつ見つかる。それから、片手で傘をちょっと上へ押し上げて、もう片方の手でボタンをぐっと押し込んで、そのまま下へ引っ張って……。


「手伝おうか?」


 デッキチェアの上から、冬がのんびりと声をかけてくる。


「だいじょーぶ! これくらい、私ひとりでやれるもん!」


 そこから、指を挟みそうになること三回。傘の骨に頭をぶつけること二回。そして、ようやく――


「よしっ! やればできるじゃん!」


 目の前でちゃんと畳まれたパラソルを見て、私はちょっと得意になった。おかげで、まだ少し残っていたふわふわも、すっかりどこかへ飛んでいってしまう。


 傘面の覆いがなくなって、夜空がさえぎるものなく目の前いっぱいに広がった。月明かりが、やわらかく降りそそいでいる。


「夏、すごいね」


 冬ののぼせもさめてきたようだった。夜風が、ちょうどいい具合に体の熱をさらっていく。


「えへへ、そんなことないよ。ネットのやり方を真似しただけだし」


 にへらと笑いながら、もう一つのデッキチェアに腰を下ろした。冬は何も言わず、視線を果てしない夜空と、澄んだ月に戻す。


「あ、ああ……そうだね。今日の月は、本当に綺麗だね」


 冬は目を細めて、ふっと力を抜いた。じっとあの明るい月を眺めているようでもあり、もっと深くて、もっと遠くにある何かを見ているようでもあった。


 その言葉を聞いた瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。


 ダメだよ、夏。そんなふうに期待しちゃ。冬は、私がさっき言ったことに合わせてくれただけ。それ以上の意味なんてないんだから。


「あ、あの……冬」


 覚悟を決めた。長い年月のあいだ積もり積もった想いも、一瞬たりとも消えなかった恋しさも、ぜんぶ余すことなく、冬に伝えるんだ。


「うん」


 待ちかねていたみたいに、冬はあの笑顔を向けてくれた。私の心を揺らす、いつだってすべてを受け入れてくれる笑顔。冬が夏にだけ繰り出せる、必殺技みたいな笑顔だ。


「ねえ、夏。『真実か挑戦か』ってゲーム、しようよ」


 思いがけない言葉が、耳に飛び込んできた。頭の中で何度もリハーサルしてきたセリフが、その一言で、一瞬にして吹き飛んでしまう。


「え?」


 まったく予想していなかった言葉に、私はぎこちなく返すことしかできなかった。


「ルールは簡単。順番に相手へ質問をするんだ。質問する側は、相手に心の奥にある秘密をひとつ話してもらうか、何かひとつ挑戦してもらうか、選べることにしよう。もちろん、質問も挑戦も、常識の範囲内でね。どうかな?」


