第二十二話 スタンビート前夜
スタンビート発生の報告から一日――。
エメラルド・グリーンの街は、かつてない緊張感に包まれていた。
普段は商人たちの威勢の良い声で賑わう大通りも、どこか慌ただしい。
鍛冶師たちは武器の最終調整に追われ、商人たちは食料や回復薬を買い集め、街の兵士たちは防壁や門の点検を行っている。
誰もが、迫り来る脅威を理解していた。
スタンビート。
大量の魔物による災害。
対応を誤れば、街一つが消えることさえある。
だからこそ、街全体が総力戦の準備を進めていた。
そんな中――。
ビルセイヤたちは、冒険者ギルド本部の会議室へ呼ばれていた。
部屋の中には各クランの代表者たちが集まっている。
Aランククランのリーダー。
Bランククランの幹部。
冒険者ギルド職員。
そして街の兵士長。
重苦しい空気が漂っていた。
やがて、支部長が立ち上がる。
「これが現在判明している情報だ」
机の上へ大きな地図が広げられた。
北部森林地帯。
街の北側に広がる、広大な森である。
そこには赤い印がいくつも書き込まれていた。
「確認されている魔物は、ゴブリンの群れ」
「オークの群れ」
「フォレストウルフ」
「その他、小型魔物多数」
会議室がざわつく。
どれも単体なら、対処できない相手ではない。
しかし、問題は数だった。
百。
二百。
そんな数ではない。
千を超える可能性がある。
「厄介だな……」
Aランク冒険者が腕を組む。
スタンビート最大の脅威は数だ。
一体一体は倒せる。
だが、押し寄せる波は人を飲み込む。
その時だった。
「一点、質問があります」
静かな声が響く。
ビルセイヤだった。
全員の視線が集まる。
「何だ?」
支部長が促す。
「北部森林の地形はどうなっていますか?」
一瞬、会議室が静かになった。
地形。
普通なら、魔物の種類や数を聞く。
だが、ビルセイヤは違った。
「地形?」
「はい」
ビルセイヤは頷く。
「数で押してくるなら、正面からぶつかる必要はありません」
そう言いながら、地図を指差した。
「ここです」
谷になっている場所だった。
「ここへ誘導できませんか?」
支部長が目を細める。
「続けろ」
「狭い場所なら、魔物の数を制限できます」
「数の優位を潰せます」
会議室の空気が変わった。
地形利用戦術。
ビルセイヤにとっては、当たり前の発想だった。
しかし、この世界ではそこまで重視されていない考え方でもある。
「なるほど……」
兵士長が地図を見る。
「確かに、正面決戦より被害が少なくなる」
「面白いな」
Aランククランのリーダーも頷く。
「ならば、前衛クランで谷の入り口を封鎖する」
「弓兵は高台へ配置だ」
「補給部隊は後方で待機させればいい」
次々と意見が出始めた。
支部長も力強く頷く。
「採用する」
「これを基準に作戦を組み立てるぞ」
会議室の空気が一変した。
絶望的な防衛戦ではない。
勝つための戦いへ変わったのだ。
こうして、各クランへ役割が割り振られていく。
前衛部隊。
側面迎撃部隊。
弓兵支援部隊。
補給部隊。
クランシステムの強みが、発揮され始めていた。
会議が終わる頃には、防衛計画はかなり具体的なものになっていた。
そして夜――。
宿へ戻ったビルセイヤたちは、食堂で夕食を取っていた。
明日は戦い。
自然と会話も少なくなる。
そんな中――。
「どうぞ」
リリアが温かなスープを差し出した。
「ありがとう」
ビルセイヤはいつものように礼を言う。
その何気ない一言に、リリアは少しだけ微笑んだ。
どれだけ忙しくても。
どれだけ有名になっても。
ビルセイヤは変わらない。
必ず感謝を伝えてくれる。
だからこそ。
無事でいてほしい。
笑顔で帰ってきてほしい。
そう願わずにはいられなかった。
「大丈夫ですよ」
不意に、ビルセイヤが言った。
「え?」
リリアが顔を上げる。
「皆で帰ってきます」
その言葉は、不思議なほど力強かった。
まるで心を読まれたようだった。
リリアの頬が、少し赤くなる。
そんな二人を見て、セシリアとエミリアは顔を見合わせた。
そして、小さく笑う。
本人たちは気付いていない。
だが、周囲には分かっていた。
リリアがビルセイヤを、特別な目で見始めていることを。
そして翌朝――。
スタンビート迎撃部隊は、北部森林地帯へ向けて出発する。
ビルセイヤにとって、初めての大規模防衛戦。
後に『北部森林防衛戦』と呼ばれる英雄譚。
その第一幕が、静かに幕を開けようとしていた。
――続く。




