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第3話:崩れた城壁と、至高の回復魔気

アレンが壱ノ型『穿うがち』で天才暗殺者を粉砕した、その日の深夜。

王城の敷地内にある、普段は誰も近づかない第5王子の離宮の一室で、セリアはベッドに横たわっていた。

「がはっ……、は……っ……」

口の端から溢れる血を拭うこともできず、セリアはただ天井を見つめていた。

全身の骨は砕け、何より致命的なのは、アレンの一撃によって体内の魔力回路がズタズタに引き裂かれていることだった。この世界の常識で言えば、骨折などの重傷を治すには『上級回復魔法』が必要であり、魔力回路の修復ともなれば、部位欠損をも治す『超級回復魔法』の使い手を連れてくるか、国家機密レベルの聖遺物を使うしかない。

死を待つだけのセリア。しかし、ベッドの傍らに立つ七歳のアレンの顔に、焦りは微塵もなかった。

「おい、セリア。お前がここで死んだら、明日からの俺のサンドバッグがなくなるだろ。勝手に死ぬなよ。面倒くさい」

アレンはいつものひねくれた口調で言うと、おもちゃのように小さな白く細い手を、セリアの胸元にかざした。

(前世の気功には、細胞の活性化を促し、自己治癒力を爆発的に高める『発勁』の応用があった。これを、俺の体内にあるこの異次元の魔力と融合させ、針の穴を通すような精密さで流し込む――)

アレンの手のひらから、パチパチと音を立てて柔らかな薄紫色の魔気が放たれ、セリアの身体へと吸い込まれていく。

その瞬間、セリアは目を見開いた。

「――っ!?」

熱い。だが、不快な熱さではない。海のように深く、温かいエネルギーが、壊れた彼女の肉体を内側から優しく、しかし強引に創り変えていく。

砕けた肋骨がミリ単位で噛み合い、一瞬で結合していく。それだけではない。完全に断裂していたはずの魔力回路が、まるで生き物のように蠢き、元の形以上に強固に繋がり直していくのだ。

(な、にこれ……!? 詠唱もない……魔法陣も出ない……。触れているだけで、私の致命傷が消えていく……!?)

セリアの知る『超級回復魔法』ですら、これほどの速度で魔力回路を修復することは不可能だ。「死んでいなければどんな傷でも治す」と言われる、世界に数人しか扱えない『帝級回復魔法』――あるいはそれ以上の術理が、今、目の前の七歳の子供の手によって、息を吸うように行使されている。

「ふぅ……。よし、こんなもんだろ。お前の元々の魔力回路、少し細くて効率が悪かったからな。ついでに俺の魔気を通しやすいように、太く補強しておいてやったぞ」

アレンが手を離すと、セリアはガバッと跳ね起きた。

信じられないことに、あれほどの激痛と瀕死の重傷が、ものの数分で完全に消え去っていた。全身に満ち溢れる魔力は、暗殺者としての全盛期をも凌駕している。

セリアはベッドから転がるように床に跪き、アレンの小さな足元に深くこうべを垂れた。

「……信じられません。あなたは、神か、それとも……。このセリアの命も力も、すべてはアレン様のもの。どのような理不尽な命令であっても、命に代えて遂行いたします」

「理不尽な命令なんてしないさ。さっきも言ったろ、お前は俺の修練の相手サンドバッグだ。……それより、腹が減ったな。何か作れ」

「はっ……! 厨房をお借りいたしますわ、我が主!」

セリアは弾かれたように立ち上がり、慣れない手付きで離宮の厨房へと向かった。暗殺しか知らなかった彼女が、生まれて初めて「他人のため」に作ったのは、簡素な温スープだった。

アレンは無言でスプーンを取り、スープを口に運ぶ。

セリアは内心、暗殺の瞬間以上に緊張して主人の顔色を窺った。

「……ふん。出汁の取り方が甘いし、塩気も足りん。だが、前世――いや、昔食った不味い飯に比べれば、食えないこともない。不合格ではないな」

「恐れ入ります。アレン様の口に合うよう、日々精進いたしますわ」

セリアの口元に、生まれて初めての柔らかな微笑みが浮かんだ。冷徹でひねくれ者の主人。だが、その圧倒的な力と、どこか不器用な身内への甘さに、彼女の魂は完全に救われていた。