 冬が、ルールを説明してくれた。特に問題はなさそうだったので、私はためらうことなく頷く。


「それと、相手が嘘をついてるかどうかは、僕たちには判断できないよね。心を読めるわけじゃないんだから。だから、二人とも絶対に嘘をつかないって約束しよう」


 そう言って、冬は私に小指を差し出した。指切りをしよう、ということらしい。私も、自分の小指を伸ばす。


 指と指が絡まった。お互いの体温が相手に伝わって、それが、私たちの誓いが成立した証になる。


「嘘ついたら針千本、飲ーます! ……それじゃあ夏、夏の本音を聞かせて。なんでもいいから」


 私が先に聞かれるんだ。


 本音……か。冬はたぶん、私が何を言うか分かってるんじゃないかな。だって、こうして突然連れ出された理由なんて、きっとそれしかないもん。


「私……ずっと、冬のことが好きなの。深く深く愛してて、もう自分でもどうにもできないの。ねえ、冬、大好きだよ。世界中の誰よりも」


 これが、全力で考え抜いたあとにこぼれた、最初の本音。嘘偽りのない、私の本当の気持ちだった。


「うん、知ってるよ。夏が僕のこと好きでいてくれてるの、知ってる」


 冬が、私の言う本音を分かっていたのと同じように、私も、冬が何て返すのか分かっていた。


「……ううん、違うよ。冬は知らない」


 私は冬を見つめた。その瞳を、まっすぐに。冬も、私の次の言葉を静かに待っている。


「冬は、私の想いがどれだけ深いか、まったく分かってないよ。ねえ、冬、私が日記をつけてるの、知ってた? 冬への気持ちを全部ノートに書いてること、知ってた? そのノート、今もずっと書き続けてるんだよ? 小学生の頃から一度もやめたことなくて、ノートはもう数えきれないくらいたまってるの」


 堰を切ったように、私は、自分のちょっと重たすぎる想いを、抑えられないまま語りはじめていた。


 冬は話をさえぎらずに、ただ静かに聞いてくれている。何かを驚かせてしまうのを怖がるみたいに。夜風の中で、自分の声がかすかに震えているのが分かった。


「こっそり撮った冬の寝顔、スマホの待ち受けにしてるのも知ってた? だって、そうしておけば、朝起きてすぐに、世界でいちばん好きな人の顔が見られるでしょ。アルバムなんて、冬の写真だけで二千枚以上あるんだよ」


 私は、まだ話し続けていた。


「こういうこと、まだまだいっぱいあるんだよ? でも冬は、ぜんぜん知らないよね。私、冬が欲しいの。冬さえいてくれればそれでいい。ほかのものは、ぜんぶ捨てたっていい」


 ひと息ついてから、顔を上げて冬を見る。


「冬、今度は私が質問する番だよね。冬は、私のこと、どう思ってる? 冬にとって私は、今もあの公園で悪いドラゴンに連れ去られそうになってた、お姫様――小さな女の子のままなの?」


「僕にとって、夏はとても大切な人で、ちゃんと守らなきゃいけない人だよ」


 そう言ったあと、冬は少し間を置いた。どう答えようか考えているみたいだった。しばらくして、冬は続ける。


「僕は……少し前まで、夏はまだ僕の後ろにいなきゃいけない、小さな女の子なんだって思ってた。でも、最近になって、夏が行動で教えてくれたんだ。『夏』はもう大きくなったんだ、あの公園のお姫様じゃないんだ、って」


 冬はそこで、一度言葉を切った。それから、少し照れくさそうに目をそらして、付け加える。


「それとね、あの日の約束……本当は、嬉しかったんだ。でも同時に、怖かった。僕たちは兄妹だから。まだ小さい夏の言葉に、ちゃんと答えちゃいけない気がして、あんな中途半端な返事しかできなかった」


 今度こそ言い終えたのか、冬は口を閉じて、私の返事を待っているようだった。


「冬は、私のこと、好き?」


「もちろん好きだよ。僕は、夏が好きだ」


 それは、いつか街の中で、私が冬にした質問だった。他の人から見れば、ごくありふれた質問。でも、今の私たちにとって、その質問は、前とは違う意味を持っていた。


 同じ言葉なのに、月明かりの下では、まるで違う重さで響く。


 ……でも、その「好き」が、妹としてなのか、ひとりの女の子としてなのか。それを確かめる勇気は、まだ私にはなかった。


「冬」


 私が小さく呼びかけると、


「どうしたの?」


 冬も、小さく返してくれた。


「ゲーム、続けてもいい? もうひとつ、冬に挑戦してほしいことがあるの」


 断られないって分かっている。だって、冬なんだから。


「うん、どんな挑戦?」


 目の前の男の子は、思ったとおり、私にそう聞いてきた。


「冬、これ、受け取ってくれる?」


 ポケットから、青いマフラーを巻いたガラスの小鳥を、そっと両手で取り出す。


「これは……」


 冬は目の前の小さなガラスの小鳥を見つめて、戸惑ったように聞いた。


「今日行ったおそば屋さんの、おじいさんとおばあさんの、愛の証なんだって。二人が、私に『運命の糸みたいなものを感じる』って言って、この宝物を託してくれたの。だから私……これを、冬に持っていてほしいの」


 私は、彼に説明した。


 私、告白してるのかな? これって告白なのかな? 愛の証を好きな人に渡すんだから、やっぱり告白で合ってるよね?


