第4話:野生の凶獣と、不敵なる主従
「テロリスト」の襲撃という都合のいい勘違いによって、王城の外壁破壊事件が処理されてから一週間が経った。
アレンの離宮の裏庭では、相変わらず早朝からの組手が行われていた。
シュッ、シュッ、と鋭い風切り音を立て、セリアの短剣がアレンの死角から連続で突き出される。その速度と身のこなしは、一週間前とは比べ物にならないほど鋭敏になっていた。
アレンの『回復魔気』によって一度魔力回路を破壊され、より太く強固に再構築されたセリア。彼女はアレンの魔気を至近距離で浴び続けることで、その身体能力と魔力運用を驚異的な速度で向上させていた。
「ハァッ……!」
セリアの闇属性を纏わせた鋭い回し蹴り。アレンはそれを、一歩も動かずに左手の掌だけで「パシィン」と軽快に受け止めた。
「うん、悪くない。前の一撃で吹き飛んだ時よりは、魔力の密度が上がっているな。合格点をやってもいい」
「ありがたき幸せ、アレン様。ですが……まだまだ、あなたの足元にすら及びませんわ」
セリアはメイド服の裾を整え、心の底からの歓喜を瞳に宿して一礼した。
彼女にとって、この世界最強のひねくれ王子のサンドバッグを務めることこそが、今や至高の幸福となっていた。
だが、その奇妙で充実した主従の時間を破るように、裏庭の入り口からドサドサと乱暴な足音が近づいてきた。
「おいおいおい。テロリストに怯えて引きこもっているかと思えば、随分と楽しそうに庭いじりをしてるじゃねえか、アレン」
現れたのは、身の丈二メートル近い筋骨隆々の大男だった。
赤い髪を野性的に逆立て、肩には大剣を背負っている。男の名はレオン・フォン・ルミナス。ルミナス王国の第一王子であり、戦争と女を何よりも愛する、王国内でも屈指の『魔剣術』の使い手だ。
この世界において、一国を滅ぼす天災とされる『Sランク』の戦力は、各国に一人か二人いるかどうかの伝説的存在。それに次ぐ、都市壊滅級の『Aランク』に数えられる猛者も、我がルミナス王国においてわずか十数名しか存在しない。
第一王子レオンは、国王である父と並び、その数少ない国家最高峰の席に座る本物の怪物だった。
基本的には他人に興味がなく、戦場に赴くか女を口説くかしかしない筋肉バカ。それがアレンの持つレオンへの評価だった。
「何の用だ、第一王子(筋肉バカ)。ここは落ちこぼれの離宮だ。お前の好む上等な女も、斬り合いの相手もいないぞ」
アレンはいつものひねくれた態度で、冷淡に言い放つ。
普通の貴族や兵士であれば、国内最高峰の猛者が放つ独特の威圧感に気圧されるところだが、アレンの瞳には微塵の動揺もない。
レオンはフンと鼻を鳴らし、ギラギラとした肉食獣のような瞳でアレンを見下ろした。
「相変わらず可愛げのないクソガキだ。あの城壁の一件以来、どうにも背中が痒くてな。俺の野生の勘が言ってるんだよ。あの『テロリストの一撃』の起点……どう考えても、お前のこのボロい離宮の近くだったってな」
レオンは一歩、アレンへ足を進める。その瞬間、彼の身体からドッと重苦しい魔力の威圧が放たれた。精鋭であるBランクの騎士ですら冷や汗を流すほどの強烈なプレッシャー。
だが、アレンは眉一つ動かさない。
レオンの目が僅かに細められた。アレンを見る目を少しだけ変えた直後、その視線が、アレンの後ろに控えるセリアへと移った。
「……ん? おいおい、見ねえ顔だな。その銀髪のメイド、どこで拾い直した? 凄まじくいい女じゃねえか。胸の形も俺好みだ。落ちこぼれのお前には勿体ねえ、俺の宮に引き取ってやってもいいぜ?」
レオンがニヤリと下品に笑い、セリアの細い肩へ手を伸ばそうとした。
セリアの瞳が、一瞬で凍りつくような冷徹な暗殺者のそれへと変わる。懐の短剣へ手をかけようとした、その瞬間――。
「――おい。俺のサンドバッグ(身内)に気安く触るなと言ったはずだ、筋肉バカ」
地を這うような、底冷えする声が響いた。
次の瞬間、レオンの伸ばした太い腕が、ピタリと空中で静止した。
その手首を、おもちゃのように小さなアレンの右手が、ガシィッと完璧に掴んで固定していた。
「あ……?」
レオンの顔から余裕の笑みが消えた。
掴まれた手首から、ミリミリと骨が軋むような異常な圧力が伝わってくる。レオンは無意識に魔力を練り上げ、自慢の魔剣術の基本である『魔力による身体強化』を全力で発動した。国内最高峰の力を持つレオンの、鉄をも引きちぎる超怪力。
しかし、動かない。
アレンの小さな手は、まるで強固な万力のように、レオンの腕を完全に封殺していた。
アレンの全身から、他人には見えない超高密度に圧縮された紫電のオーラ――『魔気闘法』の微小な波動が放たれている。レオンが誇る国家最高峰の肉体強化は、アレンの魔気に触れた瞬間に、完全に無効化されていた。
(な、にこれ……!? 身体強化じゃねえ……魔法でもねえ……! なんだ、この桁外れの『硬さと重さ』は……!? 俺の全力を、たった七歳のガキが片手で止めてやがるのか……!?)
レオンの脳裏に、本能的な戦慄が走った。
これまで戦場で数々の強敵を屠ってきたレオンだったが、目の前の弟から感じる底の知れない『壁』は、それらを遥かに凌駕していた。
「……チッ」
アレンはつまらなそうに手を離すと、衣服の埃を払うようにパッパと手を振った。
「次、俺の領域でその汚い魔力を垂れ流したら、お前のその自慢の腕、根元からすり潰すからな」
冷酷極まりない脅迫。
だが、手首をさすりながら後退したレオンの顔に浮かんだのは、恐怖ではなかった。
彼の唇が、驚愕を経て、歓喜によって大きく吊り上がっていく。
「……は、ははは! 最高の隠し事じゃねえか、アレン……! お前、無能なんかじゃねえ。とんでもねえ化け物を飼い殺してやがったな、この王宮は……!」
戦争と強者を愛するレオンの本能が、アレンという「究極の強者」を見出して完全に沸騰していた。国内トップクラスとしてのプライドなど、この規格外の弟の前ではどうでもよくなっていた。
「おい、アレン! 今度、俺と本気で――」
「断る。お前みたいな暑苦しい奴と殴り合うのは、時間の無駄だ。セリア、部屋に戻るぞ。スープの温め直しだ」
「はっ、御心のままに」
アレンはレオンの言葉を完全に無視し、セリアを連れてさっさと離宮の中へと歩き去っていった。
残されたレオンは、赤く手型のついた自分の手首を見つめながら、狂ったように笑った。
「拒否したって無駄だぜ、弟よ。お前がそんな『力』を持ってるって知っちまったんだ。……絶対に、俺の獲物(喧嘩相手)に指定してやるからな……!」