翌朝。ルミナス王城は、文字通りひっくり返ったような大騒ぎになっていた。

「何があったのだ! 説明しろ!」

普段は穏やかな国王が、冷徹な覇気を放ちながら声を荒らげる。

彼らが立っているのは、アレンの離宮から少し離れた、王城の外周を囲む頑丈な石壁の前だった。

そこには、大人が十人並んでも通れるほどの巨大な穴が、三枚の壁を一直線にぶち抜く形で穿たれていた。

「は、はっ! 昨夜未明、何者かによる大規模な一撃によって、外壁が三枚同時に破壊されました! 幸い、死傷者は出ておりませんが……」

近衛騎士団長が冷や汗を流しながら報告する。

現場に集まった王族たちも、それぞれ怪訝な表情を浮かべていた。

「フン……。これほどの破壊痕、大剣による魔剣術の『上級技』か、あるいは超級魔法クラスの直撃だな。王城の結界を潜り抜けてこれほどの工作を行うとは、なかなかの骨がある奴だ。戦争の予兆なら、俺が真っ先に首を獲りに行ってやるがね」

女と戦争を愛する屈強な第1王子が、腰の魔剣に手をかけながら好戦的に笑う。

「第一王子殿下、不謹慎ですよ。王城の警備が破られたのです。これは我がルミナス王国に対する、不届きな反逆者どもによる『計画的なテロ工作』と見て間違いないでしょう。早急に犯人を炙り出さねば」

そう言って冷酷な目を光らせたのは、第二王妃の息子である第2王子エリックだった。

知略に優れるエリックは、チラリとアレンの離宮の方角を見やる。

(昨夜、私が放った暗殺者セリアの連絡が途絶えた。まさか、セリアがテロ組織の襲撃に巻き込まれて相打ちにでもなったか……? いや、まさかな……)

エリックの鋭い頭脳をもってしても、まさか「魔剣術もダメ、初級魔法すら使えない無能」と蔑まれている7歳のアレンが、セリアをワンパンで吹き飛ばし、その衝撃で城壁が壊れたなどという荒唐無稽な事実にたどり着くはずもなかった。

「う、うむ! エリック兄上の言う通りだ! 卑劣なテロリストどもめ、僕が魔法で黒焦げにしてやりますよ!」

第2王子に胡麻をすりながら、せこく声を張り上げる第3王子。

「みんな、落ち着いて。父上、まずは城内の全人員の安否確認と、結界の再構築を急ぐべきです」

「魔法の神童」と呼ばれる第4王子ルークだけが、冷静に国王へと進言していた。

その大騒ぎの輪のいちばん後ろで、アレンは大きな欠伸あくびを噛み殺しながら、退屈そうに空を眺めていた。

当然ながら、「魔法も剣も使えない落ちこぼれの第5王子」が犯人である可能性など、現場にいる誰一人として、一ミリたりとも疑っていなかった。容疑者リストの端にすら、アレンの名前はない。

(ククク……テロリストの仕業、か。好都合極まりないな)

アレンは心の中で、ひねくれた不敵な笑みを浮かべる。

周囲が勝手に勘違いして、見えない敵に怯えてくれているお陰で、俺の「無能」という最高の盾はさらに強固になった。

離宮へ戻る道すがら、影のように背後に従うセリアが、誰にも聞こえない微小な声で囁いてきた。

「見事なカモフラージュになりましたね、アレン様。愚かな者たちは、真の脅威がすぐ目の前にいることすら気づいていない」

「ああ。エリックの野郎の青い顔、傑作だったな。……さて、邪魔なネズミの心配もなくなったことだ。セリア、部屋に戻ったらさっそく朝の組手を始めるぞ。次は二発、耐えてみせろよ?」

「ええ、喜んで。我が絶対の主よ」

王宮全体が「見えないテロリスト」の影に踊らされる中、世界で最も危険な七歳児と、彼を狂信する美しきメイドの、誰にも知られない最強の日常が、ここに始まった。

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