ホテル・奢華・兄妹!!
電車を降りて駅を出ると、目の前はバス停だった。
高山のひんやりした風がとても心地よくて、麓のむわっとした暑さとは、まるで別世界だ。
「やっと着いたぁ〜」
今日のぎっしり詰まった予定を思い返す。すごく充実していたけれど、どっと押し寄せてきた疲れに、思わずため息がこぼれた。
「とりあえず先にホテルにチェックインしようか。夏も疲れたでしょ?」
冬が私の顔を見ながら、そう提案してくれる。
「さんせーい!」
ホテルと聞いて元気を取り戻した私は、勢いよく返事をした。けれど、そこでふと、恐ろしい問題に思い当たる。
「まさか……ホテルまで歩いて行くの……?」
このうえ徒歩でホテルまで、なんて、考えただけで体にのしかかる疲れが何割か重くなった気がした。そんな私の様子に気づいて、冬が慌てて口を挟む。
「そんなわけないよ! あ、噂をすれば、来たよ」
冬が、山道のほうを指さした。その視線を追うと、一台の送迎バスが走ってくるのが見える。
「あれに乗ってホテルまで行くんだよ」
青い送迎バスは、私の目にはまるで救世主みたいに映った。両手をぎゅっと組んで、この上なく敬虔に祈りを捧げる。心の中では、涙まで漫画のシスターみたいにはらはらとこぼれ落ちていた。
バスがだんだん近づいてくるにつれて、私の背中にも翼が生えて、そのまま昇天――
「バス来たよ、乗ろう」
冬にこつんと軽く頭を叩かれて、私は「うっ」と声を漏らして我に返った。
ほどなくして、送迎バスが私たちの目の前に静かに停まる。私は冬のあとについて乗り込んだ。
同じようにバスを待っていた旅行客がたくさんいて、車内はほぼ満席だった。私は後ろのほうの窓際に座って、冬はその隣に腰を下ろす。
冬はスマホの時計をちらりと見た。
「もうすぐ着くはずだよ。ちょっとホテルで休んでから、中のレストランでご飯にしようか」
五分ほど経った頃、送迎バスがゆっくりと停まった。
プシューッと音を立てて、ドアが開く。冬の後ろについてステップを降りた私は、ちょっと伸びでもしようかなと軽い気持ちで顔を上げて――目の前にそびえる建物を見た瞬間、固まってしまった。
伸ばしかけた腕が、そのまま宙で止まっている。
それは、ものすごく大きなホテルだった。
外壁はアイボリーに塗られていて、焦げ茶色の木の軒と、太くてがっしりした丸太の梁や柱がよく映えている。建物全体が山の斜面に沿って、一段、また一段と積み重なるように建っていた。きらきらと輝くその姿は、まるで贅沢の象徴みたいなお城だ。
ロビーの入口の前には丸い池があって、中央の石彫りの噴水が水しぶきを上げている。石畳の道の両脇には、オレンジ色の灯籠がずらりと立ち並んでいた。
きれいに刈り込まれた松が何本も植えられていて、空気にまで、ほんのりヒノキの香りが混じっている。
濃い色の制服を着たスタッフの男性が、すでに入口の脇に立っていた。人が近づくと軽く腰を折って、穏やかな声で言う。
「いらっしゃいませ」
私は無意識にバッグをぎゅっと抱きしめて、声をひそめ、冬の耳元に顔を寄せた。
「お、お兄ちゃん……ここ、めちゃくちゃ高そうなんだけど……私たち、場所間違えてない……?」
冬も全然余裕なんてなかったようで、緊張した面持ちで答える。
「予約のときは、写真を見て『ここしかない』って思い切ったんだけど……実物は、想像の何倍もすごいね。どうりで、貯めてたお金がごっそり消えたわけだよ……」
それから、冬は口調を切り替えて、私のほうを向いた。
「でも、今回の旅行、父さんと母さんがけっこうお金を持たせてくれたから……安心して泊まっても大丈夫……だと思う、たぶん」
なるほど。
私は心の中で両手を合わせて、今ごろ会社で働いているお父さんとお母さんに、深く深く感謝した。
お父さん、お母さんの大恩、夏は一生忘れません……!