 私が頭の中で一人会議を繰り広げているうちに、冬は青いマフラーの小鳥を受け取って、じっと眺めた。


「かわいいね」


 冬は小鳥を両手でそっと包み込んで、笑いながら言った。


「うん、大切に受け取るね」


「そっか。よかった……」


 受け取ってくれたことに感謝しながら、ほっと胸をなで下ろしていると、冬がふいに口を開いた。


「夏は、もう何回も僕に聞いたよね。僕からも、挑戦をひとつ出していいかな?」


「挑戦……うん、もちろんいいよ」


 それにしても、冬は私に、どんな挑戦をさせる気なんだろう? 冬の性格からして、私にとって困るようなことじゃないのは確かだけど。


「夏、目を閉じてくれる?」


 冬が、急にそう言った。少し戸惑ったけれど、私は言われたとおり、おとなしく目を閉じる。


 暗闇の中で、夜風が梢を揺らすさわさわという音と、遠くから聞こえる名前の分からない虫の声が耳に届いた。それから、どれだけ抑えようとしても、どんどん大きくなっていく、自分の心臓の音。


 冬の気配が、少しだけ近づいたような気がした。


 え、えっと……冬は、いったい何を……?


「ちゅっ」


 そのとき、おでこに、何かやわらかいものがふれた。


 ――そこは、あの公園で、コツンと小突かれたのと同じ場所だった。


 私は目を開けた。すると、ちょうど冬と目が合う。顔と顔の距離が近くて、鼻先がほとんどくっついていた。お互いの息が、肌に感じられるほどだった。


 え? ということは、冬が今したのは……?


「えええええええぇぇぇ!??」


 私の顔は、あっという間に熟れたりんごみたいに真っ赤になった。慌てて冬を見ると、冬はただにっこり笑って、私に言った。


「少し冷えてきたね。そろそろ部屋に戻ろう」


 そう言うと、冬はさっさと先に部屋へ入ってしまう。


 私はしばらく呆然としてから、慌てて後を追った。部屋に入ると、冬はちょうど、枕元のテーブルに青い小鳥をそっと置いたところだった。ピンクのマフラーの子の隣に、二羽が仲よく並んでいる。


「わあああっ! 冬、今の……!」


 部屋に入ってからずっと、私は極度の興奮状態だった。だって、冬が、さっき!!


「ん? 僕、何かした?」


 冬は、とぼけるみたいにベッドに寝転がっていて、まるで何もなかったかのようだった。だから私は、迷わず冬のベッドに飛びついた。


 冬は「うっ」と声を漏らしたけれど、そのあとは、私が抱きついたままでいるのを、されるがままにしてくれた。


「冬」


「どうしたの?」


「私の名前、呼んで」


「夏」


「もう一回」


「夏」


「冬、私、今ね……すっごく幸せ。ほんとに、ほんとに、幸せなの」


 きっと、泣いてしまっていると思う。だって、声が震えているから。


 冬は何も言わずに、ただ私の頭をなでて、なだめてくれた。


 その手のぬくもりは、足湯のお湯とは違って、もっとゆっくりと、もっと深く、心の底まで染みこんでくるような温かさだった。服越しに伝わる冬の鼓動が、とく、とく、と、いつの間にか私のリズムと重なっていく。


 私はだんだん、冬の腕の中で眠りに落ちていった。


 テーブルの上に並んだ二羽のガラスの小鳥みたいに、静かに、大好きな人に寄り添って。


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