第八話 オーク討伐依頼
ビルセイヤが初めての剣を手に入れた、その日のことだった。
昼下がりの冒険者ギルドは、いつも通りの喧騒に包まれていた。
酒を飲む者。
依頼書を眺める者。
仲間と談笑する者。
装備の手入れをする者。
そんな空気を切り裂くように、ギルドの扉が勢いよく開かれた。
「緊急依頼です!」
飛び込んできたのは、息を切らしたギルド職員だった。
その一声で、ギルド内の空気が一変する。
酒杯を傾けていた冒険者の手が止まり、依頼書を眺めていた者たちが一斉に顔を上げる。
ざわついていた食堂スペースも、数秒のうちに静まり返った。
「フォレスト草原の奥で、オークの群れが確認されました!」
ざわり、と空気が揺れた。
オーク。
ゴブリンよりも遥かに強力な魔物だ。
身長は二メートル近く。
分厚い筋肉に覆われた巨体と、人間を上回る怪力を持つ。
駆け出し冒険者では、まず太刀打ちできない相手だった。
「確認されているだけで、十二匹です!」
その報告に、冒険者たちの表情が引き締まる。
十二匹。
それは小規模な群れではない。
放置すれば街道を利用する商人や旅人に被害が出る。
最悪、シーサス近郊の村にまで被害が広がる可能性もある。
酒場の空気は完全に消え去り、ギルド内には戦場前のような緊張が満ちていた。
◇◇◇
しばらくして、奥の部屋から一人の男が姿を現した。
大柄な体格。
顔には大きな古傷。
分厚い腕と、まるで岩のような胸板。
ただ立っているだけで、周囲を圧倒するような存在感を放っている。
シーサス冒険者ギルドの長――ギルドマスターだった。
「静かにしろ」
低い声が、ギルドの空気を震わせる。
それだけで、ざわついていた冒険者たちがぴたりと口を閉ざした。
「今回の依頼はオーク討伐だ」
ギルドマスターは掲示板の前まで歩くと、一枚の依頼書を叩きつけるように貼り出した。
依頼ランクは――D。
駆け出し冒険者には受けられないランクだ。
「参加資格はDランク以上」
当然の判断だった。
オーク相手に未熟な冒険者を投入すれば、死者が出る。
ランク制度は、ただ依頼を振り分けるためのものではない。
冒険者の命を守るための基準でもあるのだ。
「数は十二。斥候の報告では、フォレスト草原の奥――森との境付近に集まっているらしい」
ギルドマスターの声に、ベテラン冒険者たちが真剣な顔で頷く。
「街道へ出られる前に叩く。ここで仕留めるぞ」
◇◇◇
その時だった。
「ギルドマスター」
セシリアが一歩前に出て、手を挙げた。
「なんだ?」
「ビルセイヤさんを連れて行きたいです」
周囲がざわついた。
ビルセイヤはFランク。
登録してまだ数日しか経っていない新人だ。
普通なら、参加資格すらない。
ギルドマスターの鋭い視線がセシリアへ向く。
「理由は?」
「ゴブリンソルジャーを討伐しています」
セシリアはまっすぐに答えた。
「しかも、ほぼ単独で。少なくとも普通のFランクではありません」
今度はギルドマスターの視線が、ビルセイヤへ移る。
「お前か」
「ああ」
「木の枝でゴブリンソルジャーを倒したっていう変人は」
ギルド内から、どっと笑いが起きた。
どうやら思った以上に有名になっていたらしい。
ビルセイヤは少しだけ複雑な気分になる。
実力を評価されているのは分かる。
だが、“木の枝で戦う変人”として認識されているのは、なんとも言えない。
◇◇◇
ギルドマスターは腕を組み、しばし黙り込んだ。
「本来なら認められん」
当然だ。
ランク制度を無視することは、他の冒険者の命にも関わる。
たとえ実力があったとしても、前例を作るのは簡単ではない。
「だが――」
ギルドマスターは訓練場の方を顎で示した。
「実力を見せろ」
「実力?」
「ああ」
訓練場の隅には、木製の訓練人形が立っていた。
「一撃だ」
その言葉に、ギルド内の視線が一斉に集まる。
ビルセイヤは静かに前へ出た。
腰に下げたロングソードへ手を掛ける。
今日手に入れたばかりの剣だ。
だが、不思議と手に馴染んでいる。
深く息を吸う。
足を開く。
重心を落とす。