「だから、あんまり気にしないで、思いっきり楽しもう」
冬は、腹をくくったようにそう言った。
ロビーに足を踏み入れた瞬間、私はまた言葉を失った。
果てが見えないほど高い吹き抜けの天井から、巨大なシャンデリアが吊り下がっている。数えきれないほどのクリスタルが、灯りを受けて細かな光をちらちらと散らしていた。床は磨き上げられた明るい色の大理石で、豪華なのに、不思議とけばけばしさはない。
それにしても、この床はあまりにもぴかぴかで、自分の靴の裏で汚してしまいそうで怖いくらいだった。
ロビーの正面は、床から天井まで続く一面の大きな窓になっていて、外の景色が見渡せる。連なる山々は夕日に染められて、暖かなオレンジ色に輝いていた。その向こうの果てには、雲がいくつかぽっかりと浮かんでいる。
窓の前には、濃い青色のソファとローテーブルのセットがいくつか置かれていた。テーブルには真っ白な生花が活けられていて、眺めているだけで気持ちが和らぐ。
私は冬についてフロントへ行き、チェックインの手続きをした。受付のお姉さんは笑顔がとても素敵で、しっかり接客の訓練を受けているのが、ひと目で分かった。
私も冬も「こういうホテルにはしょっちゅう泊まってますけど?」みたいな涼しい顔をしていたけれど、実は二人とも、手がぷるぷる震えていた。
これはもう、不可抗力だと思う。
*
スタッフの方に案内されて、エレベーターで上の階へ上がった。大きな荷物は、部屋の前まで運んでもらう。私は小鳥の入ったバッグだけ、自分で抱えたままだ。
部屋は想像していたよりずっと広くて、壁一面が大きなガラス窓になっていた。窓の外にはバルコニーがあって、椅子とテーブルが置かれている。座って景色を眺められるようになっているらしい。
あとで冬とここに座って、お茶を飲みながら、二人きりの時間を過ごす――そんな光景を思い描いて、私は「えへへ」とだらしない笑いを漏らした。
遠くでは、夕日がゆっくりと沈んでいく。山のふもとに、ぽつぽつと明かりが灯りはじめていた。きっとあれは、一軒一軒の家の明かりなのだろう。
視線を部屋の中に戻すと、ベッドが二つ並んでいた。
どちらもダブルサイズで、雪のように真っ白なシーツが敷かれている。掛け布団は、雲みたいにふかふかだった。我慢できなくなった私は、バッグをぽいっと放り出してベッドに飛び込み、ごろごろと二回転する。
「ふかふか……いい匂い……きもちいい……」
枕に顔をうずめると、猫みたいな声が出てしまった。
冬も、もう一つのベッドに腰かけて、そのやわらかさをじっくり確かめている。
「こんな寝心地のベッド……いくらするんだろう……」
そう呟いた冬も、やがて体をベッドに預けた。
しばらくそのままごろごろしていたけれど、ふいに、耳元で「ちりん」と小さな音が鳴った。冬が結んでくれた、あの白い房飾りだ。
身を起こして、枕元の鏡越しにそれを見つめる。すると、心臓がまた言うことをきかずに、どきどきと跳ねはじめた。
そっと房飾りに触れて、それから、ベッドの脇に置いたバッグに目をやる。ハンカチに包んだガラスの小鳥たちは、まだ中で、ひっそりと静かに眠っていた。
「まだ、その時じゃないからね」
冬には聞こえないくらいの小さな声で、小鳥たちにそう話しかける。それから、何かをごまかすみたいに、また枕に顔をうずめた。
あまりにも気持ちよすぎて、私たちは、そのまま眠ってしまった。




