第二十六話 暴走する黒き獣
グオオオオオオオオオオオオオッ!!
暴走状態へ突入したブラックベアの咆哮が、北部森林全体を震わせた。
赤く染まった双眸。
膨れ上がった筋肉。
全身から溢れ出る凶暴な魔力。
先ほどまでのブラックベアとは、まるで別の魔物だった。
「まずい……」
冒険者ギルド支部長が歯を食いしばる。
暴走状態。
強力な魔物が瀕死になることで発生する狂化現象。
理性を失う代わりに、身体能力が飛躍的に向上する。
ただでさえ災害級の魔物。
それがさらに強くなったのだ。
恐怖を感じない方がおかしい。
しかし――。
最前線に立つビルセイヤの瞳に、焦りはなかった。
静かに剣を構える。
呼吸を整える。
相手を観察する。
剣道でも合気道でも同じだ。
感情に流された者から負ける。
冷静さこそ、最大の武器。
「セシリア」
「うん」
「焦るな」
「分かってる」
短い会話。
それだけで十分だった。
長い時間を共に過ごしたわけではない。
それでも、互いを信頼している。
だから言葉は少なくていい。
後方では、エミリアが魔法の準備を進めていた。
そして――。
ブラックベアが地面を蹴る。
ドォォォォォン!!
まるで黒い岩山が飛んできたかのような突進。
先ほどとは比べ物にならない速度だった。
「散開!」
ビルセイヤが叫ぶ。
三人が同時に飛び退く。
次の瞬間。
ブラックベアが地面へ激突した。
轟音。
衝撃波。
舞い上がる土砂。
近くにいたゴブリン数匹が巻き込まれ、吹き飛ばされた。
「なんて化け物だ……」
冒険者たちが青ざめる。
あの一撃を受ければ、鎧ごと粉砕されるだろう。
だが――。
ビルセイヤはすでに動いていた。
側面へ回り込む。
狙うのは脚。
力比べをする気はない。
巨大な敵ほど、足を潰せば動けなくなる。
ズバッ!
鋭い斬撃が前脚を切り裂く。
ブラックベアが咆哮する。
だが、止まらない。
ならば――もう一度。
脚。
関節。
筋肉。
急所だけを狙う。
無駄な攻撃は一切しない。
その時だった。
「アイスウォール!」
エミリアの魔法が発動する。
巨大な氷壁が出現した。
ブラックベアの進路を塞ぐ。
怪物は構わず突進した。
ドガァァァン!!
氷壁が粉々に砕け散る。
だが――。
その一瞬。
本当に一瞬だけ、足が止まった。
「今だ!」
セシリアが飛び出す。
鋭い一閃。
反対側の前脚へ、深い傷が刻まれた。
ブラックベアが体勢を崩す。
動きが鈍くなった。
「そういうことか!」
Aランク冒険者が叫ぶ。
「脚を狙ってるんだ!」
周囲の冒険者たちも理解する。
倒せないなら、動きを奪う。
理にかなった戦術だった。
「前衛!」
支部長がすかさず指示を飛ばす。
「脚を集中攻撃しろ!」
冒険者たちが動く。
弓兵の矢。
魔法使いの攻撃魔法。
槍兵の突撃。
全てが、ブラックベアへ集中した。
怪物は暴れる。
咆哮する。
だが、確実に追い詰められていた。
一方――。
戦場の様子を見ていたツバサは、息を呑む。
強い。
本当に強い。
だが、ビルセイヤの凄さは個人の戦闘力だけではない。
周囲を動かしている。
兵士を。
冒険者を。
クランを。
自然と一つの方向へ導いている。
誰かに命令しているわけではない。
それでも皆が従う。
「これが……」
ツバサが呟く。
「人を率いる力か」
その胸の中で、クラン結成への想いはさらに強くなっていく。
一人では守れない。
パーティだけでも足りない。
もっと大きな力が必要だ。
もっと多くの仲間が必要だ。
そして――。
ついに、ブラックベアの前脚が大きく沈んだ。
巨体が傾く。
動きが止まる。
決定的な隙。
ビルセイヤは静かに剣を構えた。
呼吸を整える。
視線は、獲物の首筋。
勝負を決める一撃。
その時が、ついに訪れようとしていた。
――続く。