剣道の構えを思わせる静かな所作。
周囲の空気が張り詰める。
そして――踏み込んだ。
「はっ!」
鋭い一閃。
空気を裂く音が、訓練場に響いた。
次の瞬間。
訓練人形の胴体が、斜めにずれて滑り落ちた。
真っ二つだった。
沈黙が落ちる。
誰も言葉を発しない。
目の前で起きたことを理解するのに、ほんの数秒の間が必要だった。
やがて。
「……おお」
「すげぇ……」
「今の、見えたか?」
感嘆の声があちこちから漏れた。
冒険者たちの目が変わる。
先ほどまで新人を見る目だった。
だが今は違う。
――実力者を見る目だ。
◇◇◇
ギルドマスターは、豪快に笑った。
「ははっ、面白い!」
そして、その場にいる全員へ聞こえるように宣言する。
「特例だ!」
ギルド内がざわめいた。
「セシリアの監督下で、ビルセイヤの参加を許可する!」
「ありがとうございます!」
セシリアが深く頭を下げる。
ビルセイヤも軽く会釈した。
こうして、オーク討伐への参加が正式に決まった。
◇◇◇
出発までの時間、冒険者たちは慌ただしく準備に追われていた。
水袋。
保存食。
回復薬。
武器の整備。
防具の点検。
先ほどまでのざわめきとは違う。
今ギルドを満たしているのは、命を懸けた仕事に向かう者たちの張り詰めた空気だった。
「緊張していますか?」
装備を確認しながら、セシリアが尋ねる。
ビルセイヤは少し考えたあと、正直に答えた。
「少しだけな」
嘘ではない。
相手はゴブリンよりも格上の魔物。
しかも群れだ。油断すれば死ぬ。
だが――。
「楽しみでもある」
その言葉に、セシリアは苦笑した。
「ビルセイヤさんらしいですね」
「そうか?」
「強敵を前にして、怖がるより先に燃える人なんて、そう多くありません」
「剣士の性分かもな」
ビルセイヤは、腰の剣を軽く叩いた。
初めて手に入れた剣で、初めて挑む本格的な強敵。
胸の奥に灯る熱は、確かに恐怖だけではなかった。
◇◇◇
昼過ぎ。
討伐隊はシーサスを出発した。
総勢十五名。
前衛、中衛、後衛に分かれた即席部隊だが、動きに無駄はない。
シーサスで活動する中堅以上の冒険者が揃っているだけあって、隊列はしっかり整っていた。
ビルセイヤとセシリアは、隊列の中央付近を歩く。
「オークってそんなに強いのか?」
歩きながらビルセイヤが尋ねると、セシリアは真面目な顔で頷いた。
「ゴブリンとは別物です」
「別物か」
「力は数倍以上。正面から力比べをしたら、普通の人間ではまず勝てません。しかも武器も使います」
それは厄介だ。
だがビルセイヤの胸には、不思議と恐怖より高揚が勝っていた。
強敵と戦うことに、恐れよりも心が燃える。
たぶん、それが剣士としての性分なのだろう。
◇◇◇
森へ入って二時間ほど経った頃。
先行していた斥候が、息を切らして駆け戻ってきた。
「発見しました!」
全員の表情が引き締まる。
「数は!?」
「十二匹! 予想通りです!」
ギルドマスターが即座に剣を抜いた。
「各員、戦闘準備!」
金属音が森の中に響く。
次々と武器が抜かれ、討伐隊の空気が一気に戦闘態勢へ切り替わる。
ビルセイヤも、腰のロングソードの柄を握った。
その時だった。
「いやぁっ!」
森の奥から、女性の悲鳴が響いた。
全員の動きが止まる。
続いて、もう一度。
「助けて!」
明らかに人間の声だった。
そして、その直後。
下卑た笑い声が聞こえる。
オークたちのものだ。
ビルセイヤの目が鋭くなる。
セシリアも同じだった。
「セシリア」
「はい」
言葉は、それだけで十分だった。
二人は同時に地面を蹴る。
隊列を飛び出し、悲鳴の聞こえた森の奥へと駆け出した。
まだ知らない。
この先で出会う少女が――後に世界を救う英雄パーティーの一員となることを。
風と精霊を愛するエルフの少女、エミリア。
運命の出会いは、もう目前まで迫っていた。
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第一章 第八話
オーク討伐依頼
――続く。




